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なんだかんだで忙しかった撮影も無事に終わり、地元に戻って来たのはクリスマス直前の朝方のことだった。
特にナギと約束をしていたわけでは無いが、初めてのクリスマスは当然一緒に過ごすものだと信じて疑わなかった。
だからナギがクリスマスは用事があると聞いた時には、自分でもびっくりするくらいショックを受けていた。
「ゴメンね。お兄さん。どうしてもはずせない用事があるんだ」
恋人の自分よりも大切な用事って一体何なんだろうか?
問い詰めてみたかったが、重い男だと思われたくなくて、結局何も言えなかった。
仕方なく雪之丞でも誘ってご飯でも。と思ったのに、今日に限って都合が悪いと断られてしまった。
今までだったら街に繰り出して適当な相手で時間を潰せたのに、流石にそんな気も起きず、一人でボーっとテレビを眺めるしかなかった。
「……はぁ」
一人で過ごすイブというのはなかなか虚しく感じる。
これならいっそナオミの店にでも行って、酒でも飲もうか。と一瞬そんな事が頭を過ったが、アイツに根掘り葉掘り聞かれるのは何となく癪に障るし、もしかしたら会いたくない人物と鉢合わせてしまうかもしれないので、やっぱりやめておくことにした。
ナギと一緒の時ならまだいいが、ぼっちな上に昔好きだった相手が目の前でいちゃ付いている姿を目撃するのは流石にダメージがデカすぎる。
聞けばしょっちゅうあの店に居るようだし、余計に居た堪れない気分になるだろう。
「あー……誰かと飲みに行きたい……。暇だ……」
そう呟きながら、チラリとスマホに視線を落とす。ナギは本当に忙しいらしく、LINEを送ってみても既読すらつかない。
ここ最近は朝から晩まで撮影やホテルでずっと一緒だったから、会えないことがこんなにも辛いとは思いもしなかった。
「……あぁ、くそ。僕ってこんなに女々しかったっけ……」
独りごちながら、溜息を一つ。
何となく自分の部屋に居ると余計に気が滅入りそうで、仕方なく気分転換でもしようとランニングウェアに着替えて外に出る。
肌を刺すような冷たい風を感じ、ブルッと体が震えた。
「さすがにこの格好じゃ寒いかな……」
薄着すぎたかと思いつつ、とりあえず運動がてらに近くの公園に行ってみる事にした。
冬休みに入ったばかりの公園には多くの親子連れが楽しげに遊んでいる。
中には先日発売されたばかりのライオンソードや、ブルーが使用するタイガースピア等を手に戦いごっこで盛り上がっている子供達を微笑ましい気持ちで眺めながら走っていると、反対側からママチャリを押してこちらに向かって来る人影が目に入る。
その自転車の後ろには3~4歳位の子供が乗っていて、父親と思わしき人物と楽しそうに会話をしながらゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「……あれ?」
帽子をかぶってはいるものの、見覚えのある顔に思わず足を止める。 一体、どういう事だろう?
「……ナギ?」
半信半疑でその名を呼べば、声に反応し振り向いた彼が驚いたように目を丸くした。
「えっ? お兄さん!?」
「なんで、此処に? いや、その前にその子は?」
確かまだ彼は20歳で、結婚はおろか子供がいる年齢では無かったはずだ。
それに、そんな話は聞いたことが無い。
「……もしかして、隠し子?」
「はぁっ!? ち、違うし! そんなわけ無いじゃん! 馬鹿っ!」
疑問に思った事を口にすれば、彼は真っ赤になって慌ててそれを否定した。
それから、コホンと咳払いをして落ち着くと、自転車を脇に止めナギの背後に隠れる様にしてしがみ付いている男の子を抱え上げる。
「この子は、俺の年の離れた弟! 変な事言うのやめてよ。全く……」
「お、弟……?」
「そう。母さんが、クリスマスは父さんとどうしても二人っきりで過ごしたいからって、前々から預かる予定だったんだよ」
「あー、だから用事があるって……」
なるほど。そういうことだったのか。 自分以外の誰かを優先するなんてもしかして……なんて、ちょっとでも思ってしまった自分が情けない。そう言われてよくよく子供を見てみれば、何処となく目元の雰囲気などは似ている気もする。
「ナギ兄ちゃん、このおじさん誰?」
「お、おじ……っ」
ナギの腕の中で、不安そうに眉を寄せながら指をさされて、蓮は思わず顔を引き攣らせた。
確かに、自分は子供たちにとってオジサンと言われる年齢だけども! 面と向かって指をさされると辛いものが込み上げてくる。
「……この人はねぇ、んー、俺の大事な仕事仲間だよ」
「仲間? 獅子レンジャー? 違うよ。こんなオジサン居なかったもん」
「うーん……」
純粋な瞳がナギと蓮を交互に見比べる。確かに、この位の年齢の子供にアクターと言う仕事を理解させるのは無理と言うものだろう。
困ったように眉を寄せ、どう説明していいものかと悩むナギを見て、蓮は苦笑した。
「ナギの弟君。お兄さんはねぇテレビには映らない秘密の仕事をしているんだ」
「ふぅん」
お兄さん。と、少し強調して言えば、弟は興味を失ったのか直ぐにナギの方へと身体ごと向き直った。
「兄ちゃん。公園行こ」
「えーっ、公園かぁ……」
何とまぁ、切り替えの早い事。少し寂しくはあったが、全国の同年代の子供たちにとって、獅子レンジャー=ナギと言う図式が成り立っているのだから仕方がない。
「ねぇ、公園~っ!」
「うーん……」
無邪気な弟に手を引かれ、ナギは困ったように蓮を見る。 その表情からは、折角会えたのにと言った雰囲気を感じ取り、思わず失笑が洩れる。
「おじちゃん、バイバイ」
「お兄さん、な?」
一応、訂正はいれてみたが、聞く気が無いのかナギの手を引いて、早く行きたいとせがむ。
「……ごめんね、お兄さん。また今度埋め合わせするから」
「そうだね、また今度」
後ろ髪を引かれる思いで渋々蓮の元を離れていくナギの後ろ姿を見送っていると、公園の入り口付近に差し掛かった時にチラリと此方を振り返ったナギと目が合って、蓮は堪らず声を掛けた。
「やっぱり僕も一緒に行ってもいいかな?」
そんな捨て犬のような目で見られたらほおってはおけない。
明るい時間に外に出て、ナギが一人で小さい子供と遊ぶ姿なんて想像が出来ない。
蓮の思いがけない申し出にナギの顔がぱぁっと華やぐ。
「い、いいの? でも、忙しくない?」
「暇で仕方なくって、ランニングでもしようかと思ってただけだから」
「そう、なんだ……」
何処か嬉しそうな表情をされたら、こっちまでなんだか嬉しくなってくる。
だだっ広い公園には沢山の遊具があり、冬休みに入ったばかりの子連れ客で賑わっていた。
大きなアスレチック内には沢山の子供たちがおり、ナギの弟はナギの手から離れてその中へと突進していく。
弟君がどこに居るのかを目で追いつつ、蓮はナギと連れ立って巨大遊具が見える位置に備え付けてあるベンチに揃って腰を降ろした。
中に入った弟君は楽しそうに、滑り台を滑ってみたり、不安定なつり橋状の遊具の上を渡ったり、アスレチックを登ったりと一人で遊んでいる。
時折こちらをチラチラ見ては手を振って存在をアピールしてくる姿が何とも微笑ましい。
「まさかフラれた理由が、弟の面倒を見るから。だなんて思わなかったよ。お陰でクリぼっちになる所だった」
冗談めかしてそう言えば、ナギは気まずそうに視線を彷徨わせた後、ごめんと小さく謝った。
「……俺の母さん、俺が小さい時に離婚しててさ。4年前に今の父さんと再婚したんだ。あの子海斗って言うんだけど、俺とは半分血が繋がってる。育てて貰った恩もあるし、たまには母さんも子育てから離れて息抜きしたいだろうし、だから時々こうやって預かってるんだ」
まさかこうして、ナギの家族の話を聞く時が来るなんて思わなかった。
彼の口から語られる、まだ自分が一度も聞いたことのなかった過去。
ほんの少し、彼のプライベートに触れられた気がして、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「でもさ、俺の都合も聞かずに自分だけクリスマス満喫するのってちょっと狡いよな」
俺だって、お兄さんと二人っきりでクリスマスを過ごしたかったのに。なんて言いながらするりと肩に凭れ掛かって来て、ドキリと心臓が跳ねる。
そのまま甘えるような仕草で太腿をするりと撫でられて、思わず身体を固くした。
「……っ」
コイツは、わざと煽っているのか? こんな、子供たちや人目がある場所でなんて事を。
「ほ、ほらっ! 海斗君が手を振ってるよ。一緒に行って遊んであげなよ」
「……お兄さんは何処にもいかない?」
捨てられた子犬のような目をしてそんな風に言われたら、ノーとは言えない。
そもそも、何処にも行く気なんて無いのだけれど。
「行かないよ。此処に居る」
どうせ今日は何の用事も入れていないし、此処まで来てハイさよなら。なんて寂しい事は流石にしたく無い。
苦笑しつつそう言えば、ナギは嬉しそうに破顔して海斗が居る滑り台へと走って行った。
彼の後ろ姿を見つめながら、蓮は大きく溜息を一つ吐いた後、項垂れた状態でガシガシと頭を掻く。
「はぁー、心臓に悪い」
と言うか、身体に悪い。会えないと思っていた分、気持ちが高揚して浮かれていたのか、完全に油断していた。
さっきのが、わざとか天然なのかはわからないが、不意打ちで可愛い事をするものだからタチが悪い。
「お兄さーん」
とびっきりの笑顔で、巨大な滑り台の上から海斗と一緒になって手を振ってくるナギは、無邪気そのものだ。
「あーもう……」
なんなんだ、あの可愛さ。無意識だとしたらタチが悪すぎる。
蓮は手で顔を覆いつつ、ニヤけそうになる顔を必死で押さえた。
ナギたちがアスレチックへと向かって5分もすれば、彼の正体に気付いた親子連れがチラチラとそちらに視線を向け、何やら小声で話し込み始めるのが目立ち始めた。アスレチック内から、ナギたちの様子を盗み見ている母親らしき人達もチラリと視界に入る。
「ねぇねぇ、今の見た?」
「見た見た! あれ、ナギ君じゃない?」
「可愛い~、顔ちっさい! 子供連れてるけど、誰の子かな?」
そんなヒソヒソ声がこちらにまで響いて来る。
今、此処にいる子連れ夫婦の多くは獅子レンジャーをリアルタイムで見ている世代だ。帽子を被る程度では、正体がバレるのは時間の問題だろう。
案の定、あれよあれよという間に二人の周りには人集りが出来始め、キャアキャアと黄色い声が飛び交うのが遠目からでも確認できた。
「やっばい、ナギ君可愛い」
「なんかいい匂いするー」
「テレビで観るより、実物の方が数倍可愛いんですけど!」
そんな声が飛び交うのを少し遠くで見つめながら、蓮は何処か誇らしげな気持ちで鼻を擦る。
そう、そうだろう。ナギは可愛いんだ。 二人きりの時はもっと可愛い……。
内心満更でもない様子でフフンと鼻を鳴らしていると、不意に頭上に影が差した。
「あのっ……御堂、蓮さん……ですよね?」
見上げると、いかにも清楚系女子と言う言葉が似合いそうな女性が、生後間もない赤ちゃんを抱っこひもであやしながら、少し恥ずかしそうに声を掛けてきた。
「っ、は、はぁ……」
「やっぱり! 獅子レンジャーチャンネル、毎日観てます! 私、蓮さん推しなんです! この間の女装、すっごく素敵でした!」
「……ハハッ」
女装を褒められて嬉しいかはさておき、ひとまず笑顔で受け取る。
銀次の編集の妙か、弓弦の破壊力か――コラボ第2弾の女装動画は瞬く間に伸びて、自分宛ての応援メッセージも目に見えて増えた。
「蓮さんカッコいいですよね。ナギ君は可愛いけど、二人ともイケメンで大好きです。握手してもらってもいいですか?」
まさか自分まで声を掛けられるとは思っていなかったが、無下にはできない。
「どうも」と笑って右手を差し出す。――その仕草を合図にしたみたいに、周りの視線が一斉に集まり、さらに人の輪が膨らんでいく。
何だかまずい事になって来た。このままナギと合流できなかったら困る。早急にこの状況を何とかしなければ。
そんなことを考えていると、不意に頬に冷たい雫が滴った。視線を上げるといつの間にか空がどんより暗く、分厚い雲が上空を覆い始めている事に気付く。
「あ、雨……」
誰かの呟きに続くように、暗い空から糸のような雨が静かに落ち始めた。最初は頬に一、二滴――すぐに細かな粒が一面に広がり、遊具の金属がチリチリと鳴る。
主婦たちは子どもを抱え、ベビーカーを押し、蜘蛛の子を散らすように東屋や駐車場の方へ走っていく。さっきまでの歓声は、濡れた地面を蹴る足音とざわめきに飲み込まれた。
蓮も立ち上がり、思わず空を仰ぐ。白い息がふっと散って、まつ毛に溜まった雫が視界を滲ませる。
(ナギと海斗君は――どこだ)
滑り台のステンレスが鈍く光り、濡れたゴムチップが靴底をキュッと掴む。蓮は人の流れを縫い、アスレチックの方へ視線を走らせた。
そのとき、雨の帳を裂くように、聞き慣れた声が飛ぶ。
「お兄さん、何やってるの? 早く、こっち! 濡れちゃうよ」
「ごめん。今行く」
顔を上げると、ナギが海斗を抱え、屋根付きの遊具の下で手を振っている。
蓮はフードもないまま肩をすくめ、滑らぬように手すりを掴んで小走りになる。頬を打つ雨はもう糸ではなく細い針だ。
ようやくたどり着いて庇の内側へ身を滑り込ませると、耳元で雨の音が一段遠くなった。濡れた肩に、ナギが気遣うように目を細める。
「これ、止みそうにないね……。家、すぐそこだから戻ろ。海斗が冷えちゃう」
「わかった。手伝うよ」
ナギは海斗君をママチャリの後ろに乗せ、蓮は荷物を持って横に並ぶ。三人と一台で、雨脚を避けるように公園を後にした。
なんという怒涛の一日。あっという間に濃くなった雨は周囲を一気に包み込み、蓮は直ぐ近くにあると言うナギの実家へと連れて来られた。
風邪をひいてはいけないからと、海斗君をナギが風呂に入れ、蓮が裸で走り回る少年を捕まえてタオルで拭き、服を着せて髪を乾かしてやった。
自分の近くには幼い子供はいないので、何をどう対応していいのかわからず、右往左往してしまった自分が情けない。
それから、半ば強引に風呂場へと押し込まれ、気が付けば小鳥遊家の風呂に入っている。
本当に良かったのだろうか? 何だか、どさくさに紛れて図々しく上がり込んでしまった気がする。
まさか、彼の実家の風呂に入るなんて思ってもみなかった。
湯船に浸かりながら、天井を見上げる。湯気でぼんやりと曇った視界の中で、蓮は一人溜息を吐いた。
今日一日、色んな事がありすぎた。クリスマスの日くらいはナギと一緒に過ごしたいと思ってはいたけれど、まさかこんな展開になるなんて。湯気を吸い込みながら、胸のざわつきが少しずつ静まっていくのを感じる。
「――はぁ……上がろう」
これ以上、考え事をしていたら頭がのぼせてしまいそうだ。
風呂から上がり、ナギが用意してくれた服に袖を通すと、シャツからふわりと愛用の柔軟剤の香りが立ちのぼり、どきりとした。
サイズはぴったり、着心地も申し分ない。襟元を鼻先に寄せて、すん、と香りを吸い込む。爽やかな甘さが鼻腔をくすぐり、まるでナギに包まれているようで、むず痒い気分になる。
「ごめん、服まで貸してもらっちゃって。お風呂ありがと……って――」
リビングの扉を開けると、海斗を抱いたまま、こたつでうつらうつらしているナギの姿が目に飛び込んできた。
「まったく……そんなところで寝てると風邪ひくよ?」
「ん……」
蓮の声に、ナギがぱちりと目を開ける。眠気にとろんとした顔がいつも以上に可愛くて、胸が跳ねた。
腕の中では幼い弟がすやすや眠っていて、その寝顔に思わず頬が緩む。
「ふぁあ……ごめん、いつの間にか寝ちゃってた」
「いいよ。海斗くんの部屋、どこ? ベッドに寝かせてくる」
そっと抱き上げても、よほど眠りが深いのか起きる気配はない。
(幼い頃のナギも、こんなふうだったのかな)
そんなことを思いながら教えられた子ども部屋へ運び、そっとベッドに寝かせる。
こうして見ると、本当にナギに似ている――子どもは得意じゃないし接し方も分からないけれど、寝顔はたまらなく可愛い。
しばらく見守ってから部屋を出て、リビングへ戻る。こたつに入ったナギが手招きし、隣を促してきた。
「なに?」
不思議に思って腰を下ろした瞬間、伸びてきた腕が背中に回る。
「え、ちょ、なに? な、ナギ……」
驚いて身をよじると、猫みたいにするりと体を密着させてくる。
「俺にもかまってよ」
「っ」
甘える声に、思わず目を見開く。
「……僕の理性を試しているのかい?」
「なにそれ」
くすくす笑いながら、ナギはさらに寄り添ってくる。
「今夜……両親、戻ってこないんだ。だから……泊まっていってよ」
耳に息をかけるみたいに囁き、頬にちゅっと口づけ。視線が絡む。
「……だめ?」
熱っぽい上目遣いに、断るという選択肢は――理性ごと、どこかへ飛んでいった。
「~~~っ、あまり煽らないで。僕、我慢できなくなるだろ?」
こたつの中で足先が触れ合い、寄りかかってきたナギと視線が絡む。引き寄せられるみたいに唇を重ねると、熱がゆっくりと移ってくる。
「……我慢なんて――っ」
角度を変えて何度も口づけるたび、擦れ合う息が甘くなる。名を呼ばれて、背筋がぞくりと震えた。
「ほんっと、誘うのが上手いよね……」
さらりとした髪を耳へ払う。触れたところから、体温が伝わってくる。肩が小さく跳ね、くすぐったそうに身をよじる仕草が可愛くて、つい頬が緩んだ。
「……可愛い」
囁くと、ナギは恥ずかしそうに視線を泳がせる。こたつの陰で指がそっと彷徨い、布越しに輪郭をなぞるだけで呼吸が乱れていく。
「こんなところじゃ――せめて、ベッドで……」
「無理。このまま、君が欲しい」
腰を抱き寄せると、ナギの瞳が大きく瞬き、頬にゆっくり赤みが差す。短い沈黙が熱を孕んで膨らみ、もう引き返せないところまで来てしまったのだと悟る。
「ナギがそんな顔をするから、僕も我慢できない」
背中を支え、そっと横たえる。重なる影の中で、指が絡み、息が絡む。世界はふたり分の鼓動だけになっていった。
やがて、静けさ。こたつの温もりに身を沈め、腕枕に頭を預けたナギの髪を、蓮は指先でそっと梳く。
「あ、そういえば……」
「うん?」
「どうせ君に会えるってわかってたら、プレゼント持ってきたのに。……ごめん。今度渡すよ」
申し訳なさそうに言うと、ナギは「そんなことか」と笑った。
「プレゼントなんて要らない。こうやってお兄さんと一緒にクリスマス迎えられただけで、俺は幸せだよ」
胸元にすり寄る気配に、蓮の胸がじんと熱くなる。
「……ほんと、君は僕を夢中にさせるのが上手いね」
「……嫌いになった?」
上目遣いの、不安を滲ませた声は反則だ。
「まさか。もっと夢中にさせられて、困ってる」
頬に手を添え、鼻先へそっと口づける。ナギはくすぐったそうに笑った。
「俺は、ずーっと前からお兄さんに夢中だけどね」
「また“お兄さん”呼びに戻ってる」
「だって、やっぱり恥ずかしいよ……」
真っ赤になって身をもぞつかせる体を抱き寄せ、額にちゅっとキスを落とす。目が合えば、自然と唇が触れた。部屋の空気は、あっという間に甘く満ちていく。
「ねぇ、もう一回したい」
「え……えっと……こたつは、やだ」
胸元に顔を埋めて小さく告げる仕草が、たまらなく可愛い。
「じゃあ、ナギのベッドはどこ?」
耳元で囁くと、耳まで真っ赤にしてコクリと頷く。――今夜は、寝かせてあげられないかもしれない。
そんなことを思いながらナギの体を抱き上げ、蓮は寝室へ歩き出した。
「兄ちゃん」
耳に馴染みのない、高い声が落ちてくる。
蓮の意識がゆっくり浮上した。
「兄ちゃん、起きて」
夢うつつに聞いていた蓮は、一気に目が覚める。まぶたを上げると、視界いっぱいにナギの顔。
一瞬、状況が飲み込めずギョッとしてわずかに身を引いたが、すぐ昨夜を思い出し、あどけない寝顔に目を細めた。
――まずい。背中に嫌な汗がにじむ。
今、ナギの体を揺すっているのは弟の海斗だ。
蓮は上掛けの中で息を潜める。顔の半分は布団に埋まり、ナギの体が盾になっている。こちらの存在には気づかれていない、はず。
「ん……いま、なんじ?」
「朝だよ、起きてよ〜。おしっこ漏れちゃう〜」
情けない声とともに、海斗がもじもじと足を擦り合わせる。
「んー、先にトイレ行ってきなよ」
「やだぁ、一緒に来てよぉ」
「わかった、わかったから……ちょっと待って」
甘えて擦り寄る海斗。ナギは眠そうに目をこすり、重い腰を上げる――その拍子に蓮の存在へハッと気づいた。
「あ、えっと……おはよ」
「……おはよ。――それより、早くトイレ連れてってあげたら?」
ぎこちなく促すと、ナギは戸惑い気味にこくりと頷く。
「海斗、ちょ、ちょっとだけ待ってて! 後ろ向いて十数えて!」
「やだぁ、漏れちゃうよ〜!」
「っ、わ、わかったよ……!」
焦った声を残し、ナギは海斗を小脇に抱えて、ベッド脇に落ちていたズボンと下着をつかむと、バタバタと走り去った。
下半身丸出しで走るナギの姿は中々シュールだ。――が、笑い事ではない。
海斗がどこまで見ていたかはわからないし、子どもは悪気なくなんでも口にする。油断ならない。
蓮はひとまず布団を抜け出し、床に脱ぎ捨てられていたズボンをはいて、そっとベッドから降りた。
「はぁ、間に合ったぁ」
「……お帰り。よかったね」
「よくないよ。海斗に“なんでパンツ履いてないの”って聞かれて、誤魔化すの大変だったんだから」
「ははっ、それは……うん、ごめんね?」
ナギはふてくされたように唇を尖らせる。蓮は思わずくすっと笑った。
「笑い事じゃない!」と言い合いながらも、目が合うとどちらからともなく吹き出してしまう。
「ちなみに、なんて答えたんだい?」
「っ、教えないっ! とにかく! お兄さん、やり過ぎなんだよ……っ」
「とかなんとか言って、ナギもノリノリだったくせに」
「うるさいなぁ。だって、久しぶりだったし……」
ごにょごにょと続けた言い訳は、途中で恥ずかしくなったのか尻すぼみになった。
「兄ちゃん、おなかすいたー」
「ハイハイ、ちょっと待って! 今行くからっ」
リビングから海斗の急かす声が飛ぶ。ナギは慌てて返事をし、振り返って蓮を見る。
「えっと、じゃあ俺……先に行ってるね」
ちゅっと額にキスを落として、そそくさと寝室を出ていった。ドアの向こうで、軽い足音が遠ざかる。
自分のまわりに小さい子はいないし、幼い頃にいちゃつく両親を見た記憶もほとんどない。――それでも、今のは、けっこういい。
子どもを持つつもりも、家庭を持つ気もなかった。だけど、ナギとこんなふうに過ごせる未来があるのなら、毎日が少し楽しくなるのかもしれない――そう思った瞬間、頬がゆるむのをどうしても止められなかった。
結局その後、そろそろ帰ろうかという頃合いに、クリスマスを満喫して戻ってきたナギの両親と初対面することになった。
もともと蓮のファンだったらしい母親にサインを求められ、蓮はいたたまれなさと申し訳なさが入り混じった気持ちでペンを取る。
さらに「もう少し話を聞きたい」という母の強い希望もあり、断りきれずに夕飯をご一緒することに。気づけば、もう一泊する流れになっていた。
「ごめんね、お兄さん。母さん、強引なところがあってさ」
「いや、それはいいんだ。けど、二晩も泊めてもらっちゃってよかったのかな?」
順番に風呂を済ませ、ナギの部屋には客用の布団まで用意してもらった。ようやく一息ついた頃には、すっかり夜も更けている。
ベッドを背もたれ代わりに並んで座り、指を絡めて手をつなぐ。
今日一日、母親や再婚相手だという父親ともいろいろ話したが、さすがにいま交際中だという事実だけは言えず、ごまかしてしまった。
「いいんだよ。俺も、お兄さんと一緒にいたかったし……」
ことん、と蓮の肩に頭をもたせかける仕草が、どうしようもなく可愛い。
「……っ、そういう可愛いこと言われると、辛いものがあるな……」
「へ? って、さ、流石に今夜はだめだからね!? 何考えてるんだよ……っ」
真っ赤になって慌てるナギに、蓮はくすりと笑い、そっと抱き寄せた。
「大丈夫だよ。さすがにご両親がすぐそばにいるんだから、しないって。――ああ、でも……キスくらいは、いいだろ?」
耳元で囁き、くい、と顎を持ち上げて視線を絡める。
「……っ、キス……だけ……だからね?」
ナギは一瞬息をのむが、すぐに小さく頷いて、ぎゅっと目を閉じた。
遠慮がちに顎を持ち上げていた蓮の手が、優しくナギの頬を包み込む。
引き合うみたいに唇を寄せ合い、触れるだけのキスをして、ゆっくり離れる。
「――……なんだか、くすぐったいな」
照れたように微笑むナギに、蓮はクスクスと笑みを零して再び触れ合うだけのキスをしようと顔を寄せる。
「ママ? そこでなにしてるの?」
突然、部屋の外から無垢な声が飛んで来て、二人はギョッとして思わず身体を離した。油の切れたロボットのように振り向くと、ナギの母親が隙間から顔を覗かせていた。
ナギそっくりな目をしたつぶらな瞳が蓮たちをジッと見つめていて、蓮は心臓が止まりそうなほど驚いた。
一体、いつから彼女は覗いていたのだろうか。
「か、かぁさんっ!ちょっと!何してんだよ」
「あらぁ、ごめんなさい。邪魔するつもりは無かったんだけど……。スマホ、リビングに置きっぱなしだったから届けようと思って」
ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべる母親の姿に、ナギは真っ赤な顔で口をパクパクさせている。
蓮は緊張と焦りで心臓が破裂しそうで、ごくりと唾を飲み込んだ。
「フフ、大丈夫。パパには言わないから。こっちの事は気にしないで、ゆっくりしてていいからね!」
満面の笑顔でそう言って、隙間からスマホを差し入れると恭しくドアが閉じられる。
パタン、と無情にも閉じられたドアを呆然と見つめながら、二人は同時に深いため息を吐いた。
「もー、いつもドアはノックしてって言ってるのに……」
はぁっと頭を抱えるナギに、蓮は苦笑いをする。
「まぁ、でも……お母さん公認? になれてよかったじゃないか。随分好意的な感じだったけど」
「それは……まぁ……そう、だけどさ……」
ナギははぁーっと深いため息を零すと、ガシガシッと頭を掻いてそれから蓮を見つめた。