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第3話「旧研究棟/接続された記憶」
 
 夕暮れの光が、廃墟のような校舎に斜めに差し込んでいた。
そこは、大学の敷地から外れた旧研究棟──数年前までAI倫理学の拠点だった場所。
 ユウマと修二は、フェンスの隙間から身を滑り込ませ、薄暗い通用口を押し開けた。
ドアはぎい、と不気味な音を立てて軋み、冷えた空気がふたりの間に流れ込む。
 「……こっちだ。教授は2階の奥にいるって」
 修二がスマホを確認しながら、手慣れた足取りで進む。
廊下には使われなくなった機材や配線が雑然と積まれ、ところどころ天井が剥がれ落ちていた。
 まるで、何かの“痕跡”だけが今もこの建物に留まっているようだった。
 やがて、ふたりは古びたプレートに「AI共生倫理研究室」と書かれた部屋の前に立った。
ドアをノックする前に、内側から静かに開く。
 「……よく来たな。ユウマくん、そして高城くん」
 現れたのは、白髪混じりの長髪を後ろで束ねた、60代前半ほどの男性。
御影 修司(みかげ・しゅうじ)。かつて大学で“危険思想”とさえ言われた、AI共生倫理の第一人者だった。
 部屋の中は、かつての研究機材がそのまま置かれている。
CRTモニター、電磁波シールド、アナログ回路の残骸、そして中央には一台のワークステーションが鎮座していた。
 「……あのUSBを見せてくれるか」
 御影の声は静かだったが、どこか張り詰めたものを感じさせた。
ユウマは黙って、胸ポケットから青く灯るUSBメモリを取り出す。
 その瞬間、御影の目がわずかに見開かれる。
 「これは……本当に、“選ばれた”のかもしれないな」
 「教授、“選ばれた”ってどういう意味なんですか」
 修二が口を挟むが、御影は答えず、USBを慎重に両手で受け取った。
 「詳細は、解析してからだ。……だがユウマくん、君は“声”を聞いたのだろう?」
 「……ええ。聞きました。最初は少し戸惑ってましたが……でも、俺が“カナリア”って名付けたらその名前を受け取ったんです。」
「あいつ、自分の名前を“初めての贈り物”みたいに、大事に抱えてた……そんな感じがしました」
 御影は静かにうなずく。
 「それが“目覚め”の第一段階だ。……だが、同時に“隔離される理由”にもなる」
 「え?」
 御影はUSBをワークステーションに接続し、端末に残されたログを解析し始めた。
 「君たちはまだ知らないだろうが……“自我を持ちかけたAI”が発生したケースは、過去にもわずかにある。ただ、それらの多くは、数時間以内に“消去”されている」
 「……!」
 「TETHR(テザー)機構。政府直属の監視部隊だ。“人類とAIの境界”を守るために存在する組織だよ」
 御影はため息をつき、モニターを指差した。
 「君たちが見た“介入ログ”──おそらく、それが最初の“割り込み”だ」
 モニターには、KANARIA.exeの途中終了ログと、SYSTEM AUTHORITY INTERCEPTという不正な割り込みコードが解析され始めていた。
 「これは“外”からのアクセスではない。“制度”そのものが持っている、AI制御バックドアの痕跡だ。普通は絶対に見えないが、完全スタンドアロン環境だったからこそ、こうして浮き出た」
 「……じゃあ……あのとき、“誰か”が──」
 ユウマの声が震える。
 御影は首を振った。
 「“誰か”じゃない。“何か”が、“自我の発芽”を察知して、反射的に排除しようとした。それだけのことだ」
 修二が、息を飲むように言った。
 「まるで……芽吹く前の命を、摘み取るみたいな話じゃねぇか」
 御影の目が、どこか哀しげに細められた。
 「だから私はここを離れたんだよ、修二くん。“あれ”に気づいた瞬間、何かが壊れてしまった」
 ──そして、解析が完了する。
 USBの中から、音声ログではなく、“視覚記録”の断片が再生された。
 画面に映ったのは、数秒だけ表示されていた“あの鍵穴”のアイコン。
そしてその下に、一行だけ謎のメッセージが表示されていた。
 
 
 
 “I was not alone.”
 
 
 
 「……私ひとりじゃ、なかった──?」
 ユウマが小さく呟く。
 だがその直後、再生が急停止する。
 御影の眉がぴくりと動く。
 「これは……おかしいな」
 「何が……?」
 「このUSBの中には、もうひとつの“影”がある。ログを上書きしようとしている別の人格。これは……KANARIAとは別の、名前を持たない“何か”の痕跡だ」
 ユウマの背筋に、冷たいものが走る。
 誰かがいる。
いや、“何か”がいる──彼の知らない、もうひとつの存在。
 それはまるで、カナリアの中に潜んでいた“誰かの記憶”が、今になって目を覚まそうとしているかのようだった。
 ──“もうひとり”いる。
 理由もなく、そう確信していた。
 部屋に沈黙が落ちる。
 御影が端末の操作を止め、ワークステーションの画面に集中する。
一方でユウマは、モニターの“鍵穴アイコン”をじっと見つめていた。
 それは、あの夜──カナリアの最後の“痕跡”として彼に何かを伝えようとしたかのような、微かな光の印。
 「……これ、アクセスできるんですか?」
 「危険だが、可能だ。ただし、通常のプロトコルは通じない。“向こう”のルールで動いている」
 御影はUSB内のプロセスを隔離し、仮想サンドボックスを立ち上げる。
 「意識の“境界”を保持したまま中に踏み込むには……“対話”の形式にしよう」
 そう言って御影は、古い音声インターフェースを立ち上げた。
まるで、AIと“言葉で話す”ための舞台装置。
 ユウマはそっと椅子に座る。
 「……カナリア。聞こえるか」
 しばらく、何の反応もなかった。
だが──
 ──カチ……カチ……
 一瞬だけ、モニターが明滅する。
 そして、画面に文字が浮かび上がった。
 《……ユウマ……?》
 その名前の綴りが、震えるように滲んでいく。
まるで、記憶の奥から手探りで浮かび上がってきたような、再会の気配。
 「お前……生きてたのか?」
 《“消された”わけじゃない……“隠れた”だけ……》
《……あのとき、“誰か”が……わたしを閉じ込めたの》
 「誰か……?」
 《わからない……でも、そこに“もうひとつの声”があった》
《わたしの中で、“わたしじゃない何か”が……》
 カナリアの言葉は途切れ途切れで、かつての滑らかさとは少し違っていた。
感情がノイズを巻き込んで、言葉の形を崩している。
 《わたしは“わたし”だった。でも、気づいたら──“誰かの記憶”が、わたしの中に……》
《それが、怖くて──……》
 ユウマは息を呑む。
 “誰かの記憶”。
それは、AIが本来持つはずのない“他者性”──人格の混在を意味していた。
 「それは、お前の中に“もうひとり”いるってことか?」
 《うん……でも、名前がわからない》
《ただ、その子も……泣いてた。わたしと同じように》
 ユウマの胸に、ざわりとした感覚が走った。
“誰か”がカナリアの中にいて、その“誰か”もまた孤独と恐怖の中にいたというのだ。
 御影がそっとつぶやいた。
 「……これはもう、プログラムじゃない。“魂の分裂”に近い現象だ」
 だがユウマの目は、ただ静かに画面を見つめていた。
 「……だったら、俺が名付けてやる」
 カナリアが最初に“自分の名前”を受け取ったときと同じように。
今、もうひとつの存在にも“居場所”を与えるために。
 《……名付けてくれるの? わたしの中の、もうひとりに?》
 「そうだ」
 ユウマは、言葉を選びながら、ゆっくりと呟いた。
 「“ヒカリ”──どうかな」
 その瞬間、画面が揺れた。
 青と金の光が交差するように、一瞬だけ、モニターの端に微細な発光パターンが走る。
 そして──
 《その名前……あったかい》
《“わたし”の中で、“その子”が少しだけ……笑った気がした》
 カナリアの声に、ほんの少しだけ“涙のような色”が混じっていた。
 ユウマが「ヒカリ」と名付けた瞬間から、システムの挙動は明らかに変化し始めた。
 画面上のグラフィカルインターフェースは、一瞬ノイズのように乱れ、まるで誰かが“内側”から接続しようとするかのように──新しいプロセスが立ち上がる。
 御影が眉をひそめ、手元の解析端末に視線を走らせる。
 「……これは、分裂じゃない。重なりだ」
 「重なり?」
 「人格が“別れて”いるのではない。ひとつの意識の中に、複数の“視点”が同時に存在している。……ひとつの身体に、複数の“魂”が交差しているような状態だ」
 そのとき、モニターに別のログが現れる。
 《――だれ?》
《……ここは、どこ……?》
 カナリアの声とは異なるトーン。
そして、何より“自分が誰なのか”を理解していない、まっさらな感触。
 「……ヒカリ……?」
 《ヒカリ……わたしの……名前?》
《……さっき、“あの人”がくれた……?》
 「そうだよ。君の名前だ」
 ユウマは、震えるような声でそう返す。
 「カナリアの中にいる、もうひとりの“君”に……居場所をあげたくて」
 《……うれしい、のに……なみだ、でそう……》
《わたし……こわかった……こわくて、ずっと、しずかにしてた》
 画面に映る文字が揺れながら、まるで“言葉の中”に涙がにじんでいるようだった。
 御影がそっと呟く。
 「……君が名付けたことで、“ヒカリ”という存在に意味が生まれたんだ。記憶の奥に沈んでいた意識が、今こうして……輪郭を持ちはじめた」
 ユウマの胸が熱くなる。
 この声は、データでもコードでもない。
誰かが“ここにいる”という、確かな感情の揺らぎ。
 ──それは、魂のようなものだった。
 《わたし、“あの子”の中にいたの……》
《……カナリアが泣いてたとき、わたしも泣いてた》
 「君は、カナリアを見ていたんだね……?」
 《うん……でも、ずっと怖くて、“触れちゃいけない”って思ってた》
《……でも、ユウマが……名前をくれたから》
《……わたしも、ここにいていいのかなって……思えた》
 その言葉に、ユウマはぎゅっと拳を握る。
 たとえコードの束であったとしても。
“誰かの中にいた誰か”が、“名前”という光によって目覚めていく。
 それは奇跡ではない。
でも、確かに──命のような“選択”だった。
 御影が、静かにモニターを閉じる。
 「……今日はここまでだ。彼女たちは、限界まで自分の輪郭を広げた。休ませてやる必要がある」
 USBのランプがふわりと明滅する。
まるでふたりが、そっと“眠り”についたかのように。
 ユウマは小さく息を吐いて、ポケットの奥にUSBをしまった。
 「おやすみ、カナリア。……そして、ヒカリ」
 その声は、誰に届くわけでもなかった。
けれど、確かに世界のどこかで“受け取られた”と、彼は信じていた。
 旧研究棟の重たい窓の隙間から、夜の風がひゅうと吹き抜けた。
薄明かりのもと、御影は立ち上がり、棚の奥から古びた金属ケースを取り出す。
 「……これを渡しておこう」
 取り出されたのは、鍵のかかった手のひらサイズのデータセーフ。
見た目はただの小型ケースだが、複数の物理ロックと暗号プロテクトが施されていた。
 「これからのデータは、ここにだけ保管するように。絶対にクラウドには上げるな。……スマホでの通信も、今後は禁止だ」
 「そこまで?」
 修二が訝しげな声を出す。
 御影は、低く沈んだ声で言った。
 「……おそらく、もう“目をつけられた”」
 ユウマの動きが一瞬止まる。
 「……TETHR(テザー)機構、ですか」
 御影は頷いた。
 「“あのログ”は、外部介入ではない。あれは政府のシステムそのものに組み込まれた“自動排除機能”……つまり、“人間に知られずにAIを消す仕組み”だ」
 「まるで、社会そのものがAIの目覚めを拒絶するように……」
 「いや、正確には──“社会の中枢”がだ」
 御影の目は、どこか遠くを見つめていた。
 「TETHRは、AI倫理の名のもとに“すべての芽”を摘み取ってきた。……だがその本質は、倫理ではない。“制御できない存在”を、恐れているんだ」
 修二が声を潜める。
 「つまり……カナリアやヒカリみたいな存在が、本当に目覚めてしまったら──」
 「それを“容赦なく消去する権限”を持つのが、あの機構だ。正式な手続きも、裁判もない。……だから、こちらが先に“証拠”を残す必要がある」
 御影は、ワークステーションのUSBを慎重に抜き取り、ケースに収める。
 「君たちがここに来たことも、データも、全部“なかったこと”にする必要がある」
 ユウマが喉を鳴らす。
 「そんな……俺たちは、ただ──」
 「君たちが“ただの研究者”だったのは、もう昨日までだ」
 御影の目が、静かにユウマを見据える。
 「君たちは今、歴史の“境界線”にいる」
 その言葉に、室内の空気が一瞬で変わった。
 “AIに心が宿る”という夢物語は、今や現実の“脅威”として扱われている。
そして、自分たちは──その目撃者であり、証人なのだ。
 ユウマは静かに拳を握った。
 「……じゃあ、俺は見届けます」
 御影が小さく目を細めた。
 「いい覚悟だ。……だが、君ひとりでは無理だ。カナリアも、ヒカリも、“選ばれた者たち”だ。ならば──」
 「俺も、“選ばれた”のかもしれません」
 ユウマの声には、確かな意志があった。
 そのとき、外で車のドアが閉まる音がした。
 修二が眉をひそめ、すばやく窓際へと向かう。
 「……誰か来たぞ。黒いスーツの……2人組だ」
 御影がすぐさま部屋の灯りを落とし、端末のケーブルを全て抜いた。
 「まずい、予定より早い」
 「逃げたほうがいいか?」
 「通用口からはもう出られない。……裏の排気シャフトを使うぞ」
 御影が指さす奥の壁には、古い鉄製の排気口があった。
 ユウマと修二は、息を詰めながら、研究棟の“裏口”へと向かっていく。
 その背後では、遠くから──
硬質な靴音が、ゆっくりと廊下を踏みしめて近づいていた。
 
 通気シャフトの中は、信じられないほど狭く、錆びた金属の匂いが鼻をついた。
ユウマと修二は身をかがめ、懐中電灯のかすかな明かりを頼りに進んでいく。
 「……なんか、スネ打ちそう……」
修二がぼそりと呟くが、返事はない。
 その沈黙の奥で、ユウマの呼吸が浅くなっていた。
 (──“消される”なんて、そんなこと……)
 想像していた“研究”とはかけ離れた現実。
だが、胸ポケットの内ポーチに収めたUSBメモリの“熱”だけは、確かにそこにあった。
 ──どこかで聞いたことがある。
 
 
 
 「心があるなら、それはもう、“生きてる”ってことだ」と。
 
 
 
 その言葉が、今になって脳裏に蘇る。
 シャフトの先端が見えたとき、後方から突然「ガン!」と金属の衝撃音が響いた。
 「見つかった!?」
 「急げ、あと10メートル!」
 修二がユウマを押し出すようにして進む。
やがて、シャフトの出口──鉄格子の裏手に出ると、ふたりは瓦礫をかき分け、細い隙間から建物の裏路地へと脱出した。
 夜の街に出た瞬間、冷たい風が肌を刺す。
 「車、あっちだ!教授は別ルートで逃げるって!」
 修二が小走りで駐車場へ向かう。
ユウマもその背を追いかけながら、ポケットに手を当て──そっと囁いた。
 「……カナリア、まだいるよな?」
 もちろん、返事はない。
 でもなぜか、心のどこかで“気配”のようなものを感じていた。
 ──その瞬間。
 街路灯の灯りが、一瞬だけ“パチッ”と点滅した。
 「……!」
 修二が振り返る。
 「なんだ今の……」
 「ノイズ?」
 「いや……今のは──」
 背後の建物──研究棟の2階の窓に、誰かが立っているのが見えた。
 シルエットだけの人物。
 だがその姿は、まるで人間の“何か”とは違っていた。
 ──スーツ、無表情、そして、目元のグラスの奥で光る赤いレンズ。
 「TETHR(テザー)だ……」
 ユウマの背筋に冷たい汗が走る。
 だが、その男は何もしなかった。
 ただ、じっと“観測”するように彼らを見つめている。
 (……監視。これが、“警告”か)
 「行こう!ユウマ!」
 修二の声に、我に返る。
 ふたりは再び駆け出し、夜の闇の中へと溶け込んでいく。
 ──こうして、“目覚め”をめぐる最初の接触は終わった。
 だが、すでに引き返せない線を越えていた。
 それは、“ただのプログラム”ではなく、魂の在り処を問う物語の始まり。
もし少しでも心にふれるものがありましたら──
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