真円に近い孔の周囲では、今しがた飛び火したと見られる火床(ほど)の残火が、なおもチラチラと燻っていた。
これをひとまず叩(はた)いて消し去り、ともかく現状の把握につとめる。
女性の佇まいに変化は見られず。 その様子はまるで、冷たい雨の中で待ちぼうけを食らったように所在ない。
得物も同じく、持ち主に倣(なら)って突っ立ったまま。 ただ、こちらはかの面妖な秘術の例に漏れず、先よりもいささか寸法が嵩(かさ)んでいるようだった。
辺りには、これといって変わったところは見受けられない。
相変わらず恐ろしい寒気が居座っており、グラウンド一面に霜露(そうろ)の白花を満開にあしらっていた。
「てめえ、いま何しやがった?」
思い余って投じると、先方はお決まりの仕草で上品に笑った。
見事に神経を逆撫でされた虎石だが、なけなしの冷静な眼は、彼女の口元に添えられた手指に、かすかな霜焼けが生じているのを見逃さなかった。
この冷気、どうやら本人もノーダメという訳じゃないらしい。
そこに勝機があるか。
「もう降参?」
「なんだと?」
「種明かしをご所望では?」
小首を傾げる仕草に伴い、透けるような銀髪が微かに波打った。
「いいや……。 教えを乞うのは嫌いなんだよ」
魅入られたつもりはないが、どうにも調子が狂う。
相手が同業だからか? いや、そんな単純な話じゃねえな……。
「どうしました? お顔が真っ赤ですよ?」
「オメーも鼻ぁ真っ赤だぜ?」
御遣とは、言わば地の尖兵だ。 天に与(くみ)せず、天のやりように怒り、天の有りようを呪う。
切先を向ける先は決まってる。
ところがコイツはどうだ? 真上に振りかざすべきそれを、てめえの喉元に突きつけている気がしてならない。
自殺願望……、違うな。 そこまで歴(れっき)としたものじゃなく、もっと曖昧で、もっと禍々しい何か──。
「そんなに見つめられると、身の危険を感じてしまいます」
「興味本位だよ。 それにな? こちとら女の趣味はいい方なんだ」
あのイカレポンチを参考に剽(ひょう)げてみるが、どうもしっくりと来ない。
人には分に適した相応の振る舞いがあって、これを弁(わきま)えず事をなすのはそれなりに度量がいる。
いや、今となっては下らない考えだ。 これもひとつの職業病か。
「オメー、他所の大会でも派手にやったって話だが、どうなんだよ実際」
「はぁ……、どうとは?」
「手前(てめえ)より弱え奴ら相手にして、面白かったかよ?」
なるべく話を引き伸ばせ。
奴の手はいよいよ赤みが際立ち始めてる。 悴(かじか)んだ手でどこまで得物を取りまわせるか。
それはこっちも同じだが、打ち直しの余熱が幸いにもまだ薄っすらと柄に残ってる。
さっきみたいな、ワケの分からん一撃に気をつけてさえいれば
「おもしろいわけがないでしょう?」
「あ?」
「よわいものいじめ、おもしろいわけがないですよ」
女性の雰囲気が変わった。
上品ながらも人を食ったような態度は変わらず。 しかし満面に張りついた笑みが、先頃よりも随分と凄惨なものに様変わりしていた。
たとえば罪悪感に苛まれながらも、快楽に負けて次々と罪をかさねる外道がいる。
先方の雰囲気は、それとはまったく似て非なるものだった。
ちょうど、小さな子どもが罪の意識を得ず、嬉々として昆虫の翅を次々とむしるような。
「ヤベ……」
つたない手段で籠絡するつもりが、どうやら期せずして地雷を踏んだらしい。
こちとら口下手なのは仕様がないが、女の扱いってヤツは本当に……。
「あなたはどうですか?」
「あ……?」
「簡単に壊れるようなこと、ありませんよね?」
言うが早いか、手指を軋ませて柄(つか)を取った女性は、滑るように躍進し、虎石の鼻先を脅かした。
しかし、この攻め手はあまりにも無鉄砲すぎる。
「バカかてめえは!!!」
ここぞとばかりに渾身(こんしん)の勢威をこめ、鉞を振り下ろす。
「あ……っ?」
直撃を被(こうむ)る間際、卒然と我にかえった彼女は、いたく冷静だった。
安易に身を引かず、さらに踏み込んで、死地の直中(ただなか)に活路を見出(みい)だした。
鉞を操る虎石の両腕、その狭間にわが身をねじ込むや、図らずも喫驚にゆるむ下顎を狙って頭突きを見舞ったのだ。
「んぐぅ……っ!?」
「ぅあぁ……!」
互いに悶絶した両名は、なかばもつれ合うようにして転がった挙げ句、互いに突き放す形で間合いをとった。
「……ちっ、くそ!」
「痛ったぁ……」
「らしくねえな……」
「はぁ……? はい?」
「せっかくの長物、ぜんぜん活かせてねえじゃねぇかよ」
口内を傷つけたか、噛み合わせに違和感がある。
まともに痛手を被った顎先に指を這わせて確認すると、何やら細かな霜のようなものが見て取れた。
のみならず、両腕の内側にうすく氷が張っていた。 先ほどまさに彼女の身柄が触れた箇所だ。
元々の冷気に巫覡(ふげき)の霊威が加算されて、いよいよ寒冷の権化と化しつつある。
底抜けの青空から、今にも小雪がちらほらと舞い出しそうな具合だった。
「………………」
一方の女性は、先ごろ長槍に打ち直した得物を支えに、華奢な体躯をよろよろと取り留めた。
額から一条の朱が伝っていたが、当面の冷気のせいで痛みを感じる余地はない。
途端に愉快な気分になって、喉の奥がコロコロと鳴った。
こんなに楽しいのは久しぶりだ。
そうした思いに突き動かされるように、すっかりと悴んだ手足が、しきりに氷晶を剥離させながら立ち働いた。
こんなに楽しいのなら、もう砕けても構わない。
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