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Mami
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第6話 欠けたピースを集める
「始まりの場所」から帰ってきて以来、ネスの表情からはあの張り詰めたような恐怖が消えていた。
自分がカイザーの「恋人」であったという事実が、あいつの心に小さな、けれど確かな錨(いかり)を下ろしたのだろう。
「カイザー、次の休日は……その、もしよろしければ、僕と出かけませんか?」
「あぁ? 当たり前だろ。お前のデートの相手は俺以外に認めねぇよ」
少し照れたように微笑むネスを連れて、俺たちは週末、かつて二人でよく歩いたミュンヘンの街へと繰り出した。新しく恋をやり直すための、そして、あいつの欠けた記憶を少しずつ手繰り寄せるためのデートだ。
*
俺たちは、かつて二人のお気に入りだった路地裏の小さなベーカリーに立ち寄り、プレッツェルを買ってベンチで食べた 。
「どうだ、ネス。何か思い出すか?」
「はい……。ここのパンの香りと、あなたがいつも僕の食べ残しを『しょうがねぇな』って笑って食べてくれたこと……なんとなく、視覚じゃなくて『感覚』が覚えています」
「ふん、お前はいつも俺に甘えてばっかりだったからな」
嘘だ。本当は、ネスが俺に甘えてくれる時間が、俺にとって唯一の救いだった。
その後も、二人でよく通ったセレクトショップや、お互いの服を選び合ったお気に入りのブティックを巡った。ネスはその都度、「あ、この服の感触……」「このお店の匂い……」と、記憶の断片を愛おしそうに拾い集めていく。全てが一気に戻るわけではない。けれど、モザイク画を一枚ずつ埋めていくようなその歩みは、もどかしくも、酷く愛おしい時間だった。
夕方が近づく頃、俺たちは街を見下ろせる、少しクラシカルな作りの古い木造の橋の上にいた。
川面が夕日でオレンジ色にキラキラと輝き、冷たい川風が二人の髪を揺らす。
「楽しかったな、ネス」
「はい……! すべてを思い出せたわけじゃない。でも、今日一日あなたと過ごして、僕がどれだけあなたのことを大切に想っていたか……それだけは、痛いほど分かりました」
ネスは橋の手すりに身を預け、愛おしそうに俺を見つめた。そのハシバミ色の瞳には、あの事故以来ずっと消えていた、俺への深い『愛』の光が確かに灯り始めていた。
「記憶を失くして、あなたの隣にいるのが怖かった時も……本当は、ずっとあなたの温もりを求めていたんです。僕の脳が忘れても、僕の心は、ずっとあなたに恋をしたままでした、カイザー」
そんな健気な言葉を、今のネスが口にするなんて思わなかった。かつての狂信的な盲目さとは違う、一人の男として、俺を真っ直ぐに見つめて紡がれた言葉。
俺の胸の奥が、熱い感情で満たされていく。
もう、我慢の限界だった。
「……ネス」
俺は一歩、ネスとの距離を詰めた。あいつの細い腰に手を回し、自分の方へと引き寄せる。ネスは一瞬驚いたように目を見開いたが、今度は逃げようとはせず、そっと俺の胸に両手を添えた。
「カイザー……っ」
「お前が俺を忘れても、心が覚えてるならそれでいい。……もう一度、俺に溺れろ」
囁くと同時に、俺はネスの少し冷えた唇を、自身の唇で塞いだ。
深く、貪るようなキス。
始まりの場所でのキスが「事実の確認」だったとしたら、今のこれは、紛れもない「今、この瞬間の愛」の証明だった。
「ん……ぅ……」
ネスの小さな甘い声が、風の音に消えていく。
絡み合う舌の熱、互いの吐息、そして重なる鼓動。
あいつの身体が、俺の腕の中で快感に小さく震える。その 馴染み深い反応に、俺の心臓はちぎれそうなほど愛おしさで跳ね上がった。
ゆっくりと唇を離すと、ネスは顔を真っ赤に染め、潤んだ瞳で俺を見上げていた。
「……あ。今、頭の中に……」
「何か見えたか?」
「はい……。もっと暗い部屋で、あなたが、僕を何度も……抱きしめて、キスをして、愛してくれている、すごく熱くて、幸せな……記憶が……っ」
ネスは自分の唇を指先でなぞりながら、ぽろぽろと涙をこぼした。
キスの刺激が、二人が愛を深め合っていた夜の記憶を呼び覚ましたのだ。
「焦るな、ネス。まだデートの途中だろ」
俺はネスの涙を親指で優しく拭い、その細い手を今度は恋人として、指を絡めて強く握りしめた。完全な記憶の再生まで、あと少し。俺たちの恋は、ここからさらに深く、加速していく。
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