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――境界線は、静かに軋んでいた。
FORSAKEN最深部。
漆黒の空間を裂くように存在する“次元境界回廊”は、二つの領域を隔てる巨大な裂け目である。
片や、冷徹なる支配と絶対的主従によって統べられた闇の領域《FORSAKEN》。
そしてもう片方――。
反転した精神構造と歪んだ慈愛によって成立する異界、《SWAPSAKEN》。
その玉座の間は、FORSAKENとは対照的だった。
黒ではなく白銀を基調とした大理石の空間。天井からは薄青い魔導灯が淡く降り注ぎ、空気には百合の香りが満ちている。
だが。
その美しさの奥底には、確かに“狂気”が沈殿していた。
「ようこそお越しくださいました、スペクター様」
玉座の上。
銀髪を腰まで流した女王――アクチュアリティが、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて立ち上がる。
その姿はまるで聖女だった。
白銀のドレス、透き通るような肌、穏やかな眼差し。
だが、その頬はほんのり赤く染まり。
呼吸は、わずかに熱を帯びている。
理由は単純だった。
彼女の視線は、スペクター本人ではなく――その“足元”に釘付けだったからだ。
「…………」
スペクターの椅子の横。
そこには、完全なる“待て”の姿勢で控えるノスフェラトゥがいた。
片膝をつき、背筋を伸ばし、両手を膝の上に置く。
視線は主へ。
呼吸すら静かに制御された、完璧な従属姿勢。
その喉元には、黒い首輪。
カチリ、と小さな金具が揺れる音だけが、静寂に響いていた。
アクチュアリティは、ぶるりと肩を震わせた。
「まあ……なんて……」
彼女は恍惚とした吐息を漏らす。
「あれほど高貴な王が、自ら首輪を受け入れ……主の椅子の足元で、存在そのものを“待機状態”へ調律されているなんて……っ」
「…………」
「素晴らしい……。なんという高度な従属構造……。ああ……私も椅子の脚になって、スペクター様のお体を永久荷重として受け止め続けたい……」
「アクチュアリティ女王」
スペクターが、にこやかな笑みのまま言った。
「外交の場で人の椅子を性的に見つめるのはやめてくれるかな」
「はぅんっ……!」
一撃だった。
温度ゼロ。
慈悲ゼロ。
完璧な“素のツッコミ”。
その瞬間、アクチュアリティの肩がビクリと跳ねる。
「冷たい……っ。ああ……っ、今の“本気で引いている声”……! 胸が……胸が苦しいです……!」
「人の話を聞かないタイプかぁ……」
スペクターは深々とため息をついた。
その横で。
ゴゴゴゴゴ……。
低い地鳴りのような音が響き始める。
「…………おい」
ノスフェラトゥだった。
真紅の瞳をギラギラと光らせながら、彼はゆっくりと顔を上げる。
「気安く……我が主様の“冷徹な塩対応”を浴びているんじゃない……」
「……あら?」
アクチュアリティが優雅に微笑む。
ノスフェラトゥは立ち上がった。
長い銀髪を揺らし、威圧感すら漂わせながら、一歩前へ出る。
「その拒絶は……! その完璧な温度差は……! 日々のお預け、叱責、無慈悲なデコピンを積み重ね、長い年月をかけて築き上げた“信頼と実績”の上に成立する最高級のご褒美なのだぞ……!!」
「まあ……独占欲の強いわんちゃん」
アクチュアリティは頬に手を当て、うっとりと目を細めた。
「ですが、私だって負けませんわ。もしスペクター様から『君の領域運営は邪魔だから消えて』と言われたら……ああ、きっと私は感涙しながら国ごと爆散できます……」
「重ッッッ!!」
アズールが即座にツッコんだ。
彼は壁際で腕を組み、完全に死んだ目をしている。
「何この会談。変態の思想強度が高すぎて空気が粘ついてるんだけど」
「アズール君、それは褒め言葉ですか……?」
「違う。災害認定」
だが、当人たちは止まらない。
「主様! どうかこの女王に、最大級のお預けを……!」
「いいえスペクター様! 私には永久出禁くらいが丁度よろしいかと……!」
「永久出禁だと……!? 貴様、それほどの高難易度プレイを望むとは……!」
「そちらこそ、“待て”だけで瞳孔が開いておりますわよ?」
「当然だろう!!」
「やめなさい君たち」
スペクターの声が、スッと空間を冷やした。
その瞬間。
ピタァッ――と二人が静止する。
スペクターは椅子に深く腰掛け直し、赤いシルクハットの縁を軽く指で叩いた。
「これ以上騒ぐなら、今日の商談は中止。加えて今後一切、FORSAKENへの立ち入りを禁止する」
静寂。
数秒の沈黙。
そして。
「「――ッッッ!!!」」
ノスフェラトゥとアクチュアリティの顔が、同時に真っ赤になった。
「至高の全面封鎖プレイ……っ!!」
「出禁という名の永続的拒絶……っ!!」
「やめろその方向に解釈するな」
スペクターが額を押さえる。
しかしもう遅かった。
ノスフェラトゥは「しゅ、主様からの長期冷遇措置……!」とブツブツ呟きながら壁際でガタガタ震え始め、アクチュアリティは玉座の上で「ありがとうございます……っ」と完全に蕩けた顔になっている。
地獄だった。
外交どころではない。
アズールは書類を閉じた。
「……主様。もう領域統合とか諦めて、この二人まとめて檻に入れない?」
「私も今それを真剣に検討しているよ」
深いため息。
その横で、ノスフェラトゥだけが幸せそうにスペクターの靴先を見つめていた。
首輪の金具が、カチリ、と小さく鳴る。
その音だけで、彼は満足そうに目を細める。
――FORSAKENとSWAPSAKEN。
二つの狂気が交差する境界線の向こう側でもなお。
スペクターの胃痛と、従属欲まみれの怪物たちによる奇妙な平和は、今日も元気に継続中だった。
ゆゆゆゆ
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