この作品はいかがでしたか?
0
この作品はいかがでしたか?
0
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
クラスメイト
そう言ってクラスメイトが差し出した広告を、私たちは『おお!』と歓声を上げ、食い入るように見つめた。
期末試験が終わったばかりの教室は、解放感に満ちていた。
あとは、夏休みがやってくるのを待つだけ。その前の通知表が気にならないでもなかったが、とりあえず今は考えない方がいい。
どれだけ悩んだって、結局は神────もとい、先生のみぞ知る、なのだから。
そんな訳で、私は、クラスメイト達と夏休みの計画を立てていた。
高校生になって初めての夏休みだ。とりあえず、ショッピングや人気のカフェを楽しみたいし、話題の映画だって押さえておきたい。
しかし、私達のお小遣いには限りがある。
そこで目を付けたのが、ネットや地元情報誌による『夏のお得特集』だ。ちょっとオバチャンっぽい方法だったかなと思いつつも、背に腹は代えられないのだ。
探せば色々見つかるもので、ショップやカフェには割引クーポン券があったし、ショッピングセンター内の映画館では、夏限定で開催される『浴衣割引サービスデー』なるものがあった。広告によると、浴衣を着ていけば学割やレディースデーよりも更に安くなるらしい。
近隣の映画館と比較してみても、やはりこの『浴衣割引サービスデー』が一番お得だろうということで、私達はこの日に狙いを定める。
朝から出掛けて、映画を見て、それからお洒落なブラッスリーでランチコース(もちろんクーポン券使用)を食べて、浴衣のままショッピング(当然、クーポン券を駆使)を楽しんで……うん、完璧だ。
浴衣は、去年おばあちゃんに作ってもらったのを来て行こう。着付けはお母さんに頼めばいいし。そうだ、お父さんにお願いして、待ち合わせ場所まで車で送っていってもらおう。私だけ県外在住だから、移動距離が長くて大変なんだよね。
そんな事を考えていたら、不意に
クラス委員長
とクラス委員長に声を掛けられた。
クラス委員長
しまった、すっかり忘れてた。
伽々里美里
とクラス委員長にお礼を言って、私は職員室へ急ぐ。
雨が近いのか、空調設備のない廊下は異常に蒸し暑い。
伽々里美里
と飛び込んだ職員室が、一瞬、冷蔵庫のように感じられた。
小野先生
窓際の席から、担任の小野先生の声が飛んだ。
伽々里美里
小野先生は、教育者というより姉御肌と言った方が相応しい雰囲気の先生だ。
私は大急ぎで小野先生に駆け寄る。
小野先生
と、また声が飛んだが、時すでに遅し、私はもう小野先生の目の前に立っていた。
ふう、と小野先生はため息をつく。
小野先生
伽々里美里
小野先生
ちょっと意外そうに小野先生は言う。
小野先生
えへへ、と私は笑って誤魔化す。もちろん、そんな訳が無い。
それは先生も察してくれたらしく、
小野先生
と、半ば呆れたような苦笑を浮かべる。
小野先生
先生は、私の手の上にポンと日直日誌を載せた。
そして、思わせぶりに私の顔を覗き込む。
小野先生
伽々里美里
一瞬、私は言葉を詰まらせた。
小野先生
慌てて、私は
伽々里美里
と言葉を返す。
────嘘だ。本当は、あまり眠れていない。
どうしても夢を見てしまうのだ。
あの旧校舎にいた男の人の夢を。
最初はぼんやりだった夢が、日を追うごとに明確になって行く。
夢の中で、私達は無数の本に囲まれていた。
見たこともない狭い部屋。壁を覆い尽くす書架。机の上に置かれた白紙の四百字詰め原稿用紙。そして、赤いペン。
私と向き合ったあの人は、何も言わず、やはり哀しい目をしていた。
────何か言ってくれたらいいのに。
────違う、そうじゃない。私はこの人に言葉を求めるのではなく、この人の存在自体を忘れなければならないのに。
毎夜毎夜、夢の中で自問自答し、気付けば眠りが浅くなっている。
もしかしたら、私はもう、あの人のことを忘れられなくなってしまっているのかもしれない。
だって、あの夢は、もはや『記憶』が本体なのか『想像』が本体なのかわからなくなってしまっているのだから。
小野先生
伽々里美里
いったん小野先生にお辞儀をし、私は界先生の机に向かう。
どこに行ったのか界先生の姿は見えず、その代わり、机の上にはクラスごとに束にされたプリントの山が積まれていた。
その山の中から、私は『1年2組』と付箋のついたプリントの束を探し出す。
プリントには、夏休みの注意事項が書いてあった。高校生になってもこんなプリントが配られるんだなあ、なんて思いながら視線を滑らせると、界先生の机の脇に、見覚えのある段ボール箱が置いてあることに気が付いた。
旧校舎の図書室でメモ用紙や筆記用具などを入れた、あの段ボール箱だ。
段ボール箱は中途半端にしか閉じられておらず、その隙間から、私の見つけたメモ用紙が覗いて見えた。
【耳なしの 山のくちなし えてしがな 思ひの色の 下染めにせむ】
その赤く美しい文字に、私の心臓は大きく高鳴った。
思わずしゃがみこみ、私は段ボール箱の隙間からメモ用紙を引き抜く。
指先が震えた。
犯罪者であるあの人が、思いの丈を込めて書いた文字。
この内に秘めた愛情が、いつしか間違った方向に行ったのだとしたら……。
私は周囲を見回した。幸いにも、私がメモ用紙を手に取ったことに気付いている人はいない。
小野先生でさえ、机の上の書類に目を落としている。
メモ用紙を、プリントの束の中にそっと隠す。いけないことだと分かっているけど、もしかしたら、このメモ用紙が何かの糸口になるかもしれない。
ふと、私の目に、何かの光が入った。
段ボールの中で鈍い光を放つそれは、赤い薔薇の封蠟────手紙を封印する時に用いられる、蠟の刻印だ。
私の目は、その赤い封蠟に釘付けになる。
白かったであろう封筒は、すでに黄ばみ薄汚れていたが、そのに捺された封蠟だけは、今でも誰かの開封を待ちわびるかのように独特の輝きを放っていた。
────それは、本当に一瞬のことだった。
どうしてそんなことをしてしまったのか、自分でも分からない。
私は
伽々里美里
と一礼して、職員室を後にした。
駆け足の上履きの音に、心臓の音が激しく呼応する。
むっとする空気に、私の額から一筋の汗が流れた。
窓から差し込む夏の光が、やましい私の心を責め立てているような気がした。
私の手にしたプリントの束には、色褪せたメモ用紙と封筒が隠されていた。