甲尾莱亜(こうび らいあ)
ゆっくりとわたしの前に移動し、ディフェンススタンスを取る甲尾。
素人にしてはなかなサマになっている。
甲尾莱亜(こうび らいあ)
木崎姫歌(きさき ひめうた)
言うや否や、甲尾は瞬時に手を伸ばしてきた。長い左右の腕が、ボール目がけて飛んでくる。
木崎姫歌(きさき ひめうた)
涼しげな顔とは正反対に、激しい追撃が迫る。
右、左、右、右、左……。
モーションは大きく、特大の世辞を上乗せしても上手いとは言い難い。
が、スピードは速く、リーチも長い。
男子特有の威圧感もある。
そして――、
木崎姫歌(きさき ひめうた)
狙ってかどうかは知らないが、わたしの軸足を両足で挟み、ドリブルを完全に封じ込めていた。
木崎姫歌(きさき ひめうた)
――油断したな。
頭のどこかで、冷ややかな声がした。
無論わたしの声だ。
一年前の、わたしの声だ。
自分ならこんな無様な真似はしない。
そう言いたげな声だった。
実際、その通りだ。
全盛期のわたしなら、ボールを持ったまま棒立ちなどしなかった。
相手が素人であろうと、こんな醜態を晒すような真似はしなかった。
これでは、直にボールを奪われ――
木崎姫歌(きさき ひめうた)
……いや、問題はないか。
これを落としてもたかが一本。
たかが一本分、時間が延びるだけだ。
気を抜いていたことは認めよう。
完全にわたしの過失だ。
――だが、それがどうした。
こんなゲーム――、
甲尾莱亜(こうび らいあ)
木崎姫歌(きさき ひめうた)
――反応。
甲尾の手がボールに触れた瞬間、思わず反応し、ボールを下げていた。
わたし自身、その行動に面喰ってしまった。
そして、その瞬間、
甲尾莱亜(こうび らいあ)
ヘラッ。
甲尾の口元が、だらしなく歪んだ。
だらしなく、歪んだ。
が、それは今までのような、人を食ったような笑みではなかった。
それは――、
人を食ったような――、
笑みではなく――、
むしろ――、
と て も 楽 し そ う な――、
甲尾莱亜(こうび らいあ)
女子部員
いつの間にか、体が自然と動いていた。
暗い昏い、本能のままに。
甲尾莱亜(こうび らいあ)
抜き去ったはずの甲尾が、視界の端に再度現れる。
甲尾莱亜(こうび らいあ)
肩、肘、上半身が、甲尾の胸板に激しくぶつかった。
甲尾も、肩、肘、上半身で、わたしの体を押し返す。
その全てを冷ややかに無視し、
跳躍。
ゴールまで一直線。
わたしは、腕を伸ばした。
瞬間、
木崎姫歌(きさき ひめうた)
長い手が、体ごとボールへ向かってきた。
木崎姫歌(きさき ひめうた)
押し合い圧し合い。
それは単純な力比べではない。
力、速さ、経験、技術。
無意識下での、それら結晶のぶつかり合いが、勝負を左右する。
そう、地上では。
木崎姫歌(きさき ひめうた)
空中では、わたしは甲尾に比べ、あまりに軽過ぎた。
力強い甲尾の体に押され、徐々にゴールから遠ざかる。
甲尾も、想定外の手応えの無さに、体勢を大きく崩した。
――が、
木崎姫歌(きさき ひめうた)
放たれたボールは、ただゆっくりと伸び、ゴールへの軌跡を描く。
それは、
久し振りのその光景は、
とても、ゆっくりに見えた。
体が倒れていくのにも構わず、ただそれだけを、わたしはずっと眺めていた。
――パスッ。
ボールは、ネットによってその軌道を無理矢理に変えられ、大きな音を立て、フロアに落ちた。
それも、久し振りに聞いた音だった。
木崎姫歌(きさき ひめうた)
どす黒いものが溜まり続けていた胸に、一筋。
一筋、明るいものが射した。
木崎姫歌(きさき ひめうた)
わたしは一層、暗い顔をすることになった。
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