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ただ、確証はない。ここで千紘が出ていったところで誤魔化されて終わりだ。もう少し様子を見るか。そう思ってあと少し2人に近付く。
更に千紘はスマートフォンを取り出して急いでボイスレコーダーアプリをインストールした。
性能に不安はあるが、なにも証拠を残さないのは千紘が不利になる。反対にこれで証拠を掴めれば、訴えることもできる。
そう思った千紘は、録音ボタンを押した。
「一石二鳥かどうか決めるのはお前じゃなくて成田さんと客だろ」
凪から自分の名前が飛び出して、ああ、やっぱり俺のことね。と千紘は苦笑する。しかし、何だって会話もまともにしたことのない自分のために怒っているのか千紘には謎だった。
「なんなの。お前こそ成田千紘の客?」
「担当違うけど、ここの客」
「担当違うなら何でムキになって……ああ、そういうこと? あの人に抱かれてんの? あの人好きそうだもんな、こういう顔」
千紘はその言葉にピクリと頬を動かした。ゲイであることを隠しているつもりはない。知っている客もいる。しかし、彼に至っては言ったことなどなかった。なぜ自分がゲイだと知ってるのか、そしてタイプまで。
「は? 何言ってんだよ。成田さんって人、男だろ?」
「ゲイなんだよ。アイツ」
「ふーん。で? それと営業妨害関係なくね?」
あっさりとした凪の返答に千紘は思わず笑いそうになった。確かに自分は直接凪と接したことはないし、凪にとって自分がゲイであることも他人事なのかもしれない。
しかし、だからと言ってその男に抱かれたのかと聞かれた質問に対してあまりにも反応が薄すぎると思った。
「か、関係ねぇのはお前の方だろ!? アイツがゲイだってことも知らないくせに、何庇ってんだよ!」
「そりゃ、自分が通ってる店が営業妨害されてたら気になるだろ。それに、俺の担当が成田さんのこと尊敬してるって言ってたし」
千紘は続いた凪の言葉にパチパチと目を瞬かせた。
担当? って、米山さんだったよね。米山さんが俺のこと尊敬? んな、バカな。
そう思いながらも千紘は入店したばかりの頃を思い出す。風当たりが冷たい先輩が多い中、普通に話しかけてくれた米山の顔。
自分よりもずっと前からハサミを持っていて、カットの技術も教えてくれた。
千紘が初めてグランプリを獲った時も、僻む人が多い中、おめでとうと言って高級ワインをくれた。
うーん……。でも、米山さん勝手に俺の客を自分の担当にしちゃうしな。大橋凪もそうだし。
そう思いながらチラッと凪の横顔を見つめた。
「は? アイツのこと尊敬してるのなんて客だけだろ。スタッフは皆嫌ってるって言ってたし」
男はバカにしたように鼻で笑った。千紘は軽く目を閉じる。スタッフが自分の顔色を窺っているのは承知している。ほとんどが千紘の客ばかりで、売上を伸ばしているのも千紘だ。
そのせいで周りのスタッフも忙しくなっていることはわかっているが、それ以上に千紘には時間がない。
指先がどんなに痛かろうとカットしないわけにもいかない。
時にはスタッフに当たり散らすこともあるし、自分が集客しているという自負もある。だから、他のスタッフによく思われていないことくらいわかっているつもりだ。
だからと言って、全員が自分のことを嫌いだと言われればいい気はしない。
「全員って誰だよ。少なくとも俺の担当はそんなこと言わないし、アシスタントの人も何人か成田さんみたいになりたいって言ってるの聞いた事あるし」
「バカだな。そんな内部事情を客に話すわけないだろ?」
「なんだ、それ。お前だってただの客なんだろ? しかも陰湿な嫌がらせまでして」
「は? こっちは成田千紘と付き合ってた男と繋がってんだよ」
話の流れがなんとなく見えてきて、千紘はピクリと瞼を上げる。付き合ってた男、と聞いて思い当たる人物が1人いた。
1年ほど付き合った男だ。千紘が忙しく時間が取れなくなると、声を荒らげて俺のために時間を作れと言った。
時には泣いたり、死ぬと叫んだり情緒不安定だったから、千紘の方から別れを告げたのだ。別れ話をしている時も、別れたくないと泣きつかれ、千紘の客が全員離れればいいのに、なんて言っていた。
「だからなんだって言ってんだろ? 付き合ってた男ってなに? 仕事と関係あんの? お前がわざわざ友達使って予約させて、その後バックレまでさせて成田さんの予約時間空けさせるって何がしたいのかさっぱりわかんねぇ」
凪が丁寧に説明してくれるから、千紘はそういうこと……と容易に憤りが増す。おそらくだが、この男と千紘の元彼とが結託して千紘の客を減らそうとしているのだと理解できた。
「お前に理解なんか求めてねぇんだよ」
「あのさ、予約を取るってことはそれでしかサービスを受けることができないってことなんだよ。1日の中の時間は限られてて、いくら金を詰んでも、魅力があってもその時間を買わなきゃいけないわけ。それが全員平等に受けられるサービスと技術なの。それが価値だ。
その価値を決めるのは顧客であってお前じゃない。その予約を崩すのって、成田さんだけじゃなくて、真面目に順番を待ってる客に対してもめちゃくちゃ失礼なことだぞ」
千紘は目を大きく見開いて、瞳を揺らした。おそらくこんな言葉は、自らをブランディングし、常に上位ランキングを維持している凪にしか出せないだろうと思った。