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果し状
「お梅婆ちゃん、銀ちゃん大丈夫かなぁ?」
弔辞の墨のような顔色をして寝ている、銀次の顔を覗き込んで志麻が訊いた。
「寿庵先生、本道(内科)の方は駄目だけど外科の腕はお墨付きだ、心配いらないよ」
竹本寿庵は同じ長屋に住む町医である。風に靡く竹のような藪医者だが切った張ったには滅法強い。
「落ちた指は元には戻らないが、他は綺麗に治るって言ってたから」
「良かった・・・」
志麻が銀次の手をそっと握った。
「ごめんね銀ちゃん、私の所為でこんな酷い目に遭わせちゃって・・・」
「お前ぇの所為じゃねぇさ、止めるのも聞かずに銀次が勝手に飛び出して行っちまったんだ」
一刀斎が手酌で酒を呑みながら言った。
「だって・・・」
「気にするな、銀次はお前ぇの役に立って喜んでるさ」
「じゃがよく命が助かったもんじゃ」慈心が角火鉢でスルメを焼きながら言った。
「なんだねあんた達、怪我人の傍で。ちったぁ遠慮したらどうなんだい」お梅が恨めしそうに顔を顰める。
「通夜じゃあるめぇし、命に別状はねぇってんだからいいじゃねぇか。なぁ、子泣きの爺さん」
「粉挽じゃ、何度言ったらわかる」
「怒るなよ、だがこれで面白くなってきたぜ、草壁監物の奴、全力で俺たちを潰しに来る」
「うむ、敵の居所が分かった以上、先手を打った方が良いな」
「先手って?」志麻が訊いた。
「お前ぇ、仇討ち免許状は持ってるんだろうな?」一刀斎が訊いた。
「うん、津つ藩の殿様が出してくれた」
「なら果し状を出す、時間と場所を決めて正々堂々と仇を討つんだ」
「志麻だけにやらせるつもりか?」慈心が訊いた。
「いいや、助太刀として俺たちが介添につく。どうせ敵も一人じゃ来るめぇ、俺たちが取り巻きを片付ける間に志麻が監物を討つ」
「あんた達本気で志麻ちゃんに敵を討たせるつもりかい?」心配そうにお梅が訊いた。
「ここまで来たらきっちりカタを着けるしかねぇだろ、それに志麻には姑獲鳥うぶめから貰った妖刀鬼神丸がある、万が一にも討損じはねぇ」
「だと良いけど・・・」
*******
「ムムウ、宍戸の奴、勝手なことを・・・」監物は歯軋りをして呻き声を上げた。「俺は小娘の居所を突き止めろと言ったのだ」
「ですが師範代がやられるとは相当な手練れだと思われます」
弟子の言葉に監物が頷いた。「あの男だ、日本堤で会った浪人者・・・」
その時、道場と母屋をつなぐ渡り廊下を、早足で伝う音が聞こえて来た。
次の間で膝を折る気配がする。
「先生、大変です!」
「なんだ騒々しい、今度はなんだ?」
「はっ、果し状が届きました!」
「なに、果し状だと?」
「どう致しましょう」
「見せろ!」
襖が開いて弟子が膝行で入って来た。手をついて礼をすると、上下をきちんと畳んだ紙包みを差し出した。
表書きにはまさしく『果し状』と書いてある。手に取って裏書を見ると、黒霧志麻とあった。
折り目を開いて中の文を取り出した。
『私しこと、津藩馬廻役黒霧数馬娘黒霧志麻、叔父桐山権太夫の無念を晴らすべく、果し合いを申し込み候。ついては来る長月晦日(九月三十日)明け六つ、下戸塚村高田馬場にてお待ちいたし候。当方介添人二人、そちらも助太刀勝手次第。奉行所に届け済みにて、約定違えられれば末代までの恥と知るべし。願わくば正々堂々の太刀合いを願い上げ候。長月廿八日、草壁監物殿、黒霧志麻、草草不一』
「うぬ、小娘め先手を打ちよったか!」
「先生、どうしましょう!」
「狼狽えるでない、万城目まきめと丑蟇うしひきを呼べ!」
「はっ!」
*******
「先生、宍戸がやられたそうですが?」万城目総司まきめそうじが言った。
「あんな弱っちい奴を師範代なんかにするからだ」丑蟇天鬼うしひきてんきが苦々しげに眉を寄せる。
「お前達三人の中では彼奴が一番まともだったからだ」
「酷いなぁ、その言い方」万城目が右の頬を引き攣らせた。
「お前達自分が何をしたのか分かっているのか、辻斬りだぞ?それも、江戸の主だった道場の師範や師範代ばかりを狙ってだ。もし知れたら江戸中の道場を敵に回してしまうではないか」
「で、このザマだ、あの時俺か万城目を師範代にしていたらこんな事にはならなかった」
「そう言うな、それについてはそれなりの金を渡した筈だ」
「まぁな、だけどそれもそろそろ底を突く」
「だからお前達を呼んだのだ、上手く行けばそれなりの報酬を渡す」
「で、敵は強いのですか?」万城目が訊いた。
「粉挽慈心の名は聞いた事があるだろう?」
「居合使いだな、江戸に戻っているのか?」丑蟇だ。
「確証は無いがまず間違いない」
「他には?」
「浪人者と小娘だ」
「なんだつまらぬ」丑蟇が言った。
「その浪人者が宍戸と弟子二人をやったのだ」監物が言った。
「ほう、多少は出来そうですね」万城目が興味を示す。
「儂も一度会ったが、かなりの腕と見た」
「で、その小娘というのは?」
「儂を仇と狙う奴だ」
「先生も結構酷いことやってますからね」
「万城目、お前に言われたくはない」
「腕は?」
「儂の敵ではない」
「では、我々は粉挽と浪人をやれば良いのですね?」
「そう言う事だ」
「乗った、俺は粉挽をやる」丑蟇が言った。
「じゃあ、僕はその浪人者ですね」
「日時は明日の明け六つ、場所は下戸塚村高田の馬場、忘れるな」
「先生こそ報酬を忘れないで下さいね」
「念には及ばぬ」
「わぁ、楽しみだな」
「万城目、気を緩めるな」
「・・・分かってますよ」
万城目がニッと笑った。