酒は飲んでも飲まれるな――
そんな格言をこの世に残したのは、自身が酒で余程の失態を演じたか、もしくは周りの酒癖の悪さに相当ウンザリしていた人物に違いない。
伊佐家で開催された飲み会のことを思い出すたびに、正之はそう思うのだった。
正之
酒がぎっしり詰まったディスカウントストアのレジ袋を見て、正之はやや呆れ顔で言う。
遊作
部屋の中央に設置した大きめの座卓の上に、遊作は買ってきた酒を次々と並べていく。
コップは使い捨てのプラカップだが、飲み物は缶ビール・缶チューハイをメインに、ハイボール、日本酒、ワイン、果実酒と、様々な酒類を取り揃えていた。
小鉄
小鉄はジュディとふたりで、ミックスナッツやドライフルーツ、チーズ、スナック菓子、近所のスーパーで購入した焼き鳥等の総菜を並べている。
ジュディ
ジュディに有り余る腹肉を叩かれ、小鉄は頭をポリポリ掻きながら笑う。
いつものメンバーでそんなやり取りをしているうちに、玄関のインターホンが鳴り響いた。
正之
正之はカメラ付きインターホンのモニターで華乃衣と美月の姿を確認し、テーブルの準備を続けている遊作に声をかけた。
遊作
遊作がジュディと小鉄に出迎えをするように促したのは、彼なりに気を利かせたものと思われる。
今日の自宅飲み会を提案したのも、華乃衣と美月もゲストとして呼ぼうと言い出したのも遊作だ。人を家に上げるのをあまり好まない遊作にしては珍しく感じて聞いてみると、「そのほうがジュディと小鉄も楽しいかなって思ったから」と笑っていた。
担当編集者として遊作と付き合いが長くなるにつれ、次第にわかってきたことがある。
遊作は社交性が高いように見えて実際はパーソナルスペースがだだっ広く、人付き合いの上手い人間ではない。自分と合わないと判断した相手とは、徹底的に距離を置こうとするのだ。
それに気づいたとき、正之が担当編集者になるまでの間、遊作が何人もの担当と揉めてトラブルを起こしてきた理由の一端が垣間見えたような気がした。
遊作は華乃衣・美月とは普段あまり交流がないはずなのだが、同居人のジュディと小鉄が大好きで、ふたりに楽しんでほしいからこそ彼女たちを招待すると決めたのだろう。
遊作と二人で準備を進めつつ、正之はチラリと玄関先の様子も覗いてみた。
華乃衣
ジュディ
玄関先で深々と頭を下げる華乃衣に、ジュディはいつもどおりの素っ気ない口振りで上がるよう促す。
華乃衣
華乃衣
華乃衣はにこやかに微笑みながらジュディに紙袋を手渡し、丁寧に靴を揃えて伊佐家に足を踏み入れた。
ジュディ
奏斗というのはシングルマザーの華乃衣の一人息子で、まだ幼いため酒の席には連れてこれなかったのか、今日は姿が見えない。
華乃衣
華乃衣
ジュディ
華乃衣
華乃衣
ジュディ
華乃衣とジュディは、お互い僅かに照れの入り混じった表情で言葉を交わしながら廊下を歩いてくる。
もういつ交際が始まってもおかしくないような雰囲気だ。
少なくとも正之にはそんなふうに見えていた。
正之
正之が襖を大きく開けて招き入れると、華乃衣は家の主である遊作と挨拶を交わした後、座卓の端のほうにジュディと並んで腰を下ろした。
一方、小鉄と美月は玄関先から既にいちゃつき始めていた。
美月
美月は小鉄の手を取り、身を屈めて今にも頬ずりし始めそうなほど接近している。
小鉄
美月
美月
小鉄
美月から紙袋を受け取り、小鉄は嬉しそうに小躍りする。
もはや美月の来訪に喜んでいるのか、土産の菓子に喜んでいるのか疑問に思えてくるものの、当人たちが幸せならそれはそれで良い関係と言えるのかもしれない。
遊作
既にテーブルの上は準備万端。待ち兼ねた遊作が小鉄たちに呼びかける。
小鉄
小鉄
美月
ぴったり寄り添うようにしてやってきた小鉄と美月は、ちょうど華乃衣たちと向かい合う位置に座る。
こうして伊佐家での飲み会は和やかに始まった。
そして、三時間後――
ジュディと小鉄の邪魔をしないようにと遊作の隣に座ったがために、正之は盛大に絡まれていた。
遊作
べったりくっついてキスしようとしてきた遊作の赤い顔を、ギリギリのところで押し退ける。
正之
正之
小鉄
既に泥酔状態に近い遊作の代わりに、小鉄がお菓子を頬張りながら答える。
正之
ただ自宅で仲間とはしゃぎたいだけなら、遊作の好きなゲームで遊ぶだけでもよかっただろうし、ゲストを呼ぶならお酒抜きのホームパーティーでもよかったはずだ。
何故、自分が酒に弱いのをわかっていながら飲み会を選択したのか、今の遊作に聞いても碌な回答は得られそうにない。
遊作
正之
しつこく迫ってくる遊作を身体ごと払いのける。
正之に全力拒否され、へにゃっと畳に倒れ込んだ遊作は、少し経つとフラフラしながら身体を起こし、今度はジュディににじり寄っていった。
遊作
正之
正之
正之は慌てて手を伸ばし、遊作の首根っこを掴んで引き寄せる。
居合道で巻藁を斬る音にも似てはいるが、それよりも遙かに鈍く重い斬撃音が響き、遊作が直前までいた場所の畳がジュディ愛用の剣で深々と斬り裂かれた。
正之
正之
ジュディ
ジュディ
高らかに笑いながらジュディは剣を鞘に収め、手元のカップに半分ほど残っていたワインをぐいっと呷る。
正之
普段のジュディは、怒り以外の感情は極力抑えたような態度や語り口が多い。そんなジュディの変化に冷や汗をかきつつ、遊作を引きずって距離を取る。
しかし、殺されかかっても遊作はまだ懲りないらしく、今度は小鉄のところへ行ってしまった。
遊作
遊作は小鉄を抱き締め、モフモフのほっぺたに熱烈なキスをする。
小鉄
正之
と、思った次の瞬間、
美月
般若の形相をした美月が金切り声を上げ、遊作の腕から小鉄を奪い取った。
正之
美月の顔が真っ赤なのは酒のせいか怒りのせいか、それとも両方か、正之には判別がつかない。
とはいえ、今、美月が正気ではないことだけは確かだ。
美月
謎の主張をしながら、美月は小鉄の身体の至るところに顔を埋めて深呼吸を繰り返している。
小鉄
小鉄は特に嫌そうにはしていないため、この場はそっとしておくことにした。
正之
唯一、華乃衣だけは静かに楚々として酒を嗜んでいるように見える。
華乃衣
そう言って華乃衣は徐に席を立った。
そして、部屋を出ようとしたところで、ゴツン!と音を立てて、ある物と正面衝突した。
華乃衣
華乃衣が何度もペコペコ頭を下げ話しかけているのは、遊作が以前に資料だと言って購入した人体模型だった。
華乃衣
正之
人体模型相手に謝り続ける華乃衣の姿に、正之は頭を抱えそうになる。
遊作
ジュディには殺されかけ、小鉄も奪われ、遊作の絡み相手が再び正之に戻ってきてしまった。
子供みたいに泣きながらすがりついてくる遊作に、これ以上は付き合っていられないと判断し、正之は強硬手段をとることにした。
正之
自分より長身の遊作をひょいと肩に担ぎ、そのまま部屋の外に連れ出す。
遊作
正之
長い手足をジタバタさせて暴れる遊作を、有無を言わさず寝室へと連行していく。
暴れすぎたのか途中で「きもちわるい……」と言い出したため一旦トイレで吐かせ、
寝室の布団にぶん投げてから
元の部屋に戻ると――
華乃衣
倒れた人体模型を前にして、慌てふためき喚く華乃衣がいた。
正之
華乃衣
正之
なんとか華乃衣に正気を取り戻してもらおうと声をかけるが、彼女の耳には届いていないようだ。
ジュディはというと、この状況を収めるどころか華乃衣の言動がツボにハマったのか笑い続けている。
ジュディ
正之
さすがに苛立ちを抑えきれず正之が声を荒らげると、ジュディの目にギラリと不気味な光が宿った。
ジュディ
一瞬でジュディが距離を詰め腕を翳してきたかと思うと、ローブの袖を突き破って複数の刃が飛び出した。
正之
咄嗟に姿勢を低くして飛び退き、すんでのところで刃の襲撃をかわす。
刃の先が僅かに掠り、髪の毛が何本か舞い散った。
ジュディ
正之
ジュディ
ジュディ
楽しげに高笑いを続けながらジュディは元の席に戻り、また豪快に飲み始めた。
その向かい側では、
美月
未だに美月が小鉄を吸い続けている。
正之
ツッコミが追いつかない状況に、正之の悲痛な叫びが響き渡った。
一時間後――
正之の努力により、ジュディと女性陣はそれぞれ別室に押し込められ、ようやく飲み会はお開きとなった。
少し前までは混沌としていた部屋に、今は正之と小鉄だけがいる。
正之
疲れ切って大きな溜め息を吐く正之に、小鉄がほうじ茶を入れて差し出した。
小鉄
美月に吸われすぎた小鉄は、至るところの毛がモサモサに乱れている。
正之
力無く愚痴を零し、また一つ溜め息を吐く。
小鉄
正之
最初の数時間、正之はわりとハイペースで飲んでいたうえに、実は酔っ払いたちに振り回されている合間にも飲み続けていた。
トータルの飲酒量ならおそらく正之がトップだろう。にも関わらず、全く顔色は変わらず、ふらつく様子もない。もちろん意識もはっきりしている。
小鉄
正之
正之
正之
小鉄が入れてくれたほうじ茶を手に取り、ゆっくりと一口啜った途端、
遊作
勢いよく襖が開いて遊作が現れ、正之は口に含んだお茶を思いきり吹き出した。
正之
遊作
正之
泣きついてきた遊作を、仕方なく再び肩に担ぐ。
正之
そう言い残し遊作を運んでいく正之の後ろ姿に手を振り、小鉄はひとりでお茶を啜る。
小鉄
美月が土産に持ってきてくれたダックワーズをモグモグ頬張り、のんびりまったりとティータイムを楽しむ小鉄であった。
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