テラーノベル
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ギィィと、重く古い扉を開け、新しい自分へと変わってゆく__はずだった。
扉を開けるや否や、渡部さんが、
「ちょ、ちょっと待って!」
と慌てた声をあげたのだ。
そのまま開けておけばよかったのに、驚いた拍子に両手を離してしまい、ガゴンッとさらに大きく重い音を響かせる。
はぁ…とこっそりため息をつき、何ですか?とわざと呆れた声色で聞く。
__今は、どちらなのだろう。
藍色の空と、紫の空と、淡い桜の空と、たんぽぽの空のグラデーション。
「ここにはね、暗黙のルールがあるの。貴女は今、おばあさんから貰ったペンダントを身につけているわよね?それは、…悪いけどここで外さなくちゃいけないの。」
「どうしてですか?」
咄嗟に、聞いてしまった。これは自分が何者であるか確認するため、忘れないため、必要であるというのに。
「名前を書かせるように言ったときも、教えたでしょう。”新しい自分”とは、今までの経験、思い出は、その場で捨てなければならないの。今の貴女は、鮮やかな色、霞んでいる色、黒々とした色で溢れてる。それを全て捨てて、真っ白な状態から始めるの。それが、如月孤児院だから。」
「………だから、如月って看板をつけたんですか?」
「看板だなんて。でもそうね。その通りだと思うわ。」
如月は、2月の異名として知られている。雪が溶け始め、人も自然も、春に向かって動き出す。新しい”季節”が始まることで、姿形を変えてゆく。それを、ここを作った人は、孤児たちの”自分”と重ねた。…のだと思う。
「だから、悪いけれど、その形見は_」
「置いていけばいいんですよね?」
言い終わるうちに、言葉を重ねた。形見を捨てろなんて、聞きたくなかったから。
私は静かに金具を外し、渡部さんの受付棚の角に引っ掛け吊るした。静かになった私の胸元が、ついに、空っぽになったことを宣言しているかのようだった。
「……気休めにもならないだろうけど、ここにはアクセサリーをよく作っている子がいるの。男の子なんだけど、毛先が器用でねえ。もし興味があったら、一緒に作って身につけてあげてね。とても綺麗だから。」
そう言って、渡部さんは自身がつけているイヤリングをわざとらしく揺らした。
「中の生活については、また係の人がおしえてくれるわ。ショートカットにしている女性よ。目立っている人だから、すぐに分かるはずよ。行ってらっしゃい」
行ってらっしゃい、の意味が、よく分からなかった。ここは、おかえりなさい、と言って欲しかった。
渡部さんは、優しいのか、お節介な人なのか、よく分からなかった。アクセサリーの男の子の話も、ショートカットの女性の話も。自分が紹介されたかったかどうか、わかんないのに。
不思議な笑い方をする人だった。にこりでも、にやりでもなく、その狭間にあるような。
ふと、そんな無駄なことを考えた。
目の前にある、古びた重い扉。その先には、どんな場所があるのだろう。たんぽぽから向日葵になって、陽光が当たり、反射で目がくらむ。眩しい。重い。目が痛い。
__眩しすぎるドアを開けて、私の”今日”を始める。
コメント
1件
うわやばぃ、…好きすぎるっ、!!! それに如月って都市伝説とかでもあるやつだし、…なんかもう神だわ。