最終章「天上界からの使者」
モニターに映る由美の姿を見ていた祐一は、愁眉を開いた。
「よかった、間に合った」
「よかったや、あらへんがな。まったく、しゃあないのう」
「浜ちゃん、どうして・・・?」
祐一が尋ねると、浜太郎は照れくさそうに鼻をさすった。
「まぁあれや。死んだ千代への、せめてもの罪滅ぼしや」
祐一が浜太郎に礼を言うと、守護霊室に警報音が鳴り響いた。
「これは、何の音ですか?」
「俺らが徳を使い果したから鳴っとんのや。すぐに、警備隊が来るで。そら来た」
浜太郎がそう言うと、祐一達の元に物々しい格好をした天界の警備隊が、やって来た。
「あなた達二人を連行します。大人しく、付いて来て下さい」
「は、はい」
「ちゃんと行くから、触るなや」
警備隊は祐一達の腕をつかんだが、浜太郎はそれを嫌がり、振り解いた。
「抵抗する気ですか?」警備隊は、浜太郎の顔をきっと睨んだ。
「抵抗なんか、してへんがな。どこへでも連れて行かれたるから、俺に触るなっちゅうとんねん」
祐一達の姿を遠巻きに見ていた他の守護霊達が、ヒソヒソと話し始める。
「あやつら、とんだうつけ者でござるな」
「でもさぁ、あの二人、何かカッコいいよね。ちょっと憧れちゃうな」
「そうでござるか? 拙者には理解出来ぬ所業でござるが。まして虫になるなど、考えも及ばん」
「確かに昆虫に、なるのは嫌だけど。もしも、本当に死ぬ時があるんだとしたら、最後はあんなふうになりたいなぁ」
祐一達の取った行動に、呆れる者が殆どであったが、祐一は浜太郎と共に、堂々とした態度で警備隊に連れられていく。そんな祐一達に憧れを抱く者も少なくはないようだった。
「僕達、どこに連れて行かれるんですかね?」
「さあなあ。このまま記憶消されて、昆虫に魂を入れられんのとちゃうか」
祐一達は警備隊に連れられ、守護霊室の外に出た。警備隊は広場の中心部までくると、突然立ち止まった。すると、浜太郎の前にいた先頭の男が、腰に着けていた剣に手をかける。浜太郎が顔を強張らせると、警備隊の男は剣を抜いた。歪んだ鏡のように周りの景色を写す刃が冷たく光る。
「何やいきなり。お前、何をしようっちゅうんねん」
浜太郎が身構えると、警備隊の男は空に浮かぶ光の玉に向かい剣を振った。すると、光の玉から祐一達の元に、一筋の光が差し込んでくる。警備隊に促された祐一達は、その光のエレベーターに入った。
光のエレベーターから降りると、そこには白い立派な両開きの扉があった。祐一が浜太郎の顔を見つめ、戸惑っていると、扉の向こうから女の人の声が聞こえてきた。
「こちらです。入りなさい」
祐一が金色のドアノブを握り、扉を開くと、そこにはゆらゆらとした綺麗な衣を纏った美しい女性が浮かんでいた。
「うわぁ、べっぴんさんやな」
「お待ちしていました。私は、天上界からの使いの者です」
「天上界の使い?」祐一は首を捻った。
「へ、へへぇ!」
祐一が、どこか見覚えのあるその女性の顔を見つめていると、浜太郎は突然その場にひれ伏した。
「お前も、ひれ伏せぇや」
「え? あ、はい。へ、へへぇ」
浜太郎に促がされた祐一は、浜太郎のしている様を真似た。
「何をしているのです。ひれ伏す必要など、ありません。顔を上げて下さい」使者は眉を顰めて言った。
「そうでっか。じゃあまぁ、そうおっしゃるんなら、お言葉に甘えて・・・」浜太郎はそう言うと、すっと浮き上がり、ひれ伏している祐一を見下ろし、冷たい口調で声をかけた。
「いつまで、ひれ伏しとんねん。早よう、浮き上がらんかい」
「だ、だって、浜ちゃんが・・・」祐一は浜太郎の態度の変化に戸惑った。
「何や? 何か、かばちがあるんか?」
「また、広島弁になってるし」祐一は口を尖らせながら浮かび上がった。
「あなた達をここへ呼んだのは、あなた達二人に、もう一度チャンスを与えるためです」
「チャンス?」祐一は眉を顰めた。
「チャンスって、どういう事でっか?」
祐一が、再び使者の顔をよく見ると、その額には、白く光る物が着いている。
「あなた達二人は、守護していた者の命を救うために、自分達の徳を使い果たしてしまいました。その為、昆虫として生まれ変わらねばなりません。ですが、一時の感情でボタンを押してしまったのかもしれません。もう一度よく考え、後悔するようであれば、昆虫にはせず、再び天界に戻してあげましょう」
あまりの突然の申し出に、祐一は眉を顰めたまま首を捻った。
「その場合、由美は、守護していた者は、どうなるんですか? 僕達はまた、元の守護霊に戻れるんですか?」
祐一が使者の顔を見つめ、尋ねると、使者も祐一の顔を見つめ返した。
「あなた達は、守護霊に戻れます。しかし、救った行為は無効となり、守護していた者は再び命を落とす事になるでしょう」
「そんな、それじゃ何の意味も・・・」祐一は目を見開くと、訴えるように天女の顔を見つめた。
「仕方がないのです。それがその者に与えられた本来の寿命なのです。人間としての命は尽きますが、魂は再び天界へと昇り、修行をし、徳を積み、そしてまた生まれ変わって人間界に降りて行くのです。『死』というのは決して悪い事とは限らないのですよ。ですから、もう一度よく考えてみて下さい」
祐一は口元に手を置くと、うつむいて考え始めた。
「どちらか一人だけが考え直した場合、助けた二人のうち一人は助かるんですか?」
「それは出来ますが、その場合、救えるのは残りの寿命が長い者になります」
「寿命の長い者って、そんな。母親がすぐに死んでしまうんじゃ、子供だって助からないじゃないですか」
「仕方がありません。それが、決まりなのです」使者は祐一の顔をじっと見つめていた。
「・・・。もう少しだけ、考えさせて下さい」
「時間はあります。ゆっくりと考えなさい」
祐一は目を逸らし、使者に背を向けると、浜太郎のほうを向いて、自分の考えを話し始めた。
「どちらか一人でも助かるなら、浜ちゃんには天界に戻ってもらって、子供は諦めようと思ったんだけど、子供しか助けられないんじゃ・・・。仕方ない、由美の命は諦めよう。運がよければ、子供は助かるかもしれないし」
祐一にとって、それは苦渋の決断だった。祐一の頭には、それ以外の方法が思い浮かばなかった。
黙って聞いていた浜太郎が、祐一の顔を見つめながら、静かに口を開いた。
「祐ちゃん。お前さっきから、何わけのわからん事言うとんねん。そないな事せんと、俺ら二人が昆虫になればええだけの話やろ」
浜太郎は、祐一が予想だにしなかった答えをあっけらかんとした態度で返してきた。
「でも、それじゃ・・・。沙耶ちゃんだっているし、そんな事出来ないよ」祐一は浜太郎の言葉に素直に甘える事が、どうしても出来なかった。
「沙耶には、他の守護霊が憑くから大丈夫やて。それに、俺みたいに徳をケチるような者が憑いとっても、沙耶の為にはならへんしな」
「でも・・・」
「ええんやて。ボタンを押す時、すでに覚悟を決めたんや。俺は最初から、考え直す気ぃなんて全くないで。それに、虫っちゅうのもそないに悪くないかもしれへんで。痛みは感じへんし、クワガタやカブトムシになったら、カッコええやんか」
浜太郎の態度に嘘は見えなかった。祐一は一掴み程の息を呑み込むと、浜太郎の顔を見つめた。
「浜ちゃん・・・」
浜太郎は、祐一の肩を叩くと、あっけらかんとした顔をした。そして使者のほうを向くと、大きな声で使者に呼びかけた。
「すみませーん。俺ら二人とも、昆虫になりますぅ」
「本当に、それでいいのですね?」使者は、真剣な眼差しで祐一達を見つめた。
「ええ、よろしいですわ」
「はい」思い、悩む所はあったが、祐一は浜太郎の言葉に甘えた。
「わかりました。では・・・」
浜太郎は、手のひらを顔の前で合わせると、目を閉じ、必死に何かに拝み始めた。
「どうか、セミにはなりませんように、あと、ゴキブリも嫌です。できれば、アリンコにして下さい」
「アリンコ? クワガタじゃなかったの?」祐一は、耳を疑った。
「アホ! よう考えたら、大クワガタにでもなってみい。何年も昆虫でおらなあかんやんけ! アリンコなら、すぐに踏み潰されて死ねるやろ。お前もアリンコにしとけや、アリンコに! 早よ祈り!」
「え、何で2回言うの? じゃ、じゃあ、アリンコになりますように・・・」祐一は、顔の前で手を合わせると目をつむり、祈り始めた。
「あなた達二人の解脱を認めます。魂を天上界へ戻しましょう」
「え? 解脱・・・?」何の事だかわからない祐一は、目を開け、使者を見つめた。
浜太郎は顔を上げると、首を傾げた「なんやそれ? アリンコには、ならんでええの?」
「もちろんです。あなた達は、解脱する為の最終試験に見事合格したのです」
「解脱って、一体どういう事なんですか?」
祐一が尋ねると、使者の影から一人の老婆が姿を現わした。
「祐一」
祐一は、微笑む老婆の顔を見て、目を疑った。
「え? 祖母ちゃん? なんでこんな所にいるの? アリンコになったんじゃなかったの・・・?」祐一は戸惑いを隠せずにいた。
「よくやったね、祐一。あんたの事が心配で、こうしてテンニョさんのお供として、連れて来てもらったんだよ」
「天女って、天女様ぁ?」驚いた祐一は、しげしげと天女の顔を見つめた。
「まあ、詳しい話はテンニョさんが説明してくれるから、よくお聞き」
お婆さんがそう言うと、天女はコクリと頷き、目を丸くする祐一達に説明を始めた。
「まず、地球というのは我々天上人にとっての刑務所の様なものなのです。天界である月は、その地球を監視する為に我々が作った監視システムです。天上界というのは、ここから遠く離れた別の太陽系にあります」
あまりに突拍子もない話に、祐一は言葉を発する事ができない。隣で口を開けながら天女の話を聞いている浜太郎も、祐一と同じように衝撃を受けているようだ。
「天上界は、私達黄色人の住む琥珀星《ソマージュ》。白人の住む白銀星《ルシア》。黒人の住む黒皇星《メノウ》。この三つの星から成り立ちます。その昔、私達はそれぞれの星で暮らしていましたが、文化や技術が進むにつれ、他の星の人達との交流を始めました。そして、互いの技術や知識を交換し合い、より良い世界を築く為、力を合わせ始めたのです」
「ソマージュ・・・」
祐一の頭に、薄っすらと何かが浮かび上がろうとする。だが、頭の奥底にあるそれは、何かに出る事を押さえつけられているように感じる。頭の中にもどかしさを感じた祐一は、浜太郎の顔を見た。
「浜ちゃん、よだれ・・・」
「あ、ああ・・・」浜太郎は、垂れたよだれを拭った。
「しかし、そんな中、その意図に反発する者達が現れ、反旗を翻し、我々の世界で最もしてはならい罪『同胞殺し』を始めたのです。長く、凄惨な争いが続き、敵も味方も含め、多くの仲間達の尊い命を失いました。しかし、私達は激しい攻防の末、なんとか反発する者達を鎮圧する事に成功したのです。天上人の世界には『死刑』などという概念はありません。その為、私達は罪を犯した者達の体から魂を抜き取ると、記憶を消し、新しい体を与え、元々は他の星の刑務所として使われていた宇宙の外れにある地球へと送ったのです。我々は地球の軌道上に、月という監視システムを作り、魂を地球と月とで輪廻させる事によって、汚れた魂達の浄化を求めたのです。浄化された魂は再び天上界へ戻り、本来の体の中に戻るのです」
「じゃ、じゃあ、僕の本当の体も、天上界に?」祐一は唖然としながら尋ねた。
「あります」天女は祐一の目を見つめ頷いた。
「俺らって、ほんまは宇宙人やったんか・・・」浜太郎の口は半開きになっていた。
「地球の言い方だと、そういう事になりますね」
「天上界に行って、死んだ場合はどうなるんですか? 魂は、また地球に戻ってくるんですか?」祐一は天女の顔を見つめた。
「我々天上人が死んだ場合、魂は消滅してしまいます」天女は祐一を見つめながら答えた。
「でも、魂を抜き取るって・・・」
「生きている者の魂を抜く事は出来ますが、死んだ者の魂は、死ぬと同時に消えてしまうので、そうはいきません。それに魂の入れ物である肉体を作る事は出来ますが、魂自体を作り出す事は出来ないのです」
「ほんなら、天上人の魂は死んでもうたら、どこに行くんや?」浜太郎は天女を見つめた。
「わかりません」天女は視線を逸らした。
「わかりませんて。ほな、神様は天上界におるんですか?」浜太郎は更に天女を見つめた。
「我々の世界にも地球と同じように、神という概念はありますが、天上界に神は存在しません」天女は、うつむきながら言った。
「ほんなら、神様はどこにおるんですか?」
「この広大な宇宙の中には、様々な人達がいると考えられています。我々も、他の星に住む何種類もの人達に出会ってきましが、その人達の中にも神に出会ったと言う者は、いません。科学者の中には、宇宙は日々広がり続けていると言う者がいます。定かではありませんが、その広がり続ける宇宙の果てに、神が存在する世界があるのではないかという説があります。しかし、そこへ辿り着く技術は、我々にはありません。たとえ技術が進歩して、より遠くへ行けるようになったとしても、宇宙は我々から逃げるかのように広がっていってしまうのです」
「やっぱり、宇宙人は存在したんだ」
「せやな。宇宙人にも、おっぱいあるんかな」
祐一は感動を憶え、浜太郎と顔を見合わせた。
「宇宙というのは、最初は一つの星から始まったのではないかと考えられています。そこに住んでいた者達が徐々に文明を築き、技術を身に付け始め、やがて自分達の星から離れるだけの力を持ち始めた時に、宇宙は広がり始めたのです。この事を裏付けるかのように、宇宙の中心と考えられているほうへ近づけば近づくほど、高度な技術を持った人達が住んでいるのです。我々が、日々努力して進化する事に比例するように、宇宙もまた、日々広がり続けているのです。まるで、我々が宇宙の外へ出るのを拒むかのように。もしかすると、あなた達と同じ様に、我々もまた、神の世界で過ちを犯し、宇宙という名の刑務所に入れられてしまった囚人なのかもしれません」天女は、その表情を曇らせた。
「神さんいうのは、えらいとこに住んどるんやなぁ。ほんなら、仏さんちゅうのはどこにおりまんのや?」
浜太郎が尋ねると、天女は表情を元に戻した。
「神というのは、元々白銀星の人達の考え出した存在でした。仏というのは、私達琥珀星の先祖が考え出した存在です。何故かはわかりませんが、その星々によって神に対する呼び名や考え方は、それぞれ異なります。しかし、どの星でも根本的な神への考え方は変わりません。もしかしたら、我々が地球人にした事と同じように、それぞれの星に神からの使者が送られて来ているのかもしれませんね」
「神からの使者? 同じようにって?」祐一は、首を傾げた。
「我々は、全ての記憶を消した人間に対し、我々の考え方を教え、正しい道へと導く為、天上界から志願者を募り、使者を地球へ送り続けたのです」
「親切な話やな」
「しかし、使者も犯罪者達と同じように記憶を消してから地球へ送られる為、使者としての素質を持っていても、周りの環境に侵され、過ちを犯し、二度と天上界に戻れなくなる者も少なくありません。その為、最近では使者になろうという志願者は全くと言っていい程いません」
「そんなもん、始めに記憶なんて消さんと送ったらええやないですか」
「それでは、地球という存在自体が、意味の無いものになってしまいます」天女は諭す様に言った。
「使者として、役目を果した人って誰ですか?」祐一は尋ねた。
「そうですね、イエスやシャカ、ガンジなどが有名ですね」
その名を聞いた祐一は、再び頭の奥底にある記憶の泉に、小石を投げ入れられた様な感覚に陥った。投げ入れられた小石によって幾重にも波紋が広がる。薄っすらと甦りつつある遠い過去の記憶・・・。
祐一は、何か大切な事を忘れている様な感覚を覚え、頭の中に浮かび上がる微かな波紋を読み取ろうとしていた。
「祐ちゃん、どないしたんや? 遠く見つめて」祐一の様子に気付いた浜太郎は、眉を顰め、祐一の顔を見つめた。
「ん? あ、いや、別に・・・」
祐一の頭の中にできた微かな波紋が、細波へと変わっていく。
「他に、何か質問はありますか?」
「はい! 質もーん!」
浜太郎は子供のように手を挙げ、色々と尋ね始めた。天女は浜太郎の投げかける質問に、丁寧に答えていったが、祐一にはさほど大事な事とは思えぬような会話だった。祐一は二人の会話を聞きながら、記憶の海に飛び込み、底に沈む固く閉じた箱を開こうと試みていた。
「なるほどなぁ。ほんなら、今地球は温暖化なんかが進んで、放っとけば滅びるなんて言うとるけど、ほんまに滅びてしまうんやろか?」
「それは・・・」
天女は言葉を詰まらせると、祐一達から目を逸らした。少しの間、沈黙が続いた。天女は思い悩んだ表情を見せると、重々しく再び口を開いた。
「結論から言うと、このまま行けば地球は滅びます」
「え? ほんまでっか?」
驚く浜太郎の隣で、祐一は黙ったままじっと遠くを見つめていた。
「温暖化にも関係しますが、人間はもっと大きな根本的な過ちを犯しています」
「なんですの?」
「それは、地球にある天然資源を使い果たそうとしている事です。我々は今まで、人間が地球で暮らしていける為の答えを全て用意し、気付かせてきました。例えば、病原体に侵され病にかかっても、その病原体に対するワクチンを地球上に存在させるといったような事を幾度となくしてきたのです。すでに天然資源を使わなくても済むように、答えを用意してあるのですが、それに気付いても人間達は自分達の利益を優先して、天然資源を使う事をやめようとはしません。イエスと共に使者となったユダが、あえて汚名を着て諭そうとした事も、シャカが地球を『火宅』と言った意味も、人間達は理解しようとはしませんでした。人々であり小乗仏教しか理解しようとはしない人間達は、魂の帰郷を拒むサタンの思惑通りになってしまっているのです」
「サタン・・・」祐一の頭の中に、再び小石が投げ入れられた。
浜太郎が、サタンやイエスという者が本当に存在するのかと尋ねると、天女はいますと静かにうなずいた。天女は更に続け、サタンやイエス、シャカについて話した。サタンとはイエスの従弟であり、人間が想像しているような存在ではないということ、自分の親や兄弟を殺した者たちを天上界に戻す事を強く拒み、簡単には戻れぬよう、人間界に「金銭」という物を作り上げ、人の持つ煩悩を大きくさせるための使者を地球に送り続けている者だと語った。そしてイエスやシャカは、罪を犯した者たちを早く天上界に戻したいと願う者たちなのだと語り、長くの間、サタンを諭そうとしているのだと語った。そして、このままでは何世代かのちに、地球は人の住めない星になってしまうだろうと、このままではそれは避けられぬ事柄であり、人々は徐々に退化していくことになり、やがて人類は地球と共に消滅するだろうと語った。
「消滅って、どないなるんでっか? まさか、爆発するとか?」浜太郎は不安気な表情を浮かべた。
「現在地球は、太陽の発する大きなエネルギーと地球の発する小さなエネルギーのバランスによって、太陽の周りを回り続けています」
「それって、どんなエネルギーなん?」浜太郎は首を捻った。
「宇宙エネルギーと呼ばれる、地球人には感じる事の出来ない、星々の発する特殊なエネルギーです」
「へぇ、なんや、ややこしすぎて、俺らの頭じゃ、ようわからへんな」浜太郎は祐一に向かって言った。
「え、ええ」祐一は上の空だった。浜太郎の呼びかけで、記憶の海の底から引き揚げられてしまった祐一は、再び潜ろうと試みたが、もう記憶の底に潜る事は出来なかった。そんな祐一の顔を見つめる浜太郎は、不思議そうな顔をして祐一のことを見つめていた。
「天然資源が無くなり、宇宙エネルギーを発生する事が出来なくなれば、力のバランスが崩れ、地球は太陽から徐々に遠ざかることとなるでしょう。太陽から遠ざかり始めた地球は、やがて氷河期となり、生物は全て死に絶えてしまうことになるのです」
「ほんまに、そないな事になるんでっか?」浜太郎は祐一から目を逸らすと、再び天女の顔を見つめた。
「現にもうすでに、異常気象という形で影響が出始めています。これは地球の力が弱まり、太陽とのバランスが崩れ始めている証拠です。星の発する宇宙エネルギーを感じる事の出来る黒皇星の人々は、地球が人間達を拒み始めたのだと言います」
「確かに、それはそうなのかもしれへんけど・・・」
浜太郎はうつむき、思い悩んだ表情を見せた。浜太郎の記憶とシンクロしたのか、祐一の記憶の中に、ニュースで目にした世界の自然災害の映像と、あの日に起こった震災の光景が浮かんだ。
「そして、本来の軌道から離れた地球は、やがて他の星とぶつかり、消え去ってしまうでしょう」
「そ、そんなアホな! なんとか、ならんのでっか? 助けて下さいよ」
「我々はすでに、そうならないように答えを用意しました。シャカもイエスも天上界へ帰るための方法を残しましたが、人々はその方法を見ようとも、知ろうとも、求めようともしません。また、新たな使者を送ろうとも考えてはいるのですが、末法と呼ばれる時代から法滅の世とへ向かい始めた地球に戻っても帰り道を見つけることは極めて困難な上に、滅びるかもしれない地球に行こうと志願する者は、誰一人いないのです。このまま地球が滅びてしまうのは、運命なのかもしれません」
「そんな殺生な・・・」浜太郎は眉を八の字にさせながら、うつむく天女の顔を見つめた。
「仕方がないのです。それが神の定めた事ならば、従うしかないのです」
浜太郎は眉を八の字にしたまま口を尖らせた「・・・。まぁでも、このまま天上界に行けるんやったら、俺らは助かるか」浜太郎はその顔のまま、祐一の顔を横目で見た。
天女は、じっと黙っている祐一の顔を見つめていた。
「さあ、それではそろそろ天上界に参りましょう」
天女がそう促すと、祐一は静かに口を開いた。
「あのう・・・」
「どうしました?」天女は、何かを期待するかのように祐一の姿を見つめた。
「僕を使者として、人間界に戻してもらうという事は出来ますか?」祐一は顔を上げ、しっかりと目を開くと、自分を見つめる天女の目を見つめた。
「はあ? お前、何言うとんのや。このまま天上界に行けば、助かるんやぞ」
呆れた顔をする浜太郎の言葉に、祐一は一瞬心を動かされそうになった。だが祐一は、小さく首を横に振った。
「何で突然そないな事言い出すんや?」
浜太郎の問いかけに、祐一は答える事が出来ずにいた。由美や孫を残して自分だけが助かる訳にはいかない。確かに、そんな気持ちはあった。だが、そんな男気だけで、人間界に戻ろうと思った訳ではなかった。頭に起こっていた記憶の波は、甦る事なく消えてしまった。理由はわからなかった。「なぜ」祐一の頭の中にはその言葉が、こだましていた。しかし、天上界へ戻る道は行くべき道ではないという確信が祐一の中にはあった。その道を進む事を思い浮かべると、まるで激しい水流に押し戻されるような感覚に陥ったからだ。
祐一は天女の目を見つめると、再び天女に問い質した。
「出来ますか?」
天女は、眉をひそめた「それは、可能ですが。本当に、それでいいのですか? このまま天上界に行けば、再び罪を犯さない限り、あなたは助かるのですよ。それに、さっきも言ったように、使者として生まれ変わるには記憶を消さねばなりません。たとえ素質を持って人間として生まれ変わっても、使者としての役目を果せるかどうかは分からないのですよ。それどころか、二度と天上界に戻る事が出来なくなるかもしれません」
「やめときって、一緒に天上界に行こうや」
浜太郎は、祐一の肩をつかむと、肩を揺らした。祐一は浜太郎の手を肩から外すと、スッと前に出た。
「人間界に、戻して下さい」
「本当に、それでいいのですね?」
「はい!」祐一は、力強くうなずいた。
「ちょ、待ちいや、なんでやねん」
「浜ちゃん、ゴメン」
祐一の姿を見つめる天女は、薄っすらと笑みを浮かべるとお婆さんに目配せをし、小さくうなずいた。
「では、あなたを使者として人間界に戻しましょう。それで、どこに生まれる事を希望しますか? 国も自由に選べますし、どんな家に産まれるのかも選べますが」
祐一はうつむき、少しの間考えると、顔を上げた。
「それなら・・・」
──人間界。
「オギャー、オギャー」
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
「やったな由美。よく頑張ったな」
「うん。ねぇ、翔太」
「ん?」
「この子の名前、私が決めていい?」
「べつにいいけど、どんな名前?」
「ずっと、考えてたんだ。男の子だったら『祐也』にしようって」
「祐也かぁ。お父さんの名前から取ったんだな」
「うん」
「いい名前じゃないか。それにしよう」
「ありがと」
「祐也ぁ、パパでちゅよー」
「やだ翔太。赤ちゃん言葉に、なってるよ」
「そうか? そんな事、ないでちゅよねー」
「なってるじゃん」
「ははは・・・」
──四年後。
由美と翔太は、まだ幼い祐也の手を引き、祐一の墓参りに来ていた。由美は、誰かの墓にタンポポの花を供えると、祐一の墓に向かった。
「ほら、祐也。お祖父ちゃんのお墓に、なむなむしなさい」翔太は、落ち着きのない祐也の肩をつかんだ。
「なむなむ」祐也はその小さな手を顔の前で合わせた。
由美は祐一の墓を見つめ、手を合わせると、そっと呟いた。
「お父さん、あの時私を助けてくれたの、お父さんだよね。お父さんのおかげで、祐也も元気に育ってるし、私達とっても幸せだよ。お父さん、ありがとう」
手を合わせる由美達の後ろ姿を見ながら、浜太郎はブツブツと呟き始めた。
『まったく、なんでこないな事引き受けてしもうたんやろ。やっぱりあの時、天上界に行くべきやったよなぁ・・・』
『まあまあ、そう言いなさんな。こうしてまた三人一緒にいられるんじゃから、よかったじゃないか』お爺さんは相変わらず翔太の背中にしがみついている。
『そうだよ、私もこうして祐一の後を追って、人間界に降りて来たんだから』お婆さんは由美の後ろに浮かび、ニッコリと笑った。
浜太郎は、空に浮かぶ白い月を見つめると、四年前の事を思い返した。祐一が人間界へと戻って行った、あの時の事を・・・。
「あーあ、行ってもうたがな。ところで天女様、僕は天上界に連れて行ってもらえるんですよね?」
「もちろんです。しかし、あなたには天上界に行く前に、どうしてもやって欲しい仕事があるのですが・・・」天女は思い悩んだ表情で浜太郎の顔を見つめた。
「仕事? 仕事って、なんですの?」天女の表情を見た浜太郎の頭の中に、嫌な予感が過る。
「それは、生まれ変わった祐一さんの守護霊になり、彼が立派な使者になれるように、導いて欲しいのです」
「え? それは、無理ですやん。そないな事しよったら、記憶消されて二度と天上界に行けなくなりますやん。ねぇ」
浜太郎は、見つめる天女から目を逸らすと、お婆さんの顔を見つめた。お婆さんは、そっぽを向いた。
「あなたの記憶は、消しませんよ。あなたなりに考えて、導いてくれればいいのです。それに、今まで祐一さんのように自分の事を顧みず、自分の身内を救う者は多々いましたが、あなたのように、他人の為にそんな事をした者は一人もいません。こんなに素晴らしい人は、あなたが初めてです」
「え、そうなんでっか?」浜太郎は、天女の顔を見つめた。
「今の地球を救うには、あなたのような方の力が必要なのです。あなた様こそが、地球を救う真の救世主なのです」
「俺が、素晴らしい人。真の救世主・・・」浜太郎は天上を見上げた「やります! やらせて頂きます!」浜太郎は顔を戻し、目を輝かせると、天女の手を取り、ギュッと握り締めた。
「いやぁ、ほんまは僕もそうしようと、思っとったんですよ。あんな祐一だけじゃ、頼りないですからなぁ」
「え、ええ」
天女は、手を引き抜こうとするが、浜太郎は更に力を入れ、天女の手を放さなかった。浜太郎がふと見ると、お婆さんは何故か浜太郎の顔を冷たい目で見つめていた。
「なんや? ふてぶてしい顔して」
「べつに」
浜太郎は再び美しい天女の顔を見つめた。
「それにあいつは、すぐに感情的になって人の首を絞めよりますからな。あんなもんに任しとったら、地球はおしまいですわ。祐一には、僕のような素晴らしい救世主が憑いててやらんと、あかんのですわ。どうか、大船に乗ったつもりで安心して任せてください!」
「では、よろしく頼みましたよ」
「はい! 頼まれました!」
浜太郎は、握った手を大きく上下に揺すった。
『・・・。何や、うまい事、天女さんに乗せられてしもた気がするなぁ。天女さん、えらいべっぴんさんやったしなぁ。やっぱ、一緒に天上界へ行けばよかったかな・・・』
浜太郎は白い月を見ながら呟いた。浜太郎の頭に、綺麗な天女の姿が思い浮かんでくる『天女ちゃ~ん』浜太郎は、鼻の下を伸ばした。が、すぐに我に返った『あかん! あかん! 俺は、世界を救う素晴らしい救世主なんや! 頑張らな、あかんでえ! ん?』
浜太郎が何かの視線を感じ、ふと見ると、鼻を垂らした祐也が、浜太郎の顔を不思議そうに見上げていた。
『ん? なんや、祐也? 何、不思議そうな顔して、こっち見とんねん。もしかして、俺の事が見えるんか?』
浜太郎が祐也に顔を近づけると、祐也は手に持ったキャンディーを口に入れながら首を傾げた。浜太郎の口の中に、キャンディーの甘味が広がる。
『この飴ちゃん、なかなか美味いな。イチゴ味か? 鼻かまな、味がようわからんで』
「おーい、祐也。帰るぞー」
「祐也。早く来なさい」
「ママー! 変な言葉しゃべる、おじちゃんがいるよー」
祐也は、浜太郎の事を指差しながら、由美達の元へと走っていった。
『変な言葉て・・・。おい、こら祐也! お前、関西弁バカにしたらあかんぞ! おいってば! 聞いとんのか! ちょ、待てって! なんであいつ、守護霊の事置いていきよんねん。まったく、先が思いやられるわ・・・』
浜太郎はスゥ~と浮かび上がると、走っていく祐也の後を追った。
一方、天界の役所では、役人達が膨大な量の書類の処理に追われていた。
「あー忙しい! いったいどうなっているんだ、これは」
閻魔大王が、自分の机の上に置かれた書類に目を通していると、広いオデコに汗を流す役所の男が、その姿に気付き近づいて来た。
「あれ? 閻魔大王様。お帰りになってたんですか?」
「ん? いやいや、ちょっと書類を取りに戻っただけじゃ。またすぐに人間界に行かなきゃならんのじゃ。それよりどうした? やけに忙しそうじゃが」
閻魔大王が尋ねると、役所の男はポケットから出したハンカチで額の汗を拭った。
「いや、それがですね、最近どういう訳か守護する者の命を救い、昆虫になろうとする者が増えているんですよ。その対応に追われて、忙しいのなんのって」
「ほう、もうそんなに影響が出始めおったか」閻魔大王は笑みを浮かべ、頭を縦に揺らした。
「とにかく閻魔大王様も、いつまでも人間界で遊んでらっしゃらずに、早く天界に戻ってきて仕事して下さいよ、仕事! では、私は忙しいので失敬! あー忙しい。あー忙しい」
役所の男は、書類を抱えながら、役所の奥へと消えて行った。
「べつに遊んでおるわけではないんじゃがのう。何で同じ事を二回言うんじゃろ。それにしても、天界にこんなにも早く影響が出るとはのう。こりゃあ、人間界も変わるかもしれんの。どうやら生きておるうちに、天上界に帰る事が出来そうじゃわい」
閻魔大王は、自分の椅子にどっしりと腰を下ろした。
「天上界に戻ったら、またみんなで釣りが出来るといいのう。のう、ユウラ、シャカよ・・・」閻魔大王は、自分の机の上に置かれた一枚の写真を手に取り、じっと見つめた。
「やれやれ、それじゃ素晴らしい救世主さんの手伝いにでも行くとするかの。わっはっはっはっは」
(完)
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