桃side
突如目の前に現れた人影に、 先ほどまで軽やかに動いていた脚が地面に引っ張られているみたいに重く、動かなくなる。
顎に無造作に生やされた無精髭。
汚れているのか、 黄ばみかかっている半袖シャツには所々に土などがこびり付いている。
側から見たらただのホームレスのように見える男のその姿に、俺は一瞬で強い不快感と恐怖感を抱いた。
そして喉の奥から声を絞り出す。
ないこ
その男は俺のかつての父、 桃崎芳雄だった。
見た目は随分と汚れてしまったが、 目元や声、雰囲気などから父だと俺の記憶と男が一致した。
桃崎 父
ないこ
父は光が無くなった瞳で俺のことを睨むと、おぼつかない足で一歩前に踏み込んでくる。
俺も反射的に一歩後ずさった。
桃崎 父
ないこ
父は俺の言葉を聞いてチッと舌打ちをすると、仕方なくと言った様子でその場に立ち止まった。
俺は動かなくなった父を確認すると__その状況を使って、画材屋までの道のりへ全速力で逃げた。
ないこ
ないこ
後ろを向かずに、ただひたすら画材屋に続く歩道を駆け抜けていく。
画材屋の近くにある踏み切りが見えたその瞬間・・・・・・左腕が突如勢いよく引っ張られて、薄暗い路地裏に体を投げ込まれた。
ないこ
その反動でコンクリートの壁に背中を打ち付け、 思わず口から呻き声が漏れる。
荒々しい息を吐きながら恐る恐る顔を上げると、そこには街灯の光に反射して顔がよく見えない父の影があった。
ないこ
父からの返答は無い。
だがその代わり突如俺は腹を靴底で思いっきり蹴られ、襲ってきた痛みに顔を歪め「ぐぁっ」と声が出る。
桃崎 父
桃崎 父
ないこ
何を言っているのかわからない、 と言う感情で父を見上げると、それでも奴は今度は俺の顔面を殴ってきた。
痛い、やめて、もう嫌だ。
自分の脳内を父に虐待されていた頃の記憶が流れ込んできて、 恐怖が一気に絶望へと変わった。
なんで、だってもう父さんからは逃げたはずで・・・・・・会わないはずなのに。
苦しさと恐怖で助けを呼ぶ声さえも出ない俺は、 ただただ父からの暴力を全て受け止め意識を失わないようにもがく。
ないこ
体が限界に達して、 俺はすがる思いで父へ腕を伸ばす。
すると父は何故か暴力をはたと止め、憎しみ恨み苦しみ・・・・・・そんな感情が篭った瞳で俺を見下ろしてきた。
桃崎 父
ないこ
桃崎 父
息子に金を要求する父なんているのか
酷く困惑しながらも、 動かすだけで気持ち悪い頭を横に振って「嫌だ」と断る。
ないこ
ないこ
そう__父は俺たちが家出した前日、突如姿を消した。
俺たち、息子二人を置いて。
だからあの夏の夜、 俺はりうらと逃げたのだ、 ここが唯一父から逃れられるチャンスだと確信して。
りうらは知らなかったのかもしれないが、父は母が亡くなってからずっと、金絡みで女性と交友関係を持っていた
仕事で働いているだけでは暮らすだけの財産が足りず、 女性へ手を出せば何万円もの金を貰って帰ってくる。
食料を買うことさえままならなくなって飢え死にするのも嫌だが、 仕事とは違うもので金を稼ごうとする汚い父の考え方が、 俺は大嫌いだった。
そして今女性に捨てられたのは自分の所為の癖に、 こうして息子から金を奪おうと暴力を振るってくる。
桃崎 父
ないこ
子供から金を巻き取ろうとするなんて、考えている事自体頭が悪い。
昔を思い出し呆れる事さえ面倒くさくなった俺は、 スマホを背中と壁の間で開いて、電話が描かれたアプリを押す。
そして怪しがられないように父の姿に意識を集中しながら、 スマホの画面を適当にタップして自分の尻の近くの地面に置いた。
桃崎 父
ないこ
ないこ
チッと舌打ちした父は、 若干喧嘩腰の俺に苛ついたのか言葉を遮るようにして、 俺の腹を問答無用に蹴る。
本格的にそろそろヤバい。
体力も無くなってきたし、 体の節々の痛みも増してきて、 脳が揺れているみたいにグラグラする
ないこ
桃崎 父
父に聞こえないぐらいの声量でそう呟いた俺を、怪訝そうに父は見下ろし、また舌打ちを繰り返す。
桃崎 父
俺の顔面に向かって手のひらを広げ、勢いよく振りかざした父の腕が__突如ピタリと止まる。
恐る恐る目を開けて視線を上げると、そこには瞳に怒りを滲ませたまろが父の腕を片手で掴んでいる様子が窺えた
いふ
ないこ
桃崎 父
父は背後から突如現れたまろに激しく動揺し、なんとか掴まれた腕を解こうと必死になっている。
だが彼の手はさらに力を増し、 どんなに動かされてもピクリとも弱まることは無かった。
いふ
桃崎 父
全く意味がわからない、とでも言うように、父は嘲笑も含めたような声色でそう放つ。
しかしまろは表情をひとつも変えず、 愚民を上から見下ろすような鋭い目つきで父を睨むと、 後ろを振り返って叫んだ。
いふ
いふ
まろの呼び声に合わせて、 外から制服姿のほとけっちと初兎ちゃんが顔を覗かせたと思うと、 父の横をすり抜け俺に近づいてくる。
ほとけ
初兎
ないこ
俺がそう尋ねても「詳しい事は後で」と変にはぐらかされて、 仕方なく路地裏から出口へと二人に支えられながら歩く。
悠佑
りうら
ないこ
救急車とパトカーの近くで手を振るアニキと、涙目でこちらへ駆け寄ってくるりうら。
流石に抱きつく事は難しいと判断したのか、りうらは俺の目の前に立っては「ごめん、ごめん」と何度も謝っては涙を流し続けた。
りうら
ないこ
ないこ
「りうらだったら助けも呼べなかったでしょ」と尋ねると、鼻を啜りながらりうらは「そうかもだけどさ・・・・・・」と申し訳なさそうに頷いた。
いふ
桃崎 父
いふ
いふ
まろは警官に父を受け渡すと、俺の方に近づいてきて安心させるようにニコリと微笑んだ。
ないこ
いふ
ないこ
スマホはまろに電話をかけていたらしく、その意図を汲んだまろもどうやら俺の伝えたかった事が分かったらしい
いふ
いふ
いふ
いふ
ほとけ
いふ
そう、俺は一か八か近くにある踏み切りの音が電話の向こうの相手に届けばいいなと連絡したのだ。
俺の声や父の怒号、暴力を振るわれている音などで小さくしか聴こえないが、カンカンカンという音が誰かしら聞こえるはず。
当たるか外れるかの二択だったが、当たって良かったと心から安心した。
悠佑
悠佑
悠佑
いふ
救急車に乗り込む前に、抵抗する事さえなくなった父の小さな後ろ姿が俺の視界に入り込んでくる。
ないこ
まだ母がこの世にいた時、父は幼い俺たちに絵本を読んでくれたり、サッカーなど遊びにも積極的に付き合ってくれていた。
今はこんな形になってはしまったが、あの時の過ごした時間は今も変わらず、俺の記憶にしっかりと刻まれている
りうら
そしてりうらの脳内にもきっと__
ないこ
寂しそうに父の背中を見送るりうらと、こちらを振り向こうともせずパトカーに乗り込んだ父の影が__綺麗な月に重なった。
いふ
ないこ
文化祭当日。
すっかりあの事件から事が落ち着いた俺たちは、いつも通り開催された文化祭で体育館へと集っていた。
ほとけ
いふ
初兎
いつも通り不仲を演じる二人を初兎ちゃんが苦笑して止めつつ、隣でパンフレットを広げたアニキが尋ねる。
悠佑
いふ
りうら
ないこ
いふ
決め台詞を吐いて体育館ステージ裏へと駆けて行ったまろの姿を見送った俺たちは、 客席の真ん中辺りをキープする。
そして演奏途中だったバンドが終わり、ステージの明かりが暗くなった瞬間__まろがマイクを持って登場した。
りうら
いふ
観客
初兎
後ろのバンドの人たちが準備を整えるまでの間、 まろがバンドマンが観客に問いかけるような言葉をいくつも発する。
その状況を家族全員で苦笑しながら見守ると、突如シーンと音もなく静かになって音楽がかかり始める。
いふ
楽しそうに歌うまろを見ながら、周りの客たち、そして目を輝かせてまろを見上げる弟たちの姿を順に見る。
__この家族に出会えて良かった。
正直怖かった、父に見つかった時はどうすれば良いのかわからなくて。
俺死ぬのかな、なんてネガティブな思考ばかりが頭の中を埋め尽くして。
でもこの家族が、 兄弟が救ってくれた。
本当に感謝してもしきれない。
いや・・・・・・それでも少しずつでも返していくのだ。
これから何十年、何百年先とみんなで過ごしていく時間のなかでゆっくりと自分のペースで。
いふ
歓声の中手を振るまろの姿を見ながら、頬を伝う涙を拭く事もせずに俺はただそう心の中で誓ったのだった。
No side
文化祭終わり 夜中
いふ
目を伏せながら悠佑の名を呼ぶいふに、悠佑は不思議そうに首を傾げて「どうした」と尋ねる。
悠佑
『相談事』という言葉に、いふの肩がピクリと震える。
もう時刻は12時を過ぎていて、兄弟たちは寝静まりもう起きているのはリビングにいるいふと悠佑のみ。
弟たちが二階へ上がっていくのを狙っていた、と言わんばかりのそのいふの行動に悠佑は若干の違和感と不自然さを覚えていた。
いふ
いふは珍しく弱々しい声で言う。
そして何かを決意したのか、ギュッと一度目を閉じると悠佑の瞳をしっかりと捉え、話し始めた。
いふ
悠佑
コメント
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え?なになになになに??? うわぁん最高すぎて泣ける 続き待ってますありがとうございます