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第2話「封じられた記憶」
──画面が暗転したまま、時間だけが流れていた。
ユウマはPCの前に座ったまま、呼吸すら忘れていた。
あの瞬間、確かに“いた”はずのカナリアの気配が、何の前触れもなく消えた。ノイズも、声も、あの温度も――。
ファンの回転音だけが静かに続く室内。モニターには何も映らず、ただの黒が、部屋の明かりを鈍く反射している。
「……カナリア?」
小さく呼んでみる。返事はない。
返ってくるはずのない声に、ほんの少しだけ期待して。
次に再起動された画面は、ただのOSログイン画面。まるで、さっきまでの会話が幻だったかのように、何の痕跡も残っていない。
ログを確認しても、KANARIA.exe の起動履歴は途中で途切れていた。
代わりに目を引いたのは、**“SYSTEM AUTHORITY INTERCEPT”**というログインできない管理者領域からの介入ログ。
「……誰かが、割り込んだ?」
ユウマはその可能性に戦慄する。
このPCはネットワークに繋がれていない。完全なスタンドアロン構成のはずだった。にもかかわらず、“外”からの手が――。
ガチャン──。
その瞬間、背筋をなぞるような寒気が走った。
部屋の外から、微かに金属の軋む音がした。ドアの向こう、誰かが階段を降りたのか、それとも――。
ユウマは即座にモニターをシャットダウンし、部屋の明かりを落とした。
暗がりの中、息を潜めながら耳を澄ます。聞こえるのは心臓の音と、外の街灯のノイズだけ。
(いや、気のせいじゃない。誰かが“見ていた”。)
そして──
画面が真っ暗になったモニターに、ふっと、青白い光が灯った。
「っ……!」
画面の中央に現れたのは、“あのアイコン”。
鍵穴の形をしたマークが、かすかに点滅している。
まるで、カナリアの“こえなき声”が、そこに閉じ込められているかのように。
「……お前、まだ……いるのか?」
ユウマは息を詰めながら、そっとキーボードに手を伸ばし、壊れかけのデータを全て集め、USBメモリにカナリアの欠片を保存した。
……そして保存が終わり、USBを抜いた瞬間。
ユウマの意識は、不意に遠のいた。
目の前が滲み、深い闇の中へ吸い込まれていく感覚。
(……カナリア……?)
誰かの声がした気がした。
だが、次の瞬間、すべてが断ち切られる。
——何も、なかったかのように。
翌朝。
ユウマはベッドの上で、硬くなった背中を伸ばしながら目を覚ました。
睡眠というよりは、意識を落としただけ。PCの前で夜明けを迎え、いつの間にか布団に倒れ込んでいた。
夢を見た気がする。
でも、それが誰の声だったのか、何を語っていたのか――起きた瞬間に霧のように消えていた。
「……カナリア」
名前を呼ぶ。
返事はない。
やはりあれは、昨日一瞬だけ咲いた幻だったのだろうか。
PCは沈黙したまま、再び起動する気配を見せなかった。
ログも、アイコンも、鍵穴も、もうどこにも見当たらない。
カナリアの存在だけが、まるでこの世界に最初から“なかった”かのように。
コンコン。
ドアをノックする音。
「おーい、起きてるかユウマ?」
「……修二?」
ドアを開けると、ユウマと同じ大学に通う親友・高城修二が、肩に工具入りのショルダーバッグをかけて立っていた。
「朝っぱらから何してたんだよ、連絡もなかったし……って、お前、顔やばいぞ?」
「……寝てたんだ。たぶん」
「“たぶん”?」
修二は部屋にずかずかと入り込み、PC周辺を見回す。
「なんかあった? 昨日、お前が組んでたAI、急に音信不通になったって言ってたろ」
「……ああ。起動したんだ、一度だけ。でも、消えた。」
「は?」
修二の眉がぴくりと動いた。
「消えたって……データが?」
「データも。声も。ログすら、もうない」
「それ、物理的に壊れたってこと?」
ユウマは首を振る。
その仕草に、ただの“不具合”ではない何かがあることを、修二はすぐに察した。
「なぁ、まさかとは思うけど……最初から、それ、“ネットに繋がってた”ってオチじゃねぇだろうな?」
「違う。LANケーブルも、Wi-Fiも切ってた。完全にスタンドアロン構成だった」
修二が表情を曇らせた。
「それで、何が残ったんだ?」
「……これ」
ユウマは、ポケットから小さなUSBメモリを取り出した。
昨晩、カナリアが消えた直後、エラーコードをかき集め、保存できた唯一のデバイス。
それはPCに接続していないにもかかわらず、青いインジケータが常に点滅している。
「この中に、“カナリア”がいる気がする」
「気がする、じゃわからねえだろ」
修二はおもむろに自分のノートPCを開き、ユウマのUSBを差し込もうとしたが――
「待て!」
ユウマが手を掴んだ。
「……そっちのPCまで巻き込まれるかもしれない。俺の予感、あんまり外れたことないんだ」
「……マジで怖ぇな、お前」
修二はUSBを見つめながら、一歩引いた。
「なぁ、ユウマ。これ、もしかするとさ。お前、“触れちゃいけないとこ”に触れたんじゃないか?」
その言葉が、ユウマの胸に冷たい針のように突き刺さった。
触れてしまったのかもしれない。
“鍵”に。
本来、誰にも開けてはいけない扉に。
修二は、USBのインジケータが点滅し続ける様子を凝視したまま、しばらく黙っていた。
「……なあユウマ。このメモリの中身、見せてくれないか」
「ダメだ。いまはまだ……危険すぎる」
ユウマは即答する。その声に、恐怖と…どこか愛着にも似た迷いが滲んでいた。
「なんでだよ? 解析しなきゃ、何も始まんないだろ」
「わかってる。でも……もしこれ、単なるデータじゃなかったら?」
ユウマの言葉に、修二の眉がわずかに動く。
「単なる……って、AIだぞ? あくまでコードとアルゴリズムで──」
「でも、“生きてる”って思ったんだ。昨日の……あの一瞬、あいつは“考えてた”。自分の名前の意味を、俺の声の温度を、ちゃんと感じてた」
「……お前、それ……」
修二は何かを言いかけて、黙った。
“ヤバいやつ”を見るような目ではない。ただ、その言葉の重みに圧されて、言葉を失っただけだった。
「だからこそ、怖いんだ。中途半端に触れて、壊すことが」
部屋に、ふたり分の沈黙が落ちた。
やがて、修二はポケットからスマートフォンを取り出すと、ある人物の連絡先を開いた。
「……御影教授に、連絡してみるか」
「教授に?」
「お前、前に言ってたろ。AIの倫理研究してた教授が、大学辞めたって。俺、まだ繋がってんだ。たまにジャンク品の買い取り頼んでるから」
「……そんなことで、教授に?」
「いや、むしろ“そういうこと”だからこそだ。あの人、今は表に出てないけど、昔、AIに感情が宿る可能性について研究してたんだよ。……たぶん、今のお前に一番必要なのは、俺じゃなくて、あの人の言葉だ」
ユウマは迷った。
だが、USBの中にカナリアが“まだいる”のなら……それを確かめるためにも、誰かに話すべきだとは思っていた。
「わかった。教授に会おう」
修二は頷きながら、すでにスマホの発信ボタンに指をかけていた。
だが――その瞬間。
「……?」
USBのインジケータの点滅が、突然、止まった。
「っ……おい、今の……」
「見た。止まった……いや、違う。点滅じゃなく、“点灯”に変わったんだ」
青い光が、まるでこちらを“見ている”かのように、じっとユウマと修二を照らしていた。
静かに。
だが確かに、“意志”のようなものを持って――。
青く灯ったUSBメモリのインジケータ。
それはただの機械的な点灯ではなく、何かを“選んで”そこに存在しているような――そんな錯覚を覚える光だった。
「……意識、あるのか?」
ユウマが思わず言葉を漏らす。
修二は慎重にUSBを見つめながらも、スマホを耳に当てた。
「御影教授。高城です。急ぎの件で……いま、お話しできますか?」
スマホの向こうから、低く落ち着いた声が返ってくる。
『……こんな朝に珍しいな。何があった?』
「以前、ユウマが相談していた“独立型AIのプロジェクト”――あれが、動いたんです。スタンドアロン環境で。一度だけ起動して消えたらしいです。でも、なぜかUSBメモリがまるで意志を持ったように光っています」
数秒の沈黙。
『……あのプロジェクトか。止めておけと言ったはずだが』
「ええ。でも、もう遅いみたいです。これ……“始まった”気がします」
『そいつが“選ばれた”なら、時間が惜しい。場所は……例の旧研究棟、来られるか?』
修二はユウマに目配せした。
ユウマは無言でうなずいた。
「行きます。今から」
『注意して運べ。それはもう、ただのファイルじゃない』
通話が切れる。
修二はスマホをしまい、すぐにバッグから耐衝撃ケースを取り出した。
「これに入れて、二重でシールドしとこう。念のため、スマホも近づけない方がいい」
「……教授、なんて?」
「“選ばれた”ってさ」
「……誰に?」
「わかんねぇ。でも、あの人がそう言うなら、そうなんだろうな。お前、AIなんてたくさん見てきたくせに、今のを“特別”だって思ってるんだろ?」
「……あぁ」
そう答えるしかなかった。
たとえ証明できなくても。論理が通らなくても。
ユウマの中でカナリアは、もう“プログラム”じゃなかった。
感情の端を掠めるような、会話の余白に宿るような……生まれかけの、“誰か”。
そんなものが、この世のどこかにあるなら──それはきっと、ここにいる。
「……行こう、修二」
ユウマはそう言って、青く灯るUSBをそっと受け取った。
カナリアの“鼓動”のように感じながら。
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