テラーノベル
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東京、浅草。
養成所から歩いて五分、元演芸場のカビ臭い地下ホール。
午後の授業は“実戦形式ネタ見せ”だった。ステージの上で、本番さながらにネタを披露する。
観客席に座る同期二十名と先輩芸人が数人、最前列で腕を組む講師陣。その視線の先には、一本の銀色のセンターマイクが冷たく立っていた。
舞台袖。寿司子は自分の指先を見つめていた。
震えてはいない。けれど、心臓の音が耳元でうるさい。
「……リコさん」
「なんや、ビビったか?」
隣でリコが、自分の肩を伸ばしながら言う。
「三日前、全部預けるって言ったんで。……全力でいきます」
「ははっ、上等や。ウチも全力であんたのボケ、ツッコミ倒したるわ」
「次。──イナリズシ」
名前を呼ばれた瞬間、客席から小さなざわめきが起きた。
「あの寿司の子か」
「隣の金髪、大阪の経験者らしいぜ」
好奇と疑念の混ざった視線の中、二人は同時に一歩を踏み出した。
「どうもー! イナリズシですっ!」
リコの弾けるような声。それに合わせ、寿司子が神妙に頭を下げる。
「私、少し複雑な家庭で育ちまして」
「いきなり重いな。何があったんや」
「実は……両親が寿司なんです。父がマグロで、母がイカ。いわゆる『紅白異種婚』ですね」
「異種にも程があるわ! どっちも魚介類やないか!」
客席から、クスクスと笑いが漏れる。
(ええ出だしや……!)
リコは手応えを掴む。
寿司子の『変』が、自分のツッコミで『笑い』に変換されている実感。
「私は、いなり寿司として生を受けました。中のシャリは、近所の『酢飯ババァ』から譲り受け……」
「ちょい待ち!マグロとイカから生まれたんやろ?油揚げどこから来たん!? ほんでババァ誰やねん!」
「ちなみに隣のリコさんは、ツナ軍艦巻きです」
「急に人を寿司にすな!しかも二人とも安いネタやな!」
「包み込むような包容力がある。でも時間が経つと海苔が粘着質になります」
「細かいわ!粘着質って失礼やな!」
「話を戻します。私が生まれたときの産声は――」
間。
寿司子の瞳から、光が消える。
リコは呼吸を合わせる。来る。決めの一撃が。
「今日のオススメ、握りで!」
「渋い赤ん坊やな! 産声で注文すな!」
「ガリも、よろしくバブっ」
「取ってつけたように赤ちゃん言葉つけんなっ!」
少しずつ笑いが広がる。
しかし、そこから寿司子のギアが一段、跳ね上がった。
「七五三は全身海苔巻きで、入学式は醤油持参がドレスコードです!」
「わけわからん!もっとマシな格好せえ!」
「そして、思春期を迎え、私は悟ったんです」
止まらない言葉の礫が、リコのツッコミを追い越していく。
「……決まったレーンの上で回るだけの人生なんて、まっぴらなんだよっ!」
いきなり魂のこもった叫び。
だが、その熱量は客席に届く前に、舞台の上で空回りした。
「む、無理やりカッコええ話にすな! 方向性どこやねん!」
リコの叫びも、虚しく空を切る。
(あかん……追いつかへん)
寿司子の視線はもう、相方も観客も見ていなかった。ただ自分の世界を、猛スピードで駆け抜けていく。
「そして、私は寿司芸人を志し!横山ヤ寿司としてデビューして……!」
(うっわ……もう打ち合わせ完全無視や……)
「寿司子、落ち着け!」
リコがツッコミではなく、本気で制止した。
一瞬、寿司子は我に返るが、もう遅かった。
ピピピピピ
非情なタイマー音が鳴る。三分終了。
「はい、そこまで」
拍手は、乾いた音が数人分。
講師がマイクを握る。
「発想は面白い。だが、漫才じゃないな。君たちは“コンビ”ですらない。」
リコの喉が、ひくりと鳴る。
「ツッコミが活かしきれてないし、ボケも相方に任せてない。今はただ、変な奴の横に騒がしい奴が立ってるだけだ。お疲れさん」
点数は、平均以下。
自分たちの座席に戻る道すがら、誰とも目が合わせられない。
その時、座席の最後列。
腕を組んだまま、微動だにしない影があった。
黒いロングコート。長い金髪のツインテール。前髪の奥に光る、剃刀のように鋭い目。
──黒羽メグ。
同じ宇津久芸能に所属する女芸人。
「……まるで、馬鹿学生の文化祭ね。三年保てばいいほう……」
彼女は拍手すらせず、ただ冷たく二人を見据えていた。
───
演芸場近く、隅田川沿いのベンチ。
夕暮れの風が、火照った顔に冷たい。
「……堪忍な」
リコが、微糖の缶コーヒーを差し出しながら呟いた。
「いえ」
寿司子は即答した。
「私が、走りました。……止まらなきゃいけないのに、ブレーキが壊れたみたいに」
「……止まれんかったんやろ。あんたの頭ん中、情報量が多すぎるんや」
沈黙。
川面を走る屋形船の明かりが、眩しく揺れる。
「正直な、途中で置いていかれたわ」
リコは自嘲気味に笑う。
「でもな。そのスピード、嫌いやない。……まるでめっちゃ速口の外国語や。うちがもっと、同時通訳の腕、磨かなあかんな」
「……お願いします。……信じてますから」
「はは、言い方重いわ!まあ、任せとき。次はあんたのボケ、一滴も残さず客に届けたるわ」
小さく、笑い合う。
そもそも正反対の二人、シャリと油揚げは合わせたばかり。まだ味は馴染まない。
けれど、二人の影は、確かに重なっていた。
「次は、笑いとります…!」
「おう。最高の『イナリズシ』に仕上げよか」
───
その様子を、少し離れた遊歩道の向こう、街灯の下で見つめる影。
黒羽メグが、鼻で笑うように呟いた。
「……本当の舞台は、そんなに甘くないわよ」
口元には冷笑、しかし彼女の瞳は、最後まで笑っていなかった。
──続く
コメント
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旧第8話〜第11話を再編集、加筆修整してイラストを追加、差し替えしました。
♡50達成ありがとうございます✨