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上皇は続けざまに質問する。
「その風体、公家の者であるか?」
「公家の血を引く者でございます。訳あって東国よりまかり越しました」
「名を何と申す?」
「フー……」
さすがのフーちゃんもそこで口ごもってしまう。彼女は一瞬考えをめぐらし言葉を繋いだ。
「フジワラノ……タマモと申します」
「ほ、ほう。藤原の血を引く者であるか。さては東国の戦乱から逃れ来た者か?」
「は、はい、そのような事でございます」
「今宵行く当てはあるのか?」
「いえ、しばし都に逗留して今後の身の振り方を、と思っております」
「ならば我が屋敷に招こう。連れの者も共にな。そなたのごとき珍しい女人、しばし話がしたい」
それを聞いたお伴の武者たちが牛車に駆け寄ってあわてて中の人物に言う。
「お上! ご酔狂が過ぎまする」
「堅苦しい事を申すでない」
牛車の中の人物は急にくだけた声色になった。
「朕はもう帝ではない。そういう堅苦しい事から逃れるために顕仁(あきひと)に位を譲ったのであろうが。タマモと申したか、みなで我が屋敷に逗留するがよい。遠慮は無用じゃ。このままついて参れ」
フーちゃんは再び明雄に視線を向け判断を求めた。明雄は数秒ためらったが、険しい表情で最後は大きくうなずいた。フーちゃんは牛車の方に向き直り、頭を下げて中の人物に告げた。
「上皇様のお望みであれば、謹んでお言葉に甘えさせていただきまする」
それから四人は牛車の真後ろから後をついて都の大路を、警護の武者たちに周りを囲まれるようにして歩いて行った。その道すがら、陽菜はフーちゃんには聞こえないように玄野の耳もとに口を近づけて、悪友をからかって退屈しのぎをする事にした。
「ヒヒヒ、ゲンノ、心穏やかじゃないだろ?」
「なんだよ?」
玄野も周りの武者たちに聞かれないように蚊の鳴くような声で答える。
「フーちゃん、すっかり気に入られちゃったみたいじゃないか? フーちゃんが年上好みだったら、どうすんだよ?」
「いや、いくらなんでも年上過ぎだろ」
「そうとは限らないぞ、この時代では」
目だけ笑った顔で明雄が横から茶々を入れた。
「源氏物語の紫の上の話を知らないかい? それに相手は上皇様だからな。たいていのご無理ご無体は……」
「いや、だから、なんで二人して俺にそんな話をするんですか?」
少しむっとした表情で、また少しむきになって言い返す玄野に陽菜が追い打ちをかける。
「とぼけんなよ。おまえ、初めて会った時からフーちゃんの事を妙に気にしてるじゃないか? 一目ぼれってやつだろ? ひょっとして初恋か?」
「おい、いくら俺でもこの年で初恋はないだろ!」
フーちゃんに一目ぼれ、という所は否定しない玄野に陽菜は自分の体をくっつける。
「だってゲンノ、ずいぶん付き合い長いのに、あたしにはそれらしい素振り一度も見せた事がなかったじゃん」
「いや、それは俺の趣味が正常なだけかと……」
「そういうもんか?……いやちょっと待て、今のはどういう意味だ?」
「あ、いや、別に。おっと、着いたみたいだぞ」
多分玄野にとっては都合のいい事この上ないタイミングで、牛車が大きな門の前で停まった。
それは21世紀の感覚では信じられない広大な屋敷だった。塀は高いが建物は全て平屋で、屋根は木の皮のような物で葺いてある。巨大な池の上に何本もの赤い小さな橋が渡してあり、その庭園をコの字型に囲むように三棟の家屋と長い廊下が立っていた。寝殿造り、という言葉を陽菜は日本史で習った知識からおぼろげに思い出した。
「その者たちは東対(ひがしのたい)へ、あないいたせ」
牛車の中の人物は武者たちにそう言い、車は屋敷の奥へ進んで行った。陽菜たち四人は庭園に面した建物の一つに案内された。高床式の床に靴を脱いで上がると、数人の女官らしい女たちがしずしずと近寄って来て、部屋の中へ通してくれた。そのうちの一人がフーちゃんに告げた。
「お上はすぐにおいでなさいます。しばし、この部屋にてお待ちを」
そして三人の女官がそのまま廊下に座り込んだ。陽菜は部屋を見渡して、開口一番言った。
「て、ここ板敷じゃん。畳が全然ないわけ?」
明雄が部屋の隅にあったイグサか何かを渦巻き状にしたような小さな敷物を取り上げながら陽菜に言う。
「この時代ではこの円座を一人ずつ使うんだ」
陽菜はその上に尻を乗せて座ってみようとするが、どうにも姿勢が落ち着かない。明雄は堂々と胡坐をかいていた。
「ああ、女の子でも胡坐で大丈夫だよ。この時代は十二単の女性でも座るときは胡坐が普通だ」
そう言われて円座と言う丸い敷物に尻を乗せて胡坐になってみると確かにしっくりする姿勢になれた。