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FORSAKEN最深部。
主であるスペクターの執務室。
そこは最近、領域内で少し有名になっていた。
理由は簡単である。
魔界最強クラスの支配者が住んでいるからではない。
古代の覇王ノスフェラトゥが、毎日そこに生息しているからだ。
「主様。朝のお座りと待ての定例報告に参りました」
カチャリ。
ドアが開く。
次の瞬間。
ズサァァァァッ!!
黒い残像が床を滑った。
ノスフェラトゥである。
美しいフォーム。
無駄のない着地。
完璧なスライディング土下座。
芸術点100点。
速度も100点。
威厳だけ0点だった。
「本日も無事、主様の許可なく呼吸を行いました」
「そうかい」
「主様の支配下で心臓も動いております」
「それは良かった」
「お褒めのお言葉を」
「褒めてはいないよ」
「ありがとうございます!!」
「聞いておくれ」
スペクターは静かにコーヒーを飲んだ。
最近の日課である。
ノスフェラトゥの暴走を受け流しながらコーヒーを飲む。
かなり高度な技術だった。
かつて。
スペクターは遊び半分でノスフェラトゥを弄った。
少し命令した。
少し焦らした。
少し褒めた。
少し可愛がった。
結果。
出来上がった。
「主様」
「なんだい」
「今日の私は良い子でしょうか」
「普通かな」
「良い子!!」
「普通だよ」
「良い子!!!!!」
「会話を改竄しないでくれないかな」
ノスフェラトゥの背後で巨大な犬の尻尾が見える。
もちろん幻覚である。
だが最近はホスフォラスが、
「あれ本当に見えてない?」
と言い始めていた。
スペクターは静かにため息を吐いた。
正直に言おう。
少し重い。
かなり重い。
想像以上に重い。
首輪を外した。
戻ってきた。
再び首輪をつけた。
ゆゆゆゆ
16
ゆゆゆゆ
76
29
喜んだ。
追い出した。
喜んだ。
無視した。
喜んだ。
怒った。
もっと喜んだ。
どうしろというのだ。
「主様」
「なんだい」
「今日のお預け予定はありますか」
「ないよ」
「なんと素晴らしい焦らし……!」
「ないだけだよ」
「高度すぎる……!」
スペクターは額を押さえた。
本当に頭が痛い。
そこへ。
執務室のドアが開いた。
「失礼します」
アズールだった。
大量の書類を抱えている。
そして。
部屋の様子を見た瞬間。
真顔になった。
「……また足元にいる」
「おはようアズール」
「おはようございますスペクター様」
「君も大変だね」
「スペクター様ほどでは」
二人の視線が同時に下へ向く。
ノスフェラトゥは幸せそうだった。
とても幸せそうだった。
世界が平和になった子供みたいな顔をしていた。
「年長者」
「なんだアズール」
「なんでそんな顔してるの」
「主様の半径三メートル以内だからだ」
「気持ち悪い」
「褒め言葉として受け取ろう」
「褒めてない」
そこへ。
廊下から笑い声が聞こえた。
「あははははは!!」
ホスフォラスだった。
今日も元気だった。
「見て見てアズール!」
「何」
「スペクター様また押されてる!」
「見ればわかる」
「完全に立場逆転してる!」
「それも見ればわかる」
ホスフォラスは腹を抱えて笑った。
「昔はさー!」
「うん」
「スペクター様が調教してたのに!」
「うん」
「今はスペクター様の方が押されてるじゃん!!」
スペクターは静かに目を閉じた。
否定できなかった。
ノスフェラトゥは嬉しそうに顔を上げた。
「何を言うホスフォラス」
「え?」
「私はただ主様に従っているだけだ」
「その従い方が重いんだよ」
「愛が深いと言え」
「同じことだよ」
アズールが即答した。
スペクターは思わず吹き出した。
クスクスと肩を揺らす。
その笑顔を見た瞬間。
ノスフェラトゥが固まった。
「……主様」
「ん?」
「今、笑いましたね」
「笑ったね」
「私を見て」
「そうだね」
「私を見て笑いましたね」
「面白かったからね」
数秒の沈黙。
そして。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
ノスフェラトゥが崩れ落ちた。
「満足した犬みたいな声出さないでくれるかな」
スペクターが呆れながら頭を撫でる。
ポン。
ポン。
ポン。
それだけだった。
それだけなのに。
「あうぅぅぅん……」
完全に終わった。
アズールは天井を見上げた。
ホスフォラスは床を叩いて笑った。
スペクターは苦笑した。
そしてノスフェラトゥは。
世界で一番幸せそうな顔で。
主の足元にお座りしていた。
命令ではない。
鎖もない。
それでも彼は離れない。
むしろ。
自由だからこそ。
誰よりも自分からそこに居続けている。
「主様」
「なんだい」
「私は良い子でしょうか」
スペクターは少しだけ考えた。
そして。
優しく笑った。
「うん。君は本当に手のかかる良い子だね」
数秒後。
執務室の床を揺らす勢いでノスフェラトゥが再びデスクの下へ滑り込んだのは言うまでもない。
FORSAKEN最深部。
今日もそこには。
世界で一番騒がしくて。
世界で一番面倒で。
そして誰よりも幸せな忠犬と。
そんな忠犬に呆れながらも放っておけない主の姿があった。
完璧な調教の、その先。
そこにあったのは支配でも服従でもない。
ただひたすらに。
重たいくらいの信頼と。
どうしようもない愛着だった。
———完
コメント
4件
エッ!?もう終わっちゃった😭 いつも楽しく見させてもらってます!! 終わっちゃったの悲しい😭