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小塚原の戦い
「銀ちゃん遅いね・・・」志麻が心配そうに呟いた。
「お前ぇはもう遅ぇから帰って寝ろ、俺が起きて待っている」一刀斎が眠たそうに目を擦っている志麻に言った。
「儂はその辺を見て来る」慈心が刀を掴んで膝を立てる。
「もう木戸は閉まってるだろ。銀次の奴もそのつもりで、今夜は吉原にでもしけ込んで朝一で帰えって来るつもりなんだよ」
「だと良いがな」
「どっちにしたって待つしかねぇだろう」
「一刀斎、私その辺で寝てていいかな?一人じゃ不安で眠れそうにない」
「ああ、俺の布団使っていいぜ」
「やだ、汗臭い!」
「ちえっ、勝手にしろ」
志麻は部屋の隅で猫のように丸くなると、すぐに寝息を立て始めた。
「気丈なようでもまだ十六の娘なんだな、仇を背負うには重すぎる」慈心が言った。
「父親も罪なことしやがる」
「儂らの手で仇を打たせてやりたいもんじゃ
」
「その為には、監物の取り巻きを俺たちで片付けなきゃな」
「うむ」
「爺さんもその辺で寝てな、一人起きてりゃ十分だろう」
「銀次が帰って来ぬとなると予断は許せんぞ」
「だからこそ、体力は温存しとかにゃなるめぇ」
「お前さんは?」
「俺はまだ若ぇ、年寄りは若ぇもんの言うことを聞くもんだ」
「そうか、ならばそうさせてもらう」
慈心は柱に背を持たせかけて目を閉じた。
「そこで良いのか?」
「ここで良い」
「そうか」
一刀斎はそれ以上何も言わなかった。
*******
朝、木戸が開いても銀次は帰って来なかった。
志麻が探しに出ると言ったが、すれ違いになってもつまらぬので昼まで待つ事にした。
それまで志麻と慈心は自宅で躰を休める事になった。
昼前、一刀斎の戸障子を叩くものがあった。
入るように促すと、酒屋の前垂れをつけた小僧が引き戸を引いた。手に油紙に包んだ手紙を持っている。
「あれ、女の人じゃないの?」
小僧の顔に不安の色が浮かんだ。
「困ったなぁ、これお侍さんが女の人に渡せって」
「ああ、今外出中だ。俺は留守番を頼まれている、届けもんなら預かっとくぜ」
「でも・・・」
「黙ってりゃ分かりゃしねぇよ、お前ぇだって仕事があんだろ、もう一度来る手間が省けるってもんじゃねぇか」
「それもそうか・・・じゃあ」
小僧が手に持った包みを一刀斎に差し出した。
「なんてぇ侍ぇだ?」
手紙を受け取りながら一刀斎が訊いた。
「名前は言わなかった、ただ駄賃をやるから届けろって」
「お前ぇんとこのお得意か?」
「ううん、初めて見る顔だった」
「そうかい」
一刀斎は懐から巾着を出すと小銭を出して小僧の手に握らせた。
「返事は?」
「要らないって」
「分かった、ご苦労だったな。ちゃんと女の人に渡したって言うんだぞ」
小僧はペコンと頭を下げると、いそいそと帰っていった。
「不穏な包みだ・・・」
油紙を開くと血の匂いがした。白い奉書紙に赤い色が滲んでいる。
開くと左手の小指が入っていた。眉を顰めて文面に目を落とす。
『銀次という者を預かりおり候、お引き渡し致したく、本日夕刻一人で小塚原にご足労願いたし。この事他言無用、約定を違たがえた折りには銀次の命は補償の限りにあらず』
署名は無かった。
「銀次の奴捕まりやがったな、だが志麻の居所は言わなかったと言う訳か」
一刀斎は手紙を懐に入れると刀を掴んで立ち上がる。
草鞋わらじを手に持って、素足で音を立てぬよう長屋の木戸を出た。
「あの二人には気取られると面倒だからな」
木戸の縁石に座って草鞋を履いた。
「さて、夕刻まで間がある、その辺で飯でも食って行くか」
*******
「師範代、そろそろ来る頃ですね」
男が小屋に入って来た。小屋の隅には息も絶え絶えの銀次が転がっている。
ここは小塚原の刑場にある番小屋だ。たまに罪人の腑分けや試し斬りが行われるため、板壁には腐臭が染み付いていた。
「あの手紙を見て、小娘さぞ驚いたことでしょう」
「ふふふ、いくら気が強いと言っても所詮は女だ」
「来るでしょうか?」
「来る、銀次を見殺しにはできまい」
「ち、ちくしょう・・・手前ぇら・・・女一人に卑怯だぞ」
銀次が途切れ途切れに言った。
「ほざけ、これもお前が命を惜しがったからだ。恨むなら自分を恨め」
「くそ・・・」
その時、小屋の扉が乱暴に開けられた。
「き、来ました!」
「来たか」
「そ、それが・・・」
「どうした?」
「浪人者が一人・・・」
「なに」
「娘らしき姿はありません」
「銀次、謀はかったな!」男が銀次を睨んだ。
「へへ・・・ざまぁみろ」
「ふん良いわ、どうせ片付けねばならぬ奴だ。お前の始末は後でゆっくりつけてやる」
男は袴の股立ちを取り襷を掛け頭に鉢金を巻いた。他の二人も同様だ。
「行くぞ!」
三人の男達は扉を開けて出て行った。
「兄ぃ、頼んだぜ・・・」銀次は小さく呟いて気を失った。
*******
「これはまた、なんとも悍おぞましい場所だぜ・・・」
なんとも言えぬ臭気を感じながら一刀斎が呟いた。
至る所に土饅頭が盛り上がっている。
十分に穴が掘られず申し訳程度に土を被せられた死体達だ。中には野犬が掘り返して骨が露出しているものもある。
「志麻には見せたくねぇ場所だな」
土饅頭を避けるようにして歩いて行った。
番所らしき小屋が見え、中から三人の男達が出て来た。生きているなら銀次もあの中にいるだろう。
「なんとも物々しい出立いでたちだな」
歩きながら声を掛けた。
「なぜお前が来た?」
「俺じゃ不足か?」
一刀斎が立ち止まる。
「やはり銀次が教えたのは嘘か」
「奴は生きているのか?」
「さあな、自分で確かめてみるんだな」
「そのつもりだ」
「勝てるつもりか?」
「勝たなきゃ確かめられねぇんだろ?だったら勝つしかねぇ」
「無理だな。お前も土饅頭の仲間入りだ」
男が刀を抜いた。
「冥土の土産に名乗ってやろう、草壁陰流師範代、宍戸十蔵ししどじゅうぞう」
「一刀斎」
「なに?」
「他に名は無い」
「ふざけた奴、まぁいいお前などに勝ったところで自慢にもならんからな」
「挨拶はそれくらいでいいか?早ぇとこ始めようぜ」
男が構えると他の二人が素早く左右に散った。
一刀斎は左手の親指で鯉口を切ると、右手で軽く柄に触れた。
右側の敵が間合いを詰めて来た。
その動きを右目の端に捉えたまま、一刀斎は左へ飛んだ。
慌てて剣を振り上げた敵の傍らを、すり抜けるようにして剣を抜く。
ザクリと音を立てて胴が割れた。遅れて血が流れ出してくる。
引き攣るような声を上げて男が倒れていった。
追い縋っていた敵が味方を避けようとして足を止めた。
刹那、翻った一刀斎が躍り込み、左の肩から右胸にかけて剣を振った。
絶叫を残して男が仰向けに倒れた。
「宍戸十蔵とか言ったな」一刀斎が呆然と立っている男に向き直る。「銀次を可愛がってくれた礼をするぜ」
一刀斎は剣を下段にとったかと思うと、身を低くして十蔵に突進した。
「馬鹿め!面がガラ空きだ!」
十蔵が剣を振り上げ、真上から打ち下ろす。一刀斎の剣がバネのように跳ね上がった。
片手で十蔵の剣を跳ね飛ばした一刀斎は、返す刀で眉間を存分に斬り下げた。
鉢金ごと断ち割られた十蔵の額から真っ赤な霧が噴き出した。
十蔵が倒れると、傘の雫を振り落とすように刀に血振りをくれて鞘に納めた。
小屋の扉を開けて中に入ると、銀次が倒れていた。
「おい銀次、生きてるか?」
銀次の顳顬こめかみがピクリと動いた。
「あ、兄ぃ・・・」
「なんとも酷ぇ格好だな」
「た、助かった・・・」
「お前ぇの機転のおかげだ」
「こうなるって信じてたぜ」
「立てるか?」
「なんとか」
立ち上がった銀次の膝が震えている。
「チッ、しょうがねぇな・・・」
一刀斎がしゃがんで銀次に背を向けた。
「おぶてってやる」
「兄ぃ・・・敵の居場所が分かったぜ」
「よくやった、銀次」
一刀斎は銀次をおぶって、土饅頭の中を帰って行った。