「わたし、ぜんぜん、びびってなかったし、余裕だっから」
「うん、わかってる」
「本当にわかってる? 相手の手が伸びてきたところを、華麗なバックステップで躱したら、着地した地面がたまたまへこんでいただけだからね」
「うん、たまたまたへこんでいて、尻もちをついただけだよね」
「……まあ、そうだけど。あ、それから、口でも言い返せていたから。わたし、幼稚園からこれまで、口喧嘩は無敗だから」
「成瀬さん、すごいね」
そんな感じで、言い合いながらイズミと美少年・不破は、昨日よりも30分ほど遅れて校門をくぐった。
今日もならんで歩きながら、校舎裏での一件について、イズミは不満タラタラだ。
「なんかもう……わたしの出番がなかったじゃない」
「ごめんね、成瀬さん」
謝る美少年の顔は、なんだかとても嬉しそうだ。
それも仕方がないくらい、あの場は不破少年の独壇場だった。
不覚にも尻もちをついたところで、憤怒の形相をした不破くんの登場。
寄ってたかってひとりを、という最悪な場面を王子様に見られた幹部女子たちは――もう全員、血の気が引いていた。
「成瀬さん、大丈夫? どこか痛めてない?」
まずは、イズミを助けおこした不破少年は、「生きて帰れると思うなよ」とでも言いそうな、危ない空気をビンビンに漂わせながら、5人に接近。
その後、イズミでさえ「うわあ……」となる毒舌ぶりで、およそ1分で全員を泣かせ、イズミの前に正座をさせた。
鼻水と涙にまみれた顔で謝罪をする5人は、誠心誠意を通り越して「どうか許してください」と、懇願に近いかたちで頭を下げてきたので、イズミとしては呆気にとられ、「あっ、もういい」となったのである。
しかし不破少年は、許さなかった。
「僕がいいって言うまで、そこに額をこすりつけていろ。有害無益のクソどもが」
これまでの口喧嘩で、イズミが使ったことがない四字熟語を言い放ち、言われるがまま地面に額をベタ付けした5人を放置して、
「あの、成瀬さん、本当に大丈夫? だんだん痛くなってきたところとかはない?」
「…………」
「成瀬さん? あの、その……」
急にオロオロとしだした。
不破少年の豹変ぶりに面食らっていたイズミが我に返り、
「あのさあ。逆に怖いからそれ」
その豹変ぶりを指摘すると、「ご、ごめん」となって、電車の時間が気になるイズミが「それじゃあ、わたしは帰るね」と踵を返すと、「ま、待って」と追いすがってきた。
そうして、いまに至る。
下校の会話は、やっぱりさきほどの一件になり、なんだか助けられてしまったイズミは、
「ひとりでも余裕だったから」
謎のアピールをして、それを美少年が「うんうん」と聞きながら楽しそうにしているという、なかなか腑に落ちない展開となった。
――で、駅に到着したのだが、最悪だった。
イズミが乗る予定だった電車は、遮断機のトラブルで遅延。
なんというか、すこぶるツイていない。
お腹も空いてきたところで、イズミの目に飛び込んできたのはファーストフード店の看板だった。すかさず不破少年が言った。
「寄ってかない? 迷惑かけたから、僕の奢りで何でも食べていいよ」
金持ちそうな同級生の言葉に、遠慮するイズミではなかった。
「わたし、二人前は軽く食べるよ」
「いいよ。甘い物つきでどうぞ」
「言ったわね。あとで後悔しても知らないよ」
「今日、成瀬さんから『もう食べられない』って言葉を聞けたらいいな」
「ああ、そう。楽しみね」
吠え面かかせてやる、と思っていたイズミだったが、定番バーガーのLLセットと新発売のLLセットを食べ終わり、デザート系にいったところで一気にペースダウンした。
「もういいの?」
不破少年に吠え面をかかせるどころか、
「わたしの優しさよ。今日は……これぐらいに……しといてあげるわ」
制服のスカートのフックを外側にずらしたいのを必死に我慢していた。
駅での別れ際。
「成瀬さん、今日はイヤな思いをさせてしまって、本当にゴメンね」
「不破くんのせいじゃないでしょ」
「それは……どうかな。なんとなく、こうなることを僕は予見していたよ。毎日、教室や食堂でも、付きまとわれていたからね」
「それはまあ、なんというか大変だね」
モテモテ少年は、ここで少しだけ悪い顔をのぞかせた。
「ねえ、成瀬さん。たとえば今日、こうなることが分かっていて、僕は昨日、キミを校門で待っていた……って、言ったらどう思う? あともうひとつ、今日の放課後、キミを助けたいという欲があって、あのタイミングで登場したのだとしたら、性格の悪い僕のことを、キミはどう思う?」
これについて、どう答えるべきか。
残念ながら腹がいっぱい過ぎて、真面目に考えられなかったイズミは、「はいはい」と適当に答えた。
「どうも思わないわよ。だって、わたしはひとつもビビッてなかったし、ぜんんぜん余裕だったんだから。まあ、言ったらあれしきのことで、不破くんのヒーロー欲が満たせたのなら良かったね。わたしも奢ってもらえて良かった」
最後に「その顔、似合わないよ」と、形の良い額を3連打でデコピンしてやった。
ポカンとした顔で額を押さえる不破少年を見て、なんだかいい気分になったイズミは、
「じゃあね、不破くん。また明日~」
バイバイと手を振って駅に向かう。
その背中に、あの日、受験票を届けたときの「ありがとう」と同じくらい大きな声で叫ばれた。
「成瀬さん、好きです!」
雑踏なかでも、その声はよく響いた。
「な、なんだって!?」
イズミが振り返ったときには、少年の背中は雑踏にまぎれていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!