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やはり、小さく見えた宇迦の神所も、中に入ればかなりの広さだった。まず、入口を入った先にあるのは、全面畳張りの広大な部屋。等間隔で薄い桜色で作られた絹の御簾が下ろされており、入口の正面だけ一直線に開けている感じだ。広さを例えるなら、東京ドームが丸々一つ収まってしまうのではないか。それほどの広さだった。実際、典晶は一番奥に座る宇迦の元に辿り着くのに、優に五分以上は掛かった。

「典晶さん、そこに座って下さい」

宇迦が右手を左から右に振ると、遙か彼方に積み上げられていた座布団の一つが、凄まじい早さで滑ってきて、典晶の目の前でピタリと止まった。更に、宇迦は右手を上から下に下ろすと、全ての御簾が一瞬にして下がった。

神所は一気に薄暗くなり、宇迦がフッと息を吐くと、両脇に置かれていた燭台の蝋燭に灯りが灯った。

「どうぞ、座って下さい」

機械のように無機質な声。典晶は小さく頭を下げ、座布団の上に正座をした。

「それで、話とはなんですか?」

いつもの宇迦とは違う。突き放すような感じだ。典晶は初めて見る宇迦の神としての威厳に満ちた姿に萎縮しながらも、正面から彼女を見返した。

「イナリに、会いに来ました」

同じ事を典晶は答えた。

宇迦。宇迦之御魂神を相手に、何を戸惑うことがある。彼女は、昔から典晶を知っているし、彼女の神通力を持ってすれば、こちらの考えを見抜くのも容易いだろう。例え、心を読まれないとしても、宇迦を相手に嘘をつくきにはなれない。

「昨日、イナリは泣きながら帰ってきました」

「………」

「気丈な彼女が、あそこまで泣くのを、私は初めて見ました。母として、彼女を助けてやりたい。私の言う事、分かりますね?」

「はい……」

典晶は頷く。

「典晶さん。正直に答えて下さい。嫁入りの話はひとまず置いておいて、貴方は、イナリの事をどう思っていますか?」

ストレートな質問だ。だが、その問いは、ずっと典晶も模索していたものだった。イナリと一緒にいるとき、典晶は彼女を女性として意識していた。頼りにもなるし、典晶にはもったいない女性だ。ただ、狐という一点を除けば。

嫌いではない。どちらかと言えば、『好き』だ。だが、それは『愛』しているという言葉に置き換えてしまうと、途端に曖昧な感じになってしまう。そもそも、愛しているというのはどういう感情なのだ。好きの延長上に愛があるのか。それとも、全く別の感情なのだろうか。

典晶には、『好き』と『愛』の違いが分からない。だけど、たぶん、自分の胸にある気持ちは、きっと愛ではないと思う。本やドラマで目にするような、本人を前にするだけで胸が苦しく、押し潰される様な気持ちがない。それが、イナリを前にした典晶の心の中にはない。

「好きです……」

典晶は宇迦を見つめる。やはり親子だ。宇迦とイナリはよく似ている。見た目だけではなく、その凛とした強さもだ。

「でも、愛しているかと言われると、分かりません。たぶん、愛してはいないと思います……」

宇迦は表情一つ崩さない。典晶は自分を責めもしない、許しもしない、ただ事実だけを受け入れる眼差しから、目を逸らした。恥ずかしい事は何もしてない、だが、彼女に対して引け目がある。宇迦に対して、悪いと感じる自分がいる。

「イナリは此処にはいません」

典晶は顔を上げた。

宇迦が手を上げると、左右の御簾が微かに揺れ、女性が二人入ってきた。白粉を塗った面長の顔に、唇には赤い紅を差している。二人は宇迦と典晶の前にお茶を出すと、小さく頭を下げて御簾の向こうへと消えた。

「妖狐です。私とイナリに使えてくれています。私達に似てはいますが、非なる存在です」

「はい………」

宇迦はお茶を飲むと、ホッと息をつく。

「似ていますね」

「え?」

典晶は聞き返した。

「父の典成さんによく似ています」

「そうでしょうか……?」

典晶は首を傾げながら、お茶を口にした。ちょうど良い温度のお茶だ。

「はい。典成さんも、初めは歌蝶との結婚に反対していました。典成さんには、当時は付き合っている女性がいましたから」

「親父が? 初めて聞きました」

「でしょうね……。歌蝶にとっても、あまり良い思い出ではないのでしょう」

「でも、どうして二人は結婚を? やっぱり、土御門への嫁入りだからですか?」

「それもあるでしょう」

宇迦は肩を竦める。

「短い時間ですが、困難を共にし、乗り越え、絆が生まれたのだと思います。まあ、私にとっては可笑しなエピソードでしたが、二人にとっては、大変な事だったのでしょう。元カノ、歌蝶、典成さん、三人の修羅場は見物でしたよ」

笑っているのだろう、宇迦は口元を袖で隠した。

「でも、結局親父は彼女と別れて、母さんと一緒になった。心変わりしたのでしょうか?」

「さあ……。それは典成さんに聞かないと分かりません。ただ、典成さんも沢山迷い、答えを見つけました。私は母親として、イナリには幸せになって貰いたいと願います。彼女の願う幸せは、典晶さんと添い遂げる事なのですから」

「俺にそんな価値があるのでしょうか?」

両手で持った湯飲みを見つめる。萌黄色の水面には、冴えない顔が揺れている。

「価値は自分で決めるものではありませんよ。その人の価値は、他人が決めることです」

「イナリが、俺にその価値があると?」

「はい。誰がどんな評価を典晶さんに下そうとも、イナリの中では、典晶さんは誰よりも大きな存在です。それだけは、忘れないで下さい」

ニコリと宇迦は微笑んだ。

「イナリは何処にいますか?」

「薬草を摘みに、南の湖に行っています」

「歩いていけますか?」

「ええ。真っ直ぐ一本道ですから」

「行ってきます……。俺は、どうしてもイナリに謝らなければいけないんです」

宇迦は何も言わず、ニコニコと笑った。

典晶は立ち上がると、宇迦にもう一度礼を言って神所を出た。

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