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人間は嫌いなものに囲まれ過ぎると、食欲が無くなる。私は子供の頃から痩せており、中年を過ぎてから太ってきた。
食欲が無い人なんているのか?という、そのメカニズムに関し説明を要するのは、それは恐らく嫌いなものや、嫌いな事が少なくせいだと思う。
先ず自分の家庭環境が嫌いだった。父母と私の三人家族だったが、母親はことごとく、「中の上」「平均点」を好む女で有り、勉強嫌いだった私は、小学校時代試験の点が悪かった。母親は点数のみを気にし、試験の点数、通信簿の点が悪ければ半日、口煩く言ってきた。やり方は「どうして点が悪かったの?」の繰り返しで有り、理由がわかれば、高得点に決まっているのだ。
また私は学芸会、体育会が大嫌いだった。学芸会で一言もセリフが無い役に当たったと喜んだら、母親は烈火の如く怒り、「セリフがあるほうが良いに決まってるじゃ無い⁉」と言った。「でも役が無くてナレーターだけの人もいるよ。」と私が言えば、「それはもっと良いじゃ無い。あんたは勉強はしないし全くしょうが無い。」と言った。しかし当時は学芸会の衣装は皆母親が縫う事になっており、几帳面で縫いものは得意だが嫌いな母親は、必至で縫っていた。これは私の為では無い。出来が悪い縫い物が出来ない母親と思われたくないためだ。父親は普段母親と喧嘩ばかりする割に、いつも母親に同調した。
しかし私がなんとか勉強するようになったのは、恐らく自分が養女だと思う節があった事で有る。母親も父親も私には金がかかると言った。欲しいもの、クラスの友達が持っているものなど買ってくれた試しはなく、私の出来が悪いので家庭教師や、その他稽古事に費用がかかると言いたいのだ。文字を書くのは今でも下手だが、稽古事の習字は大嫌いだった。先生は年寄りの戦争遺族年金者の嫌味な女性で未婚だった。「陶器が墨で汚れるから手洗いは使わせたくない」と平気で言った。
家庭環境がおかしいのは、性格に反映するのだろう。私は友達付き合いが下手で、高校生ぐらいでやっと友人との付き合い方がわかった。
そして子供なのにどこの家に行っても出されたものを食べ無い、可愛げの無い子供だった。
甘い物は好きだったが虫歯治療に金がかかるので、母親は滅多に与え無い。いつしか甘い物も対して食べたく無くなった。
昼食時生徒は腹が減ったと、お弁当を楽しみにしていた。私は食べられなく、無理に食べたが、決して楽しみでは無かった。味がしないと言う理由で有る。そして臭いが嫌いだった。自宅からの弁当は各家庭の匂いを醸し出し、私はそれが気分が憂鬱になる原因だと思った。
母親が死んで少し家庭環境は変わったが、父親は母親に言わせていた小言を、今度自分で言う様になり、速く言えば、父親もまた世間体命だった。
もう限界と言う理由で私は三十才で独り暮らしを始めた。
一緒に住んでいる者しかわからない、イライラは取り除かれた。
私は自分で料理をし、食べられない食わず嫌いの物も少しずつ食べられる様になった。