テラーノベル
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隠れ家のようなワインバー「rencontre(出会い)」は、ビルの地下にひっそりとあった。
暖かな照明と、ジャズの小さな旋律。カウンター席に並んで座ると、真言寺くんの横顔が柔らかく照らされる。
「今日は僕のおごりです。佐々森さん、ワインって大丈夫ですか?」
彼はメニューを指でなぞりながら、年下らしい少し緊張した笑顔を浮かべた。黒縁メガネを軽く押し上げ、ソムリエに「軽めでフルーティーな赤を」と注文する姿が、意外と様になっている。最初の一杯は、チェリーとイチゴを思わせる軽やかな赤ワイン。
グラスの脚を指で軽く回すと、芳醇な香りがふわりと立ち上る。
「美味しい……」
一口含むと、果実の甘酸っぱさが舌に広がった。
真言寺くんは自分のグラスを軽く傾け、私の目を見て微笑む。
「佐々森さんの笑顔に似てるって思って選びました。甘くて、少し酸っぱいところも」
その言葉に、胸がくすぐったくなる。別れの夜の冷たい記憶が、まだ胸の奥に残っているのに、彼の隣にいると不思議と温かくなる。二杯目、三杯目とグラスが空いていくにつれ、身体がふわふわと軽くなった。頰が熱を帯び、視界が少しぼやける。
「ふふっ……真言寺くん、ほんとに優しいよね。なんでそんなに、私のこと……」
言葉が少し回らない。笑いが込み上げてきて、思わずくすくすと肩を震わせた。真言寺くんは私のグラスにそっと新しいワインを注ぎ足しながら、静かに言う。
「佐々森さんが、笑ってる顔が好きなんです。いつも一生懸命で……」
私はグラスを傾け、大きく息を吐いた。アルコールのせいか、堰を切ったように言葉が溢れ出す。
「実はね……聡太と、別れたの。メモ一枚で『別れよう』って。合鍵置いてって……で、行ってみたら他の女とベッドにいて……」
笑っていたはずが、急に喉が詰まる。目頭が熱くなって、涙がぽろっと零れた。
「ふふっ……笑えるよね。三年前は『結婚しよう』って言ってたのに。お弁当作って、夜遅くまで待って……全部、無駄だったみたい」
涙が止まらなくなって、くしゃくしゃに笑いながら泣き出す。
隣の真言寺くんが、ハンカチをそっと差し出してきた。いつも通り、温かくて柔らかい。
「佐々森さん……泣かないで」
彼の声が低く、優しい。でもその瞳の奥に、静かな怒りのようなものがちらりと見えた気がした。私はハンカチを握りしめ、酔った勢いで彼の袖を掴んだ。
「真言寺くんは、違うよね?私みたいな地味で使えない女でも……『お疲れ様』って言ってくれるよね?イチゴのキャンディー、紅茶……いつも、そばにいてくれて……」
酔いが深くなるにつれ、笑いと涙が交互に訪れる。一瞬大声で笑ったかと思えば、次の瞬間には肩を震わせて嗚咽を漏らす。真言寺くんは慌てず、私の背中にそっと手を回した。年下なのに、包み込むような大きな温もり。
「僕なら、絶対にそんなことしません。佐々森さんの作ったご飯、全部食べます。朝も夜も、毎日『ありがとう』って言います。……佐々森さんと笑っていたいです」
その言葉に、また涙が溢れた。
でも今度は、甘い疼きが混じっていた。グラスが空になる頃、私は彼の肩に軽く頭を預けていた。ワインの余韻と、イチゴのような甘い香り。彼の指が、そっと私の髪を撫でる。
「今日はもう、帰りましょうか。僕が、家まで送ります」
ふらつく足を支えてくれる彼の腕は、頼もしくて、熱かった。ワインバーの扉を出た夜風が冷たいのに、心の中は不思議と温かかった。この夜、酔った勢いでこぼした本音が、私と真言寺くんの距離を、また一歩縮めた気がした。
レモン
ふわねこカラメル
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