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こよい
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第17話:振り込まれた「50万円」〜四十歳の初任給と、黒毛和牛の味〜
毎月二十二日。
GoogleからのYouTube収益が、登録した銀行口座に振り込まれる運命の日だ。
朝九時。俺は万年床の上で正座し、ヒビ割れた格安スマホの画面を、祈るような、あるいは呪うような目で見つめていた。
「……見たくない。マジで見たくない」
ネットバンキングのアプリを開く指が、アルコールを抜かれたようにガタガタと震えている。
画面に表示された残高照会のボタン。それをタップした瞬間、短いローディング画面を挟み、無慈悲な数字が俺の眼球に飛び込んできた。
『残高:515,420円』
『入金:グーグル(カ 512,000円』
「あ……ぁ……」
俺はスマホを畳の上に落とし、両手で顔を覆った。
現実だ。
画面上の「推定収益」というフワフワした数字ではなく、正真正銘、銀行口座に叩き込まれた「現金」だった。
五十万円。
俺がこれまでの人生で、一度の入金で見たことのある最高額は、ケースワーカーの鈴木さんが手配してくれた引っ越し費用の十数万円くらいだ。
俺自身の力で、俺自身の労働(?)の対価として振り込まれた金としては、間違いなく四十年の人生でぶっちぎりの最高額だった。
「……なんだよ、これ」
胃の奥底から、得体の知れない感情がせり上がってくる。
来年の税金が怖い。鈴木さんに生活保護の廃止を宣告されるのが怖い。
その恐怖は確かにある。だが、今、この五十万円という数字を前にして、俺の胸を満たしていたのは――。
「……銀行、行ってくる」
俺は着の身着のまま、サンダルを突っかけて外へ飛び出した。
照りつける太陽の下、近所のコンビニのATMへと走る。
キャッシュカードを入れ、暗証番号を打ち込み、『引き出し』のボタンを押す。
ウィィィーン、という機械音とともに、吐き出し口から姿を現したのは、真新しい福沢諭吉が五枚。いや、今は渋沢栄一か。
ピンと張った五万円分の紙幣を、俺は震える手で鷲掴みにした。
「……本物だ」
指先に伝わる、紙幣のざらりとした感触。
それは俺が四十年間、ずっと遠ざけ、諦め、手に入らないと自分に言い聞かせてきた「社会からの評価」そのものだった。
その足で、俺は近所のスーパーマーケットへと向かった。
いつもなら、迷わず『見切り品コーナー』か『特売のみそラーメンコーナー』へと直行する。半額シールが貼られたモヤシや、カサ増し用の豆腐をカゴに入れるのが、俺の日常であり生存戦略だった。
だが、今日の俺は違う。
財布の中には、俺が、俺自身の言葉で稼ぎ出した五万円が入っているのだ。
俺の足は、吸い込まれるように精肉コーナーの一番奥――普段は絶対に視界に入れないようにしている、ガラスケースの前に止まった。
『国産黒毛和牛 特選サーロインステーキ用(A5ランク)』
美しいサシが入った、芸術品のようなピンク色の肉。
値札には『4,980円』と書かれている。
俺の、約半月分の食費に相当する金額だ。
「……これを」
「え?」
品出しをしていたパートのおばちゃんが、不審者を見るような目で俺を見た。無理もない。ヨレヨレのTシャツにサンダル履きの、うすら体調の悪そうな中年男が、一番高い肉を指差しているのだ。
「この、五千円の肉……一つ、ください」
声が震えた。
カゴにそのパックを入れた瞬間、ズシリとした重みを感じた。肉の重さじゃない。これが「自分の金で買う」ということの重さだ。
ボロアパートの四畳半に帰り、百均で買った薄っぺらいフライパンを火にかける。
油をひかなくても、肉から染み出した上質な脂がジュワァァァッ!と暴力的な音を立てて弾けた。
換気扇からは、これまでこの部屋に漂ったことのない、暴力的に甘くて香ばしい匂いが立ち込める。
適当に塩コショウだけを振り、焼け焦げたちゃぶ台の上に、パックごと肉をドンと置いた。
箸で一切れ掴む。
震える手で、それを口へと運んだ。
「…………」
噛む必要すらなかった。
舌の上で脂が溶け、肉の旨味が脳髄を直接ぶん殴ってくる。美味い。狂うほど美味い。
「っ……、うぅ……っ」
気がつけば、俺の目からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「なんだよ、これ……。なんだよ、これぇ……ッ」
肉が美味いから泣いているんじゃない。
この肉は、国から支給された税金で買ったものじゃない。親のすねをかじって買ったものでもない。
四十歳。白髪も生え始め、体力も落ち、社会の底辺を這いずり回っていた俺が。
画面の向こうの若者たちと笑い合い、泣き合い、彼らが「ありがとう」と言って俺に投げ銭してくれた金で買った、俺の、俺だけの肉なのだ。
「うぅ……っ、美味え……。こんな美味いもん、食ったことねえよ……ッ!」
鼻水を垂らしながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、四十歳のおっさんが和牛を貪り食う。
その夜の配信。
俺は画面の前に、空っぽになった黒毛和牛のパックと、レシートを突きつけた。
「……お前ら。今日、収益が振り込まれた。五十万円だ」
『ファッ!?』
『五十万www』
『すげええええええ!』
『おっさん、やったな!!』
「うるせえ。俺は今日、お前らの金で、スーパーで一番高い五千円の肉を食った。……美味かった。四十年生きてきて、一番美味かった」
声が震えているのを、誤魔化すことはできなかった。
「税金は怖いし、明日市役所に自首しに行くのもゲロ吐くほど嫌だ。でも……お前ら、本当に、ありがとうな。俺みたいなゴミに、こんな美味い肉を食わせてくれて、ありがとう……ッ」
俺が頭を下げてガチ泣きし始めた瞬間。
同接5万人のコメント欄は、かつてないほどの温かい草(w)と、涙を流す顔文字、そして止まらない「おめでとう」の弾幕で完全に埋め尽くされたのだった。
コメント
1件
このエピソード、めちゃくちゃ泣けました……🥀 俺が自分の力で稼いだ五十万円。五千円の黒毛和牛を噛みしめるたびに込み上げてくる四十年分の感情が、画面越しに痛いほど伝わってきて。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら「美味い」って叫ぶ姿に、私ももらい泣きしそうになりました。 「お前らの金で」って言える関係性、視聴者さんの優しさが染みます。ゆうきさん、この温度感、本当に丁寧に描けてると思います。次の話も楽しみにしてます🌙