テラーノベル
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昼休みの終わり。チャイムが鳴り終わっても、誰もすぐには動こうとしなかった。
日差しが入りすぎた教室の中で、空気だけがじりじりと熱を帯びている。
遥は、ノートの端を指でなぞっていた。
ペン先は止まったまま。何を書いているのか、自分でももうわからない。
ただ、何かを考えるふりをしないと、心が浮き彫りになりそうだった。
窓際──日下部の背が見える。
立ち上がりかけた彼の肩越しに、こちらへ振り向く気配があった。
遥は、とっさに視線を逸らす。
でも、その一瞬だけは、どうしても目が合ってしまった。
(……やめろよ)
喉の奥で呟いたつもりだったけれど、何の音にもならなかった。
日下部の目は、優しかった。
それがいちばん、苦しかった。
教室の片隅では、蓮司が静かに立ち上がった。
教科書を鞄に押し込みながら、ふと遥と日下部の方に目をやる。
一度しか交わらなかった視線──
だが蓮司は、それだけで理解していた。
「……戻ってきたか、遥」
誰にも聞こえない声で、そう呟く。
あれは、遠ざかろうとしたやつの顔じゃない。
誰かに触れてもらいたがっているやつの目。
ほんの一瞬でも、そこに“信じたい”って感情が混じっていた。
それが、蓮司には何より“滑稽”だった。
笑いはしない。
ただ静かに、視線を伏せる。
(じゃあ、少しだけ──手を貸してやるよ)
そう思っただけだった。
「なあ」
蓮司が、何気なく近くの男子に話しかける。
普段通りの声色で、冗談混じりの調子。
「最近さ、あいつ……遥、ちょっと様子変じゃね?」
「変って、どういう?」
「いや、たとえば──日下部に、やたらくっついてんの。知ってた?」
「……マジで? あいつが?」
「俺、見た。昇降口で。泣きそうな顔で日下部にすがってたよ」
蓮司の声は軽い。
だがその軽さの奥にある“湿度”に、男子は無意識に反応していた。
「あー……それ、ヤバいやつじゃん……」
「まあ、俺は何も言わないけどね。見なかったことにするよ、俺は」
「おまえが言ったんだろ」
「だからって、信じるかどうかは自由じゃん?」
蓮司は肩をすくめて笑った。
その笑みは、あくまで“中立”を装っていた。
──だが、空気は変わる。
それはもう、“蓮司が何かした”という明確な証拠もなく、
ただ、教室のどこかが微かにざわつく。
誰も理由を説明できないまま、視線だけが偏っていく。
「……そういえば、あいつ、前からちょっと……気持ち悪いとこあったしな」
ぽつりと誰かが言う。
その声に、誰も反論しなかった。
遥はその日、ずっと、背中に視線を感じていた。
けれど振り返ることはなかった。
──その理由も、もう、遥自身が知っていた。
(ああ……始まる)
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