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「──玄関から出てけってんだ!」
怒声と共に、ソーレンが窓を乱暴に閉めた。
がしゃん、と硝子が震える音が
夜の静寂に無遠慮に響き渡る。
金具が軋む音さえ怒りに呼応するようで
室内の空気が揺れた。
カーテンがふわりと遅れて揺れ
アラインが去った気配だけが
まだそこに残っていた。
だがそれすら、彼の掌で踊らされた気がして
ソーレンの苛立ちはさらに深まる。
「ったく、騎士だの、羊だの、封印だの──
意味不明なことばっか言いやがって。
不死鳥を討つために転生者を探してんだ。
そりゃ、ここに集まって当然だろがよ」
壁に凭れ掛かり
手櫛で乱れた髪を掻き上げながら
ソーレンは吐き捨てるように言った。
けれどその声に
どこか押し殺した焦りのようなものが滲む。
戦士である自分が理解し得ない言葉の迷宮。
それを〝無意味〟と切り捨てなければ
内心の不安に呑まれてしまいそうだった。
その言葉を聞いていた時也は──
ただ、黙って紅茶の残りを見つめていた。
琥珀色の液面が微かに揺れて
彼の沈黙を映すように波打つ。
「⋯⋯封印⋯⋯不死鳥⋯⋯子羊⋯⋯」
呟きのような、掠れる声。
まるで、アラインの投げた言葉の断片を
一つ一つ紐解くように口に出していた。
「時也様?」
アビゲイルが心配そうに身を乗り出し
静かに声をかける。
その瞳には
先ほど見せた動揺がまだ微かに残っていた。
「何か⋯⋯気掛かりでも?」
その問いに、時也はふと目を上げた。
だがその鳶色の瞳は、どこか遠く──
記憶の奥にある景色を見つめていた。
「⋯⋯あ、いえ。すみません
少し⋯⋯思い出していたんです」
彼はカップをソーサーに戻し、息を吸うと
ゆっくりと話し始めた。
「アリアさんは⋯⋯
一度、ご自身の涙で
不死鳥を封印されています。
ご自身の身体ごと、です」
アビゲイルの目が見開かれる。
ソーレンも言葉を飲み込み
ただ黙って耳を傾けた。
「永遠の命を抱いているその胎内に
不死鳥を宿したまま⋯⋯
彼女はたった一人で
不死鳥に絶望という糧を与えぬ為に
ご自身ごと封じられたのです」
言葉の端々に
今も癒えぬ痛みが滲んでいた。
思い出すのは──
血のように紅い結晶の中で
静かに目を閉じて
涙を流し続けていた彼女の姿。
「けれど⋯⋯
あの時、僕が桜から蘇り
青龍と、ソーレンさんと共に
結晶を破壊して⋯⋯彼女を還した。
もしあのまま
彼女の身体から不死鳥だけを取り出し
封じる術があったなら……
どれほど良かったか、と
今でも考えてしまいます」
テーブルに置かれた彼の手が
わずかに震えていた。
それは後悔の名残か
それとも未だ彼女に与え続ける
痛みに対する呵責か──
「〝子羊〟⋯⋯それが何を意味するにせよ
僕は⋯⋯
アリアさんを再び、 あのような孤独の中に
置く訳にはいきません」
言葉にすることで
彼の瞳に宿る光が、ほんの少しだけ戻る。
それは、迷いを抱えながらも
〝守る〟と決めた者の揺るがぬ意志だった。
「⋯⋯ですから、生まれ直しだけではなく
不死鳥の封印の可能性も、僕が探します。
たとえ〝騎士〟でも〝子羊〟でもなくとも──
僕は、彼女の──夫ですから」
その一言が、部屋の空気を静かに締めた。
誰もが言葉を失い、ただその背に──
〝決意〟の名を宿した彼の姿を見ていた。
それはどこまでも孤高で、美しく
そして危ういほどに揺るがなかった。
リビングの空気が静寂と共に
落ち着きを取り戻しつつあったその時──
不意に、ソーレンがゆっくりと腰を上げ
時也の前に立った。
「⋯⋯てかよ」
低く唸るような声。
その背にはまだ荒々しさが残っていたが
その眼差しには、違う色が混じっていた。
焦燥、安堵、そして──
何よりも、恋人を想う強い意志。
「レイチェルにお前、さっき何かしたろ?
もう、あいつの傍に行っても良いだろ?」
鳶色の瞳が
ソーレンの目を真っ直ぐに見据える。
そして、時也は静かに頷いた。
「⋯⋯レーファさんの異能で感染した菌に
同じくレーファさんの胎内で生成された
ペニシリンを投与させていただきました。
傍にいても、もう大丈夫かと思います」
その声は穏やかだったが
そこには確かな手応えと
責任を果たした者の自負が滲んでいた。
ソーレンはしばし黙したまま
何かを飲み込むように
一つだけ深く息を吐くと──
「⋯⋯助かる」
それだけを短く告げて、くるりと踵を返す。
重たい足音がリビングを抜け
階段へと消えていくその背には
どこか焦りと期待が入り混じっていた。
闇の中で待つ、愛しい人の元へ。
彼の中で、それ以上の言葉は不要だった。
──そして、再び残された静寂の中。
「時也様⋯⋯申し訳ございませんでした」
不意に投げかけられた謝罪の声に
時也は僅かに目を丸くした。
アビゲイルが深く頭を下げていた。
その黒から深紫の髪が揺れるたびに
彼女の誠実な悔いが感じられるようだった。
「⋯⋯何か、私の〝加護〟が⋯⋯
時也様にご迷惑を⋯⋯」
けれど時也は
その不安を柔らかな微笑で包み込むように
首を振った。
「いいえ。
貴女が僕なんかに
加護を付与してくださったおかげで
転生者のお二人に早く出逢えました。
それは、アリアさんをお救いする一歩に
早めに踏み出せたことに違いありません。
そして──
孤独だったお二人に、居場所も与えられた。
こんな素晴らしいことは、他にないですよ」
その言葉は、深く真摯で
偽りの一切ない感謝だった。
アビゲイルの目が潤み
伏せた睫毛の奥で震える。
「だから
ありがとうございます、アビゲイルさん。
アラインさんは
貴女を取られて拗ねているのでしょう」
冗談めいたその言葉に
アビゲイルは思わず小さく微笑む。
けれどその笑みの奥には、滲むような安堵と
言葉にできないほどの敬意が宿っていた。
「⋯⋯ありがとうございます、時也様。
わたくし、これからも⋯⋯
お力になれるよう、努めますわ」
「さぁ
今夜はもうお休みになってください。
僕も、アリアさんのお傍に参りますので」
その一言に
彼の視線が階段の扉へと向けられる。
そこには、深い静けさが広がっていた。
だが、その中に眠る存在は
時也にとって唯一無二の光である。
「おやすみなさい、アビゲイルさん」
「おやすみなさいませ、時也様。
アリア様のお早い回復を
心よりお祈り申し上げますわ」
そう言って一礼したアビゲイルの姿が
廊下に消えてゆくと
リビングには、誰もいなくなった。
けれどその空間には
確かに〝灯火〟のような意志が残されていた
守るべき者の名を掲げ
天使は今、再びその翼を──
愛する者の為に静かに広げようとしていた。