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日中、廊下をほっつき歩いていた時のこと。
「……の………………して……」
近くの部屋から、薄っすらと話し声が聞こえた。
これは──クィーバーの声?
「…………かな……?」
誰かと話しているような口調だったが、他の声は聞こえてこない。誰と話しているのだろう?
俺はその部屋の扉に近付いて、そっと聞き耳を立ててみる。たちまち、声は鮮明になった。
「だってさ、私がキミと寝たこと、皆にバレたくないし……」
「っ!?」
それを聞いてしまった瞬間、胸にざわざわと波が立つ。
──今、なんて……?
誰かと寝た?
クィーバーが?
──誰と?
さっきまで無駄なことしか考えてなかった脳内に、困惑や欺瞞が駆け巡る。落ち着かないまま声を押し殺し、また聞き耳を立てた。
「恥ずかしいからさ。私、毎晩キミと……えへへ」
クィーバーはうっとりした声で、誰かにそう話し掛けている。まるで恋する乙女のような言い草だ。
『キミ』は──いや、クィーバーの二人称は『あんた』だった筈なのに。俺や他の面子とは一線を画しているみたいだった。
話し掛けている相手は、誰だ──?
「……あ、もうこんな時間……!」
まだまだ詮索したかったが、クィーバーが焦った声を上げた。
まずい、こっちに来る──そう直感した俺は、足早にその場を立ち去っていた。
✸ ✸
──クィーバーが、誰かと寝た。
話し相手が誰だったのかは、結局わからない。独り言には聞こえなかった。
「イースターちゃーん」
イマジナリーフレンドかとも考えたが、寝たというのはどういうことだろう。毎晩、何をしていた──いや、しているのか。
「イースターちゃん?」
寝たというのは多分、言葉通りの意味ではないように思える。彼女が言葉を濁らせたこと、羞恥して隠そうとしていたのが証拠だ。
つまり寝たというのは、クィーバーが誰かと──
「イースターちゃんってばー!!」
「うわっ!?」
考え込んでいたら、右足を強く叩かれる。
慌てて振り返ると、アイリスがぷんぷん怒って俺を見上げていた。
「もう! その大きな耳は飾りですの!?」
「ご、ごめんごめん……で、どうかしたのか?」
俺がそう言うと、アイリスは杖を直立させた。
「こっちの台詞よー。なんか硬直してるんだもの」
「いや、少し考え事しててさ」
「考え事?」
彼女は無邪気に首を傾げる。
「……さっきクィーバーが誰かと喋ってたみたいなんだけど、何か知らないか?」
「クィーバーちゃん? 今日はお朝ご飯の時しか会っていないわよ」
「そう……アイリスは、さっきまで誰かといた?」
俺が尋ねると、アイリスはにっこり笑って頷いた。
「みんなでババ抜きをしてたのー。わたしとソケットちゃんと、タウルスちゃんの三人で」
「そう……」
アイリスがこんなことで嘘を吐くことはない。つまり候補からアイリス、ソケット、タウルスは除外されることになる。
「それがどうかしたのー?」
「あぁ、いや……」
俺は言葉に詰まった。クィーバーが誰かと寝ていたとか、俺が勝手に聞き耳を立てていたとか、そんなことバレたくない。
「えっと、クィーバーの声は聞こえたけど、相手の声が聞こえなくてさ。それでなんとなく」
──聞こえなかったというか、聞かずに引き返してしまったのだが。
「あら、そんなこと。……んふふっ」
「な、なに……?」
「いいえ? イースターちゃんはクィーバーちゃんのことが大好きなのね」
「うぐ」
意味深に笑うアイリスに、心を見透かされる。
図星だった。俺はずっと、クィーバーに心を焦がしている。
俺は赤面して頭を掻く。相変わらず、アイリスは勘が鋭い。
「ストーカーしちゃ駄目よ〜」
「ち、違っ……ストーカーじゃない!」
やや軽蔑混じりの声でそう言われて、俺は慌てて否定した。とはいえ、あんな些細な会話に聞き耳を立てて、内容を暴こうとするのは、ややストーカーじみている……かもしれない。
「皆には言わないでくれよ……!?」
「見返りを要求しますわ」
「あ、あぁもう……」
勝ち誇ったように嫣然と笑うアイリス。俺は仕方なく、ポケットに入れていたキャンディーを彼女に渡した。
「んふふ、してやりましたわ〜」
「はいはい……」
お菓子なんて、ジョリーに言えばいくらでも手に入るのに。アイリスはこうやって、他人から貰うのが好きらしかった。
「じゃ、わたしはこれで〜」
「あ、うん……」
✸ ✸
「それでね〜、タウルスちゃんが切ったトランプ、ぜんぜん混ざってなかったの!」
「一周回って戻ってきたのかな!」
「本当にシャッフルしたの……?」
あれから一時間。昼食の時間になり、いつもの広間にはジョリーを除いた全員が集まる。当然、クィーバーも。
あの時彼女と話していた人物の候補として、残るはアップとパンとジョリー──なのだが。
そとそも、クィーバーはスキンシップが大の苦手だ。そういう行為だって、できると思えない。直接聞けばいいって話だけど、アップもパンも、アイリスと喋っているから聞くタイミングがない。
「イースター?」
手が止まっていたからか、クィーバーが不思議そうに声を掛けてきた。
「どうしたの? ぼーっとして」
「いや……なんでもない」
「そう?」
彼女はいつも通りの表情をしていて、誰かと寝たことを隠しているようには見えない。
なんだか居心地が悪い。この中で、彼女の秘密に動揺しているのは俺だけだ。平静を装って昼食を摂っていたが、途中、どうにも耐えられなくなって席を立つ。
「あれ? もういいの?」
「……いい」
タウルスの言葉への相槌もほどほどに、俺はその場から離れた。喧騒が遠ざかっていくのを感じながら、近くの壁に手をつく。
「やあ! 昼食は口に合わなかったかい?」
「…………うるさいな」
俺が一人になったのを見越してか、満を持してジョリーが現れた。パンだったら驚いてひっくり返っただろうけど、今の俺には煩わしいことでしかない。
「君はベーグルが苦手だとは記憶していないのだけれど」
「……」
「クールだなあ。返答ぐらいくれたっていいだろう?」
「めんどくさ…………」
俺は悪態をついて横を通るものの、ジョリーはスライドしながら着いてくる。
「それで、クィーバーの秘密は暴けたのかい?」
「なっ……」
俺の思考を先回りするみたいに、ジョリーはそう言った。
嫌な予感はしていたが、やはりこいつは既に勘付いている。恐らく、クィーバーが誰と寝たのかも。
「お前……クィーバーに何も手出ししてないだろうな?」
「おやおや、君にどうもできないことを僕がどうしようと、関係ないと思うなあ。仮に僕が何もしていなかったら、君に何ができるんだい?」
「……」
「ハハハ! なんてね! もちろんクィーバーには何も手出ししていないよ」
「……本当だな?」
「もちろん! 当然! 無論! オフコース!」
「じゃあ…………」
アップか、パン──?
「ハハハ!」
「うわっ……なんだよ」
俺が候補を絞っていたら、ジョリーは高めのトーンで笑った。
「いやいや、君の思考回路は中々、面白いと感じたまでさ」
ジョリーはそう言い終えると、テレビの画面みたいにピシュンと消えてしまった。どういうことだ、と聞く暇もなく。
「うわあぁっ!?」
「あ?」
かと思ったら突然、背後から悲鳴が聞こえた。
「えと、ジョリ……え、あ、イースター……?」
「ク、クィーバー……!?」
さっきまでいなかったのに、後ろにいたのはクィーバーだった。
「ハーイ! これで質疑応答できるね!」
彼女の後ろには、ジョリー。
どうやら、昼食を摂っていたクィーバーを、座っている椅子ごとワープさせたらしい。彼女は困惑して、さっき食卓に出てたベーグルを手に持っている。
「じゃあ僕はこれで!」
「え? え!?」
「ちょっ……」
俺達が止めに入る間もなく、ジョリーは今度こそ姿を消した。だだっ広い空間に、俺とクィーバーだけ取り残される。
俺より置いてけぼりな彼女が、困ったように見つめてきた。
「ど、どういうこと……?」
「え、あ……」
ぶっちゃけ、ジョリーがこういうことをするのは今に始まった事ではない。そのせいか、クィーバーは俺に対して疑問を持っているようだった。
「質疑応答? って……」
クィーバーは心配そうに首を傾げた。アイリスやジョリーのような、いたずらな仕草ではない。
「何かあったの?」
「あー……その」
俺はなんとかやり過ごそうと思ったが、彼女のその目を見ると、嘘を吐くのも誤魔化すのも、罰当たりに思えてしまう。
──不完全燃焼で終わるより、話したほうがいいかもしれない。
「その……午前中に、お前が誰かと喋ってるのが聞こえてきてさ。誰と話してたんだ?」
「え? ……あ、えっと……」
俺が素直に言うと、今度はクィーバーの方が気まずそうに目を逸らした。顔の殆どが包帯で隠れているものの、彼女の頬は紅く染まっている。
「聞いてたの?」
「聞こえてきたから……」
クィーバーは暫くの間狼狽えていたが、やがて椅子から立ち上がった。ベーグルを持ったまま「着いてきて」と言うので、俺は彼女の後に続く。
案内された先は、クィーバーの部屋だった。
パンやアップと違って、部屋はとても片付いている。クィーバーに促されて、俺はソファに腰を下ろした。
内心戸惑っていたが、彼女にとっては人気がない場所の方がいいのだろうと思い直す。とはいえ、ソファからも漂う空気からも、彼女の香りがして落ち着かない。
「それで、誰と寝……話してたんだ?」
「…………誰にも言わないでね?」
「あ、あぁ……」
クィーバーの言葉に頷く。今更気付いたが、俺は今から失恋するんじゃなかろうか。俺の不安をよそに、彼女はベッドの仕切りのカーテンを捲り、何かを抱えて戻ってくる。
“それ”は、何かの野菜──の、ぬいぐるみだろうか。ニンジンのようなフォルムで、赤茶色の実に顔が描いてあり、頭から緑の葉が生えている。
「この子」
「…………………………へ?」
クィーバーが“それ”を見せつけながら、俺の隣に座った。その途端、“それ”は彼女の腕の中でモゾモゾ動き出す。
「この子と……寝てたんだ」
「え…………は?」
クィーバーは、愛おしそうに微笑んで言った。
俺の脳には失恋そっちのけに、処理できない量の困惑が押し寄せる。なんだ、なんだ“それ”は。
「マンドレイク。可愛いでしょ?」
いつもなら誰にも触れない彼女の右手が、それ──マンドレイクを撫でた。感触に反応するみたいに、そいつは奇妙な鳴き声を上げる。どうやら、ぬいぐるみではないらしい。
「み゛ー」
「ふふ、よしよし」
憮然とその光景を眺めていると、クィーバーはまた赤面して、マンドレイクをぎゅっと抱き締めた。
「えっと……皆には言わないでね? この子ぎゅってして寝てるとか皆にバレたら、恥ずかしいし……子供っぽいとか思われたくないからさ。この子、喋れないのにずっと話し掛けてたのも、言わないで」
「あ、あぁ……」
返事、というか嗚咽。
『一緒に寝た』というのは──単に添い寝してるだけだったのか。バレたら恥ずかしいのも、話し掛けていた相手も──俺は何もかも勘違いしていた。
はしたない勘違いを。
「……イースター?」
「あ、いや……なんでもない。誰にも言わないよ」
「うん……よかった」
「で……そいつ、どうしたんだ? いつから……」
「パンが最初会った時に、私にくれたんだ」
「パンが……?」
──言われてみれば、そうだったかもしれない。
「それから一緒にいるんだ」
「み゛ぃ」
「アハハッ。ベーグル食べる?」
楽しそうに、マンドレイクの口にベーグルを放り込むクィーバー。スキンシップは苦手な筈なのに、あんな得体の知れないモノの身体に触れている。
──あれ、もしかして俺……こいつにクィーバーを取られた?
「み゛ー」
勝ち誇るようなタイミングで、マンドレイクが唸った。