開いていただきありがとうございます! このストーリーは、この連載の第十話となっております。 注意事項等、第一話の冒頭を"必ず"お読みになってから この後へ進んでください。
ねえ、りうら。
聞こえてくる、切ない声。 ふっと目を開ければ、 目の前には誰もいない。
…幼く、小さい影ですら、無い。
りうら、そこじゃないよ。
…だから。 何回言ったら納得するのだろう。 俺は「赤瀬りうら」じゃなくて、 あんなものは偶像で。
「赤瀬りうら」じゃ、ないよ。
…え、?
ずっとりうらって呼んでるでしょ。 なんで分かんないの?
少し怒っているような、 でもなんだか泣きそうな、 震えた声。 幼い、声。……幼い?
…本当に、この声は。幼い声か?
夢の中で聞いた、あどけない声じゃない。 呂律が回らないような喋り方じゃない。 …まるで、まるで。
"俺"と、そっくりな。
早く思い出しなよ、いい加減。
一体、何を。 俺の人生の中で、 思い出したほうがいいことなんて。
"……全部、忘れろ…っ、!"
…忘れろって、言われたんだ。
そうだよ、言われた。 りうらは確かに言われたし、 それに頷いて逃げたんだ。
…でもさ?
ああ、なんだろう。 頭の中がぐるぐる巡っていく感じ。 何かをしでかしてしまった感じ。 焦りと、恐怖と、あと。
りうらは、忘れちゃっていいの?
…あれ、? 俺、なんで今、夢の中にいて。
飲み会に…いたのに…?
あんなに大好きだったのに、 あんなに大切だったのに、 あんなに愛してくれたのに、 忘れちゃっていいの?
俺は、今、どこで眠ってる? 家にはいつ帰った? …そもそも、いつ、眠りについた?
…せっかく、チャンスくれたんだよ。
……チャンス?
今だって、泣きながら、 「ごめん」って謝りながら、 りうらのこと心配してくれてる。 りうらのこと、だけじゃなくて。
…頭に、浮かぶ。 心配そうな震えた声と、 差し出されたコンビニの袋。
味のしない、朝食。
…がんばって。ね。
…あぁ、幼い。 声はすぅっと離れていく。 どこに行くの、待って。
置いていかないで。
"ねえ、おいてかないで。"
…ねえ、りうら。
お願いだから、ひとりにしないで。
…なんだ、? 声がする。 どこかから、温かい声。
安心、する。
浮かび、揺れる足。 触れる温もり。 喧騒の中に響く、誰かの声。
ああ、夢に似ている、と。 なんとなくそう思ったんだ。
…ここだって、きっと夢なのに。
ああ、このまま揺られていたい。 自分の仕事も、役目も、偶像も、 全部を投げ出して。
そうしたら、 毎日見ていたあの悪夢だって。 きっともう忘れられる。
"忘れちゃっていいの?"
…もう、よく分かんないよ。
毎日夢に見るくらい、 辛くて、でも大切な出来事だったと思うんだ。 …でも、その出来事よりも。
忘れろって言った、その人の方が。 俺にとって、ずっと大切で。
だから、きっと。 何がなんでも、全部忘れようと思ったんだ。
…何も出来なかった、あの頃の俺なりに。 その願いにだけは、応えたくて。
ドアが開く音。耳慣れた音だ。 長く住んできた、俺の家。
…家……、?
…ああ、何か。
変な、感じ。
変、というか。
……嫌な、感じ…?
??
薄暗い部屋の中。 温かい毛布。 広がっていく視界の中で、 真っ先に飛び込んでくる文字。
ライア
ああ、帰ってきたんだなあ、なんて。 そんなことをぼんやりと思う。
…今まで、何をしていたっけ。 どうやって帰ってきて、 どうやって寝たんだっけ。
ああ、前にも。 確か、こんなことがあった。
「何かあったら、絶対いつでも言うんだよ。 これ先輩命令ね、約束。」
いつか送られてきたメール。 心配そうなあの瞳。 …今日も、また何か迷惑をかけただろうか。
??
じゃあ、今視界の端に映っている、人影は。 きっと、きっと彼だ。
…そうじゃ、なきゃ。
??
どこか怯えたような声。 ドン、なんて音がして、 視界から人影が消える。 力が抜けたような息が、ふっと聞こえる。
??
…体を、ゆっくりと起こす。 脳はまだふわふわとしていて、 正常な判断を下してくれない。
ターゲット
"兄貴って呼んでもいいですか?"
"そんなもんいくらでも呼べ、w"
…正常な判断を、しなきゃ。
本当なら、今すぐにここから逃げて。 証拠も、痕跡も全て消して、 俺は早く報告しなければいけないのに。
ターゲット
…その、怯えた表情に、縋りたくなって。
ターゲット
築いてきた関係値は、 まだ崩れていないらしい。 彼の大きな瞳には、まだ希望が宿っていて。 その震える手で、壁一面の紙を指差した。
ターゲット
ターゲット
…ああ、もう。 これだから、感情はいらないんだ。
普通の同業者ならきっと、 ここで泣きじゃくってしまうだろうから。 こんな絶望した顔を見て、 善人を裏切った罪悪感を感じて、 ごめんなさいって謝る以外に、 自責を軽くする方法が分からないから。
感情のない、嘘つきでよかった。 絶望なんて勝手にしていれば良い。 勝手に期待して、勝手に裏切られ、 そんなの全部、俺の知ったことじゃないだろ?
ターゲット
笑いが込み上げてくる。 怯えたような、 立ち上がることもできない彼が、 後ずさって俺から離れていく。
どうでもいい。どうでもいい。
ターゲット
"置いていかないで。"
ただ、始まる前に戻るだけだ。
ターゲット
"お願いだから、ひとりにしないで。"
そんな感情、俺にはない。 この、「ライア」には無い。
「赤瀬りうら」になら、 あったのかもしれないけれど。
ターゲット
…それなら、今笑っている俺は。 この、おかしいほど込み上げてくる笑いは。
一体、どんな感情を持った笑いだろうか。
ターゲット
…あれ、なんだろうな。 なんか、なんか変な感じ。
ターゲット
…惨めだ。本当に。
だからこそ、笑えてくる。
ターゲット
ああ、この笑いはきっと。 …あまりにも、情けないからだ。
ターゲット
「寂しい」と、思ってしまった自分が。 感情などとは無縁の世界で生きてきた俺が、 今、そんなことを思ったことが。
裏切ったのは、俺なのに。 怯えて離れていく彼を見るのが、 本当に、本当に苦しい。
ああ、おかしい。 ちゃんと、笑えてくる。 「赤瀬りうら」じゃない、俺が笑っている。
普段使わない表情筋が、痛くて。
ターゲット
…笑えない。笑えない。
"お願いだから、ひとりにしないで。"
一人だったんだ。ずっとずっと。
たくさんの「善人」に囲まれる偶像たち。 「ライア」には、あの温かい瞳があって、 「赤瀬りうら」には、彼がいて。
俺には何もない。 誰からも愛されず、必要とされない。
ターゲット
…ねえ、ひとりにしないで。
ターゲット
…俺はもう、「赤瀬りうら」じゃないのに。
彼がそう呼んだ声に反応して、 涙が一筋、頬を伝って落ちていった。
「ライア -その線で⬛︎して-」 第十話
コメント
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うわぁぁ赤くんが起きた時に黒くんの名前が「ターゲット」に変わるの奥深い…、 これからどうなるんだろ、楽しみだ😇💞