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#追放
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深い奈落の底で漂う瘴気は、最初こそ肺を焼くような苦痛だったが、ずっと吸い続ければ身体が慣れてしまう。
紫黒色の靄が皮膚にまとわりつき、呼吸のたびに喉の奥で苦い味がするのも、もう日常になっていた。
……慣れたくなんてなかったけどさ?
薄暗い岩肌の通路を進んでいると、辰夫が不意に足を止めた。
その竜の瞳が、暗闇の奥を見据えて細められる。
「……微弱ですが、魔力反応があります」
空気が変わった。
瘴気の流れが、そこだけを避けるように歪んでいる。
「なんだ……これは……何か、とても古い……」
辰夫は言葉を切って、眉間に深い皺を寄せた。
「……懐かしい、ような……いや、まさか……」
「何よ、ビビってんの?」
強がってはみたが、私も背筋に冷たいものを感じていた。
「……まあ、確認するしかないか」
慎重に歩を進める。
通路の奥から、微かに……金色の光が漏れていた。
通路の突き当たりには、苔むした古びた石の祭壇があった。
その上に、肩まで覆うほど巨大な籠手が左右一対、静かに鎮座している。
金色の文様が籠手の表面を這うように刻まれ、
まるで生きているかのように淡く脈動していた。
「え?……こ、この籠手……見覚えがあります。かつてユズリハ殿が──」
すると突然、籠手から明るい女の声が響いた。
『サクちゃん! お姉ちゃんだよーん! やっほー☆ 会いたかったぞぉー妹ォィィ!!』
「のわッ!? 軽ッ!?」
「おわッ!?」
思わず二人とも後ずさる。
「なになに!? 籠手が喋った!?」
『ユズリハよ! サクちゃんのお姉ちゃん!』
「は!? 私に姉なんていないし!? つーか籠手が喋ってるし!?」
『あー、話せば長くなるのよねぇ』
籠手から漏れる声は、妙に気楽そうだった。
「……ユズリハ殿の籠手だと思ったら、まさかのユズリハ殿だった!?」
辰夫がドン引きしている。
『久しぶりね、リンドヴルム』
「リンド……? あー、今はこいつ辰夫って名前だから。覚えやすいでしょ?」
『わかった! 良い名前ね! じゃあ辰夫! おひさー!』
「「やっぱ軽ッ!?」」
あっさりと名前を変える軽さに、二人は同時に声を上げた。
「……ユズリハ殿……なぜ籠手に……!?」
辰夫の声が震え始める。
竜の瞳に、今まで見たことのない感情が宿っていた。
「それよりも……話したいことが山ほど……」
《天の声:──千年。
彼は主を失ったまま、時間だけが過ぎた。
現在、千年分の感情が渋滞してます。》
「……今は、何から話せばいいのかも分からない……………」
──辰夫は沈黙した。
千年分の時間が、その一言に詰まっていた。
握った拳がわずかに震え、瞼が熱くなるのを必死で堪えている。
『細かい話はあとあと! サクちゃん! 私を装備してみて!』
──私はジッと籠手を見る。
「……やだよ! 落ちてた物だし! 誰が着けてたかも分からないし! 汚い!」(ポイっ)
私は籠手を投げ捨てた。
ガランガラン……。(※虚しく転がる籠手の音)
『まさかの潔癖症!? 千年物のアンティークなのに!』
「話が進まないから装着しましょう! 感動の再会を台無しにしないでください!」
辰夫が涙を引っ込めてツッコミを入れる。
「いや! いやよ! 汚い!」
『……私が……汚い……?』
「握手というのは、相手の菌と親しくなる儀式だ! だから私は殴る! この拳で!」(※ムダ様語録)
『いやそれ名言っぽく言ったけど意味分からんからな!?』
ユズリハの光がしゅんと弱まる。
『千年……ずっと待ったのに……妹に汚いって言われた……』
「……うっ……」
ちょっとだけ罪悪感がチクリと胸を刺した。
「じゃあ洗おう! ピカピカにしよう! 近くに川があった!」
『は?』
*
近くの川まで籠手を運び、二人がかりで籠手を磨き始める。
「辰夫! 指の間を丁寧に!
関節部分も忘れずに! 洗剤はこの金木犀の香りで!」
私は洗剤を懐から出して最高の笑顔を見せた。
「なんでそんなの持ってるんです?」
ゴシゴシ……ゴシゴシ……
ゴシゴシ……バキッ!
『おい! バキッて言った! なんか取れたぞ! 大事な部品じゃないのか!?』
「え、なにこれ?」(じーっ)
手のひらに乗った小さな金属片を眺める。
「部品……? これは魔力増幅装置では……」
「わかんね! ポイッ!」(川にポチャン)
『あああ! それ大事なやつ!!』
バキッ! バキッ!
「あ、また何かとれた」(じーっ)
「魔力制御回路のようですな……」
「しらね! ポイッ!」(川にポチャン)
『ダメぇえええ! それも必要! 全部必要なの!!』
バキッ!
「なんかネジみたいなの取れた」
『それは特に大事! 魂を固定してる核心部品!!』
「……」(じーっ)
『お願い! それだけは! それだけは捨てないで!!』
「まぁいいや! ポイッ!」(川にポチャン)
『ああああああ!!』
* 数分後。
「「はい! キレイになりました!」」
ブンブン! バシッバシッ!
水気を切るために籠手を振り回し、容赦なく岩に叩きつけて乾かす。
『もうやめてください……ごめんなさい……汚くないです……部品返して……』
『……売られる前に聞いて欲しい。
サクちゃん? これから大事な話するからね? いい?』
ユズリハの声色が変わった。金木犀の香りを放ちながら。
『私は千年の昔に──』
「ねぇ! 辰夫聞いて! これ凄いよ?」
私はユズリハのシリアスな話を遮り、目を輝かせて辰夫を見た。
「む?」
「これがあれば、憧れの 『ロケットパンチ』 が出来るかもしれない!」
私は興奮して震えていた。
『な……投げる気!? わ、私は千年間、あなたを待って……!』
ユズリハの声も恐怖で震えていた。
*
「さてと。早く地上に出よう! そしたら御馳走を食べよう! 辰夫! たまには奢るよ!」(鼻の下を指でスリスリ)
「まさか……」
辰夫も遅れて震えだした。
『さ、サクちゃん……私を、売るつもりでは……』
ユズリハの声が弱々しくなる。
「喋る籠手! 売っても良いし、見せ物小屋をやれば目玉サービスになりそう!」
『あの……お手数おかけして申し訳ないんですが、もう一度、元の祭壇に戻して貰っても良いですかね?』
ユズリハの声が、完全に虚ろになっていく。
『サクちゃん……一度でいいから……装備してほしかっ──』
「ロケットパーンチ!!」
ポイッ!
『サクちゃぁあああああん!?』
ユズリハの悲痛な叫び声が、暗い奈落の底へとドップラー効果で遠ざかっていく。
ガガガガッ! メリメリメリッ!
……壁に刺さった。
「ユズリハ殿ォォォ!! 我の千年の感動を返してくだされェェ!!」
ついに辰夫が膝から崩れ落ち、頭を抱えて絶叫した。
──その時!!
ゴウッ……!
突然、祭壇の奥の壁が崩れ、濃い瘴気が津波のように吹き出した。
紫黒色の靄が渦を巻きながら、けたたましい地鳴りとともに押し寄せてくる。
「……来ます!! 魔神族クラスの気配です!!」
辰夫が涙目になりながらも、竜の闘気を爆発させて鋭く叫んだ。
「ちょ! マジで敵!? 強いやつ!?
籠手! 籠手! 早く戻って来て!! お願いお姉ちゃん!!」
私は岩壁に向かって全力で媚びを売った。
「サクラ殿……倫理観が死んでおりますぞ……」
辰夫が呆れ果てて肩を落とす。
「サクちゃん……壁から抜けないよぉ……」
遥か遠くの壁にめり込んだユズリハの、情けない声だけが響いた。
(つづく)
──【今週のムダ様語録】──
『握手というのは、相手の菌と親しくなる儀式だ。だから殴った方が良くない?』
解説:
コロナ禍のムダ様は、常に震えていた。
ドアノブに触れれば消毒、誰かが咳をすれば逃走、テレビで「換気」と聞けば窓を全開にして凍死しかける。
「菌が!菌が!」と怯え続け、ついに人間の手そのものを敵視するに至った。
結果、「菌と仲良くする握手」より「一撃で敵を遠ざける殴打」の方が安全と真顔で断言。
衛生観念が過剰に進化した末に、友情表現が暴力に転化したのである。