白紙
ホラズム朝とモンゴル帝国との戦いで
ウルゲンチという町を滅ぼす時、アム川の堤防を切って水を流し込み住民を溺死させた
テムジンという名前の由来は父親イェスゲイが殺したタタル族の武将の名前から
テムジンの語源は鍛冶屋を意味するテルムチから
テムジン 漢字 鉄木真
千戸制
兵士10人を集め、小隊を作る 10人 十人隊長
小隊を10個集め、中隊を作る 100人 百人隊長
中隊を10個集め、大隊を作る 1000人 千人隊長(テムジン)
ナイマンはトルコ系民族で親戚っつー事(トルコのルーツfromモンゴル)
ウルスとは「人の渦」という意
四駿四狗
有能な8人の功臣
ムカリ ボオルチュ チウラン ボロクル
千人隊長 ジェベ ジェルメ スブタイ クビライ
モンゴルで取れたクロテンの毛皮は高級品として人気だった
ケムケムジュート 鉄鉱山地帯
モンゴルが初めて金を攻めた理由は金に愚鈍な王が即位したと知ったから
チンギス・ハンの子供 長男ジョチ(暴れん坊) 次男チャガタイ(相続のときは揉めた) 三男オゴタイ(温厚) 末子トルイ(有能)
初期大モンゴルは野戦は得意だが、都市戦が苦手だった
山東半島は鉱産資源がいい 質がいい
モンゴルは鉄とともに大きくなった
ジャムチ 道の移動のための補給地帯(駅)
ペシャワールを攻めようとしたが暑くて帰った(可愛い)ホラムズのときね
モンゴル軍は戦いの前に無血開城を要求していた(一応)
漢民族の技術者を取り入れて戦いを有利に!はしごや土嚢など(頭いい!)
また、ムスリム系の技術者も編入してカタパルト式投石機も開発!
水攻めも会得!えろ火薬も開発!
宗教に寛容 首都カラコルムでは色々な宗教が入り混じっていた
モンゴルでは末子が相続をするのが伝統的だった
西夏汚職すんな
カラホト(西夏の北)の黒水城はゴビ砂漠のオアシス地帯で高度な鉄生産技術を持っていた
モンゴルに10年耐えた
和議を申し出たがモンゴル、これを拒否
チンギスは死ぬ前子供に金と西夏を滅ぼすようにと言った。死ぬ前に言うことじゃないだろ
西洋に攻め入りクリミアを陥落させたときに、冬になり、休養のためコーカサス地方を侵略した(!?!?!!!?!w!?ww)
当時のローマ教皇はポーランドを支援せよとヨーロプに対していった
そしてドイツとポルスカが協力し迎撃をしようとした
ワールシュタットの戦いである
最初はモンゴルが優勢だったが急に後退を始めた。
ヨーロプ側は攻め入るがこれは罠だった
いつの間にか、モンゴルの右翼と左翼に囲まれ猛攻撃を受けることに。
後衛(歩兵部隊)と前衛(騎士団)を分断させるため、煙幕も使った
結果はモンゴルの勝ちw!!
オゴデイ(2代目ハーン)は最期の夜に飲酒をしていた。こいつも酒好きかよ!!ちな、交通機関を整備した
オゴデイは優秀な参謀に囲まれていたせいで出る幕がなく、ハーンになってからよく深酒をしていた。
モンゴルは西洋も東アジアも同時に攻めていた
クリルタイでハーンを選ぶ時
「モンゴルという共同体と国家の幸福を、最もよく導くと認められたもの」
という基準だった。ふわふわ…
ハーンが五年間もいないときでも侵略していた。
グユク(3代目ハーン)も大の酒好きだった。おお!いいよ!!ロシア出てるよ!!
モンケ(4代目ハーン)は王になることを強行し、オゴタイ家とチャガタイ家を粛清した。ちな、総督府を中国地方、中央アジア地方、西アジア地方に設置して、行政を整備した。財力向上につながる
アッバース朝の世界最大の都市、バグダードを2週間で陥落。破壊行為がすさまじかった。知恵の館を破壊。
元々遊牧民は移動ばっかりするので、何か文書や建物などのものを「残す」という感覚はあまり重要じゃなかったのかもしれない。
疫病には弱い。可愛い
1260シムルトゥノールの戦いで初めて内戦が起こる
クビライは元を設立する これによりモンゴルと分裂する(内包はされているのか?ココらへんふわふわすぎるんだよ…説明者立はそういうの慣れてるかもだけどさぁ!!)
クビライとアリクブケの相続争いにより、モンゴルは分裂へと向かった
ジョチ.ウルス、チャガタイ・ウルス、フレグ・ウルス、元、として4つに分かれ、連合国のような様相でモンゴルは成り立った
ベルケフレグ戦争ではフレグ・ウルスとジョチ・ウルスが争った
カイドゥというオゴデイの孫がクビライに抗争した(アリクブケ側についた)
これがきっかけでチャガタイ・ウルスと元は争うようになった
内部がゴタゴタしても侵略はする
クビライは中国化は嫌っていた
その理由にパスパ文字(漢字を使わない文字)を使っていた、科挙は採用しなかったことなどが挙げられる
クビライの見方は後にできた明の見方が大きいとされる
1回目の元寇は対馬、壱岐、大宰府などを占領した。最初は日本を侵略するつもりはなかったという。強さを見せて交渉したかっただとか。
ときどきリウマチに悩まされている
反乱を起こしたナヤンは調子に乗ったと言われている
戦象も使ったこの時の反乱で
カイドゥとドゥア(チャガタイ家)という人物が協力し元と戦争したが、ドゥアはカイドゥが死んだ後、すぐに敵に寝返った
チャガタイ・ウルスはすぐ崩壊した
元とも喧嘩してフレグ・ウルスとも喧嘩していた
その後急にどちらともと仲良くしようとした
この時の政治(行政)はイスラーム系に影響されていた
金貨もイスラーム系にのっとって作られた
西は定住するようになり、東は遊牧と、国が終わるきっかけとなった
西側は東側の人をジェテ(盗賊)と呼んでいた
東側は西側の人をカラウテス(混血)と呼んでいた
さらに東はウィグル系がいて、チャガタイ・ウルスの属国となっていた
チャガタイは東西に分かれた、
東側はモグーリスタン・ハン国と呼ばれ
西側は後にティムール朝(こいつモンゴル人だったんだ…)と呼ばれるようになる∵
後にこいつはフレグ・ウルスやジョチ・ウルスも飲み込み巨大になっていく
チャガタイ・ウルスの次に崩壊したのはフレグ・ウルスだった
イスラムの影響をめちゃ受けていた政治等
国の統治にはモンゴル人は少なく、主にイラン人がしていた
集史や医学や中国方面の薬学の論文、農書、イスラム神学の著作書を執筆させた。
内部闘争がえぐち
王が妻によって毒殺!
ジョチ・ウルスの戦いによって間接的に滅ぼされたあとは、色々な民族が色々な王朝を建てた
しかしティムール朝によって滅びた
次に元が滅びた
6代目ハーンのテムルのときは東西のモンゴル系国家は一時的にに和睦し、シルクロード交易は唐時代以降の活況を呈した
ちな行ってなかったけど1271年あたりでモンゴルが名前を元に変えた時(ここシビアに行くと元はモンゴル帝国の直轄地っていう)首都も大都に変わったよ
この時代はパクス・モンゴリカ(モンゴルの平和)と呼ばれた
中国南あたりで紅巾党という宋の跡継ぎ的な奴が発生、元と戦うことに。ちなコイツラは盗賊同然の行為をしていたにょ
朱元璋は明の創設者で、歴史でも類を見ないほどの困窮した家庭の出身者だった(乞食レベル)。でも盗みもしなかったからすごい支持が集まった。
明により元は北へ追いやられ、中華王朝としての元は終わった。(北元)
1388にフビライの世襲が断絶し、北元は終焉を迎えた(東側が消えた)
と言っても皇帝として擁立されながら北元は存続し明といざこざを起こしていた
最後にジョチ・ウルスが残った。
マムルーク朝と仲良くしてた
この国もイスラム文化が出てくる
首都のサライは世界最大級の都市となった
ジェノヴァ共和国やヴェネチア共和国とも仲良くしてた
ヨーロッパ式の建物も建設された
モスクワ公国との間に兄弟間の婚姻も結んだ。
モスクワ公国はルーシ諸国を次々と支配下に置き、後にロシア帝国として大熊となる。
ジャーニーの時期になると、異教徒(イスラム教以外)の寺院を破壊し、モスクをめちゃめちゃ建てた
カッファへの攻撃 ジェノヴァ共和国君と喧嘩した
この時、ペストが蔓延した
元で蔓延していた感染症はぺストだったのではないかという説がある(中国から)
キルギス説、黒海説などもある
この戦いでジョチ・ウルスは投石機に感染した人の死体を乗せて発射したと言われている。狂ってんのか
ここからイタリアへ渡った人により、ペストが広まった
その後内部でまた闘争がおき、カザフ・ハン国、アストラハン・ハン国、クリミア・ハン国などが勃興した
そして滅んだ
その後はティムール朝が巨大国家となった。
ティムールの子孫を名乗り、モンゴル後を引くバーブルはインドにムガル帝国を作った。
ムガルはモンゴルを意味すると言われている
クビライの時代に南宋への侵攻をしたおかげで東南アジアの航路が整備された。
後にスペインやポルトガルが利用していくことになる。
今更だけどクビライとフビライは同一ね。表記揺れです
結論
モンゴル帝国は内部がドロドロすぎて滅んだ!!
