テラーノベル
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東京、浅草。
昭和からある古びたホールは、湿った埃とライトの熱気でむせ返っていた。
その混じり合った空気に、出番を待つ芸人たちの焦燥が溶け込んでいる。
今日は事務所近くの会館で定期ライブの日。テレビに届ききらない中堅芸人たちの戦場だ。
結成したばかりの『イナリズシ』に、まだ舞台へ上がる権利はない。
寿司子はチラシの束を抱えてロビーを走り回り、リコは慣れない手つきで物販の搬入を手伝っていた。
「……今日、メグ姉が出るらしいで」
リコが積み上げた段ボールの影から、声を潜めて言った。その瞬間、舞台裏の空気がわずかに震えた。
「めぐねえ?」
聞き返した寿司子に、リコが呆れたような視線を向ける。
「黒羽メグ! 同じ事務所の先輩やろ、顔と名前くらい覚えとき!」
「ごめん……どんな人だっけ?」
「アンタ、ホント自分の笑い以外、興味ないんやな。宇津久の問題児って言われとる女芸人や」
「……問題児?」
「ファンは多いし、いつも大ウケやけど、テレビには呼ばれへん。とにかく芸風が……」
「おーい、新人たち!そろそろ始まるから見学!」
先輩芸人が声をかける。
イナリズシや同期の面々が、急いでホールの端に移動した。座席は三分の一ほど空いているが、もちろん立ち見だ。
「ええ場所とれたわ」
「うん、ステージよく見えますね」
やがて開演を告げるブザーが鳴り、場内が暗転した。
「宇津久芸能、定期ライブ!『UZUQ魂』開演しますっ!」
前説、司会、前座と滞りなくプログラムは進み、会場が徐々に温まっていく。
プログラムも中盤に差し掛かったころ、司会役が叫んだ。
「お次は、極悪ギャルの激辛トーク!黒羽メグだぁ!」
そして、スピーカーから流れ出したのは、今どき流行らない野暮ったいユーロビート。だが、そのリズムを切り裂くように、硬いヒールの音がわざとらしく響き渡る。
客席から今日一番の大歓声が上がった。
「はい注もーく! 黒羽メグでーす。公開ダメ出し大会、始めるよー♡」
現れたのは、派手な金髪をラフなツインテールにして揺らす、見るからに質の悪い『ギャル』だった。
口の中のガムをくちゃくちゃと鳴らしながら立つ姿は、画面越しでは伝わらない『圧』を放っている。
メグは数秒、品定めするように客席を見渡すと、おもむろにガムを床に吐き捨てた。
「はぁ……今日の客、ぬるいねぇ。こっちもアゲぽよで行かねーとやってらんねーわ」
客席が凍りつく。その静寂を、メグは楽しげに指先でなぞった。最前列で身を縮めた男性に、鋭く飾り立てたネイルが向けられる。
「はい今、目線そらしたー! 逃げたー! 自信ないの? 顔に? 人生に? ……ふぅん、両方か。救いようが無くて草っ」
直後、堰を切ったような爆笑が起きた。弄られた男性も、赤面しながら肩を揺らしている。
ズバッと斬り伏せているのに、会場の温度が上がっていく。メグは流れるように別の女性客の前へしゃがみ込んだ。
「はい、そこの仕事だけは出来そうな女子〜。そのカバン、ダサっ。ドンキのワゴンセール?」
女の子は顔を手で覆いながらも、ディスられたカバンを手で掲げる。悲鳴に近い笑いが巻き起こる。
寿司子は、思わず息を呑んだ。
怖い。暴力的なまでの言葉のナイフ。なのに、目が離せない。
メグはただ悪口を並べているのではなかった。客の瞬き、呼吸、肩の揺れ。そのすべてを、猛獣のような眼差しで見切っている。
笑いが引きかける寸前で緩め、油断したところを再び刺す。
そして、弄られた観客も出演者となり、舞台に協力する。
会場のすべてが、彼女の掌の上で転がされていた。
次々と観客が餌食になり、熱狂に近い爆笑の中、メグの視線がふと舞台下の暗がりへ向いた。
目が合った寿司子は心臓が止まるかと思い、慌てて視線を落とした。だが、獲物を探すギャルの目は逃がしてくれない。
「……あー、そこの地味な子」
指を差された。心臓が嫌な跳ね方をする。
「チラシ持ってるあんた。今、アタシより面白い顔してたよね?」
客席の注目が一気に一点へ集中する。隣でリコが息を呑む気配がした。
「上がってきな」
逃げ場はなかった。
寿司子は、震える足を無理やり動かして階段を登った。
ライトが熱い。ステージから見る客席は、何もかもを飲み込む暗い海のようだった。
メグは獲物を吟味するように、寿司子の周囲をぐるりと一周した。
「なぁに? その前髪。湿気に負けた海苔?」
待ってましたとばかりに、はしゃいだ笑いが起こる。
「アンタ、名前は?」
「……す、寿司子、です」
「寿司子!?……マッジ? 髪が海苔みたいなの、名前のせい?ウケる〜」
会場がドッと沸いた。
寿司子は恥ずかしくなって俯く。
「ヤバ……令和にその名前と髪型、逆に一周回って伝統工芸品じゃね?」
メグの毒舌は止まらない。
背中を丸めた姿勢。
ボソボソ声。
安物の靴。
メグの言葉が矢のように次々と寿司子に突き刺さる。
弄られ、晒され、客席が揺れるたびに、寿司子の視界が滲んだ。
思わず、持っていたチラシをくしゃくしゃになるまで強く握りしめている。
悔しい。怖い。恥ずかしい。
けれど──。
観客の笑い声が、耳に残る。
自分が削られているのに。
だけど、胸の奥が熱い。
「あらら、泣く? 泣いちゃう? 泣くなら今だよ?」
メグが顔を至近距離まで近づけ、ニヤリと笑った。
会場が固唾を呑んで見守る。寿司子は俯いたまま、数秒動かなかった。
それから。
ゆっくりと、顔を上げた。
目は真っ赤だった。だが、震える口角はわずかに上を向いていた。
「……海苔は、湿気ると強くなります。簡単には、ちぎれません」
一瞬の静寂。
そして、メグの弄り以上の爆発的な笑いが弾けた。
メグの眉が、わずかに動く。寿司子は止まらなかった。
「あと……伝統工芸品は、木彫りの熊にそっくりなこの顔ですっ」
ニコッと笑い、両人差し指で自分の頬を差す。
客席がもう一度、激しく揺れた。
舞台の下では、リコがその光景を呆然と見つめて震えている。
「寿司子……」
メグは数秒、無言で寿司子の瞳を覗き込んだ。やがて、ふっと力の抜けたような笑みを漏らす。
「ふぅん、壊れないんだ」
彼女はマイクを持ち替え、再び客席へと向き直った。
「この子、ウチの新人らしいけど。覚えときな。泣きながら笑うやつは、めんどくさいよ!」
客席にどよめきが広がる中、寿司子は足の震えが止まらないまま、逃げるように客席脇へと戻った。
それを見届けたメグが続ける。
「この業界さぁ、“お客様は神様”とか言うけどぉ……違うね」
メグが腰に手を当て、自嘲気味に口角を上げた。
「お前ら“神様のフリした素人”。アタシら、毎晩その神様に腕試しさせられてんの。それって、なんて地獄ぅ?」
一拍おいて客席全体を見渡す。
「でもまぁ、こっちがどんだけ毒吐いても、笑ってくれるヤツいる限りやめられないのよねぇ……芸人ってクズの商売、最高♡」
最後にウインクと指ハート。
笑いと拍手が会場に満ちる。
「黒羽メグでしたー!またね〜!」
去り際、メグはさっき吐き捨てたガムを、ミニスカートの裾も気にせず這いつくばって拾い上げた。そのギャップのある『けじめ』に、また笑いが起きる。
舞台の上では司会の紹介で入れ替わりに次の芸人が出ていく。
寿司子の肩を、リコが強く掴んだ。
「……あんた、なんやねん……今の」
リコの声は震えていた。驚きか、それとも底しれない素質への恐怖か。
寿司子はまだ涙の跡が残る顔で、小さく、しかし確かな満足感を湛えて笑った。
舞台袖で、メグが一度だけ振り返った。
その目は、もう獲物を探す猛獣のそれではない。
自分と同じ、業の深い地獄に足を踏み入れた『同類』を見る目だった。
浅草の夜が、少しだけ熱を帯びる。
誰も気づかないまま、舞台の匂いが変わった。
──続く
コメント
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タイトルRと付いていますが(準)新作です。AIイラストアプリに投稿したミニ小説をイナリズシ本編用にリライトしました。
♡50達成ありがとうございます✨
#下手くそでごめんなさい🙏🙏🙏🙏