テラーノベル
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─────おや、 来て下さったんですね
……ふふ、 きっと、貴方なら 来て下さると思っていました
ここも少し、変化がありましたよ
─────まぁ 相変わらず、暗いのですが……
多少、居心地は良くなりました
それでは、続きを見に行きましょうか
足元が暗いので 途中まで、私の手をどうぞ────
─────キィ……
古びた蝶番が軋む音が 静寂を切り裂く
開いた扉の向こうに立っていたのは Mr.銀さんの父親だった
驚きとそれを包み込む様な 優しさが混じった、笑顔
けれど、 俺はその顔を直視できなかった
目を伏せて ただ、爽に手を引かれるまま立ち尽くす
本当は───── ─────来たく、なかったんだ
顔を合わせる勇気なんて そんなもの、持ってない
あの時、血に塗れた俺の姿を 彼らは見てしまった 死体が転がる現場を あんな形で晒してしまった
─────罪悪感が 胸の奥に重くのしかかる
ふいに、爽の声が響いた 俺は思わず顔を上げる
───その時
爽の指が ぎゅっと俺を手を強く握った
その横顔はまるで 「大丈夫」と、語りかけるような
静かな笑みを浮かべていた
その声に 俺は何も言えず、ただ頷いた
爽と手を繋いだまま 家の中へと踏み入った
張り詰めていた心が 僅かに、けれどたしかに─────
緩んでいくのを感じた
家の中に1歩 足を踏み入れた瞬間─────
ふわり、と あたたかい香りが鼻をかすめた
炒めた玉ねぎと、ニンニク トマトの酸味に混じる、ひき肉の旨み 湯気の奥から漂ってくる、パスタの匂い
知らないはずの匂いなのに
胸の奥がふいに きゅっと、締め付けられる
奥から現れたのは エプロン姿のMr.銀さんの母親だった
優しい声でそう言うと
躊躇いなく俺に近づき タオルでそっと、顔を拭いてくれた
まるで、我が子に触れるような どこまでも、優しい手つきで……
─────あぁ、どうして…… こんなにも“懐かしい”と 感じるんだろう……
───いや、思い出せない筈なんだ
俺は、長い年月を生き続けてきた ……生き過ぎてしまった、 幼い頃に死んだ両親の記憶なんて とうの昔に、消えてしまったのに……
……それでも 胸の奥に、確かに「何か」が疼く
今度は、Mr.銀さんの父親が タオルを持って来た
笑いながら タオルを渡す素振りも見せずに
ガシガシ、と 豪快に俺の頭を拭いてくる
その手は少し荒っぽいけど
どこか優しくて 励ましを含んでいた
不意に、胸が痛んだ
この体は、もう 痛みなんて感じないはずなのに
“呪い”で、痛覚は無くしたはずなのに
それなのに 確かにここに、痛みがあった
俺は、その“理由”を知っている ─────思い出したからだ
幼い頃 熱を出して魘されていた時に 額に乗せられた、冷たい布の感触 転んで泣いていた時 抱き上げられた、あの腕のぬくもり 何も言わずに隣にいてくれた 背中に伝わる体温 言葉よりも先に そっと、差し出された掌の優しさ
これは全部 過去の霧の中に、埋もれていたはずだった 長い時間の中で それを「忘れた」と、思っていた ─────いや、 「忘れるしかなかった」のかもしれない
けれど、今───── この二人の仕草と声が その記憶の扉を、静かに ……でも、確かに開いたんだ
諦めていた、優しさを 忘れていた、ぬくもりを 自分にはもう、縁の無いものだと 切り離していた、“それら”を………
心のどこか深くに しまい込んでいたはずの記憶が 滲むように、蘇っていく
それが心に触れた瞬間 まるで、 氷がゆっくりと溶けていくような 柔らかな痛みが、胸の奥を包んだ
Mr.銀さんの両親side
タオルで、そっと髪を撫でる
その度に、 彼は小さく喉をひくつかせ 痛みを堪えるように、奥歯をかみ締めていた
泣いてる訳じゃない でも、その瞼の奥には 決して溢れさせまいとする何かが 必死に踏みとどまっているように見えた
たった、これだけの事が… ただ、 頭を拭かれているだけなのに────
それが どれほど彼の心を揺らしているか 痛い程、伝わってきた
(この人は……どれだけ長い間 こんな風に、誰かに触れてもらう事を 心の底で待ち続けていたんだろうか……)
嬉しさや、懐かしさだけじゃない きっと、それよりも 「恐れ」の方が、はるかに大きい
今、ここにある温もりが まるで幻のように 手のひらから すり抜けてしまうのではないか、と
願い続けた今日という日が 「夢だった」と 告げられてしまうのでは、と
俺たちは、手を止めなかった
そっと、何度も 濡れた髪を、手を、顔を拭いた
語られることの無い言葉を 祈るように、滲ませながら
「ここにいるよ」と 彼に、伝わるように
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