TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

100日間のオレンジ

一覧ページ

「100日間のオレンジ」のメインビジュアル

100日間のオレンジ

14 - 第14話

♥

25

2026年01月21日

シェアするシェアする
報告する

雪に閉ざされた廃別荘。

外の世界の時間は止まり、この部屋だけが宇宙に浮かぶ小島のようだった。


​元貴の病状は、残酷なまでに進行していた。


もはやスケッチブックの文字も判別できず、若井が誰であるかという「知識」さえ、時折霧の中に消えてしまう。


今の元貴を繋ぎ止めているのは、唯一残された「触覚」。

自分を抱きしめる腕の力強さと、指先から伝わる体温だけだった。


​若井は、一日中元貴の隣にいた。


食事を口に運び、冷えた手足を摩り、髪を梳かす。それはもはや恋人への献身を超えて、壊れやすい神様を祀る儀式のようでもあった。


​夜、暖炉の火が爆ぜる音だけが(元貴には聞こえないが)部屋に響く中、元貴がそっと若井の手を引き、自分の胸元に導いた。


​「……あ、……ぅ……」


​声にならない微かな吐息。

元貴は、若井の指を借りて、自分の心臓の上に何かを書かせようとした。


若井は、元貴の意図を汲み取り、彼の柔らかな肌の上にゆっくりと指を滑らせる。


​『 こ ・ こ ・ に ・ い ・ る ・ よ


​一文字書くたびに、元貴の体が小さく跳ねる。


元貴は目を閉じ、指先が描く筆跡を心に刻んでいた。


次は、元貴が若井の手の甲に指を走らせる。

視界が効かないため、その線は歪んでいたけれど、若井には分かった。


​『 わ ・ か ・ い ・ の ・ぜんぶ ・ ぼ ・ く ・ に ・ ちょう ・ だ ・ い


​若井は息を呑んだ。


元貴は、自分が自分であるうちに、若井の「存在そのもの」を体に刻み込もうとしている。


​若井は元貴のパジャマのボタンを外し、その白い肌に直接、自分の名前を指でなぞり続けた。


背中、肩、腕、そして心臓の真上。


何度も、何度も。皮膚が赤くなるほど、執拗に。


​「……っ、……ん……」


​元貴は、その感覚を飲み込むように、若井の首に細い腕を回した。


二人は毛布の中で、肌と肌を密着させる。


視界が灰色で、音が無音でも、重なり合う体温は驚くほど鮮やかな「生」の色彩を放っていた。


​若井は元貴の耳元で

(聞こえないと分かっていても)囁き続けた。


「元貴、俺はここだ。

お前の若井滉斗は、ここにいる。

お前の痛みも、暗闇も、全部俺にくれ。

お前を一人で逝かせたりしない」



​元貴は、若井の背中に爪を立て、必死にその体温を吸い込もうとした。


そのとき、元貴の脳裏に、かつてないほど強烈な「オレンジ色の光」が溢れた。


それは過去の記憶でも、共感覚の悪戯でもない。


今、自分を愛してくれているこの男の、命の輝きそのものだった。


​元貴は、声の出ない唇を動かし、若井にキスをした。


その唇は、はっきりとこう形作った。


​( し ・ あ ・ わ ・ せ ・ だ ・ よ


​若井はその言葉を読み取り、元貴の胸に顔を埋めて慟哭した。


こんなに愛しているのに、救えない。こんなに幸せなのに、終わりが近づいている。


​その夜、元貴は深い眠りに落ちた。


若井は、元貴のポケットに手を入れたとき、小さな折り畳まれた紙を見つけた。


それは、かつて涼ちゃんから渡された、あの「もう一冊のノート」の切れ端だった。


​そこには、元貴がまだ文字を綺麗に書けた頃に、若井への「サプライズ」として隠していたメッセージがあった。


​**『滉斗へ。もし僕が笑わなくなったら、僕たちの最初の曲を弾いて。音は聞こえなくても、僕の心臓がそれを歌うから。』**


​若井は、暖炉のそばに置かれたボロボロのギターを手に取った。


指先は凍えていたが、彼は元貴のために、二人が初めて音楽室で合わせた、あの拙くて瑞々しいメロディを弾き始めた。


​無音の雪原に、二人の「最初の音」が、記憶の灯火のように灯された。

loading

この作品はいかがでしたか?

25

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚