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日下部が戻ってきて三日目の放課後。教室は、異様に静かだった。
教師が出ていったあとも誰一人立たず、誰も帰ろうとしない。
まるで何かを“待っている”ようだった。
──それは、儀式の時間だった。
「遥、こっち来て」
言ったのは、後ろの列の女子。制服の襟を指で弾きながら、笑っている。
遥は立ち上がらなかった。
ただ、席に座ったまま、机の上で指を組んでいた。
「……無視?」
笑いが起きた。
「ねえ、無視ってこと? それってさ、もう“言わなくていい”って意味?」
「そろそろ、ルール変える?」
別の男子が椅子を引きずりながら立ち上がった。
教卓に歩いて行き、チョークを取る。
黒板に、大きく、数字を書いた。
──「4回目」
それが何を意味するのか、誰にも説明はいらなかった。
日下部には、理解できなかった。が、それでも肌が粟立った。
(……“カウント”してる)
“違反”の回数。命令に従わなかった回数。反応が遅れた回数。
全部、数えている。
そしてその数が積み上がるたび、罰が深化する。
「ちょっと、脱がせていい?」
また別の男子が言った。笑いながら。
本気とも冗談ともつかない声。
でもそれに、女子の誰も反対しない。
「今日の分は、ちゃんとやろ?」
「見てるだけの人は、スマホ準備〜」
「“証拠”ないと、また忘れたって言うからね、こいつ」
誰かが後ろから、遥の鞄を蹴った。中身が床に散る。
ノート。弁当の空き容器。下着。折れたシャープペンの芯。
そして──なぜか、口紅が一本、混ざっていた。
「……あれ? これ、誰の?」
「おしゃれ〜。ほら、せっかくだし、塗ってもらえば?」
「口、開けて。いい子でしてくれたら、今日は軽めで済むから」
遥の顎が掴まれた。
嫌がる素振りはない。だが、それは「諦め」でも「慣れ」でもなかった。
──ただ、空っぽだった。
目が、焦点を結んでいなかった。
顔を正面に向けられ、頬に赤を塗られながら、遥は微動だにしなかった。
男子の指が、制服の第二ボタンに触れた。
「これ、毎回ちゃんと閉めてくるの、えらいよな〜」
「でも、意味ないけどね」
「“ここ”にいる限りは」
第三、第四と、ボタンが引きちぎられていく。
日下部の目の前で、制服の隙間から、晒される痩せた胸元。
肩には痣。
細かく裂けた赤い線が、何度も、何度も交差していた。
誰かがスマホを掲げた。
ピントを合わせる音すら、教室に響いた。
──それでも、誰一人、止めない。
(……これが、今の日常か)
静かに日下部の腹の奥が、冷えていく。
“暴力”は叫ばれない。
“命令”は叫ばれない。
すべてが、静かに、穏やかに──正当化された日常の「手順」として行われていた。
──遥が、道具であることは、もう「空気」と化している。
「この子、ほら、ちゃんと“覚えた”から」
「勝手に泣いたり怒ったりしないの、えらいよ?」
「だから今日も、やってあげる」
「ご褒美じゃん?」
女子たちの声は甘く、優しい。
だがその指先は、確かに制服の内側へと侵入していた。
──それは、寸止めではなかった。
もう、“手前”などという段階ではない。
遥の表情に変化はなかった。
頬に口紅の跡が引かれても、制服のボタンを剥がされても、黙っていた。
けれど、日下部の目にだけ、それは見えた。
──爪の先が、微かに震えている。
「……なに、見るだけ?」
女子のひとりが、日下部の方に言った。
「“仲間”でしょ? 戻ってきたってことは」
その声に、日下部は答えなかった。
ただ──遥と、視線がぶつかった。
遥の目は、空っぽだった。
でもその奥に、ただ一つ、残っていたものがあった。
──「お前には、まだ“知らないこと”がある」
その目が、そう言っていた。