軍事施設・第十二戦略拠点。
外観は
無機質なコンクリートと強化鋼で囲まれ
上空にはドローンによる
常時監視が敷かれている。
出入り口は
多重セキュリティによって厳重に管理され
地下には武器庫、研究棟、収容エリア
通信中枢など
多機能を備えた軍の中核に近い存在。
その日
異常事態が発生したのは、午前11時42分。
──上空、標準高度において
〝熱源反応〟及び〝未確認飛行体〟接近の
アラートが鳴った。
当初
対空レーダーは異常を検知しなかった。
熱源はある、だが形が読めない。
速度も不明。
電磁干渉によって測距不能。
探知班が困惑しながら報告を送る頃には
それは目視可能な距離まで接近していた。
「未確認の飛行体が施設上空へ接近!
形状は⋯⋯人型!?
翼あり⋯⋯⋯生体反応あり!」
「管制室より警報レベル3を発令!
警備中隊を第一種戦闘配置につかせろ!」
「対空砲塔、追尾できません!
熱反応が散ってます、ジャミングか!?」
「何だこの動き⋯⋯!
風の流れまで読んでる⋯⋯
これ、本当に生き物かよ!?」
上空に漂うその存在に
軍全体が緊張で凍りついた。
紅く灼けた炎のような翼を広げた女──
それが〝人間〟のカテゴリーに収まると
誰も思わなかった。
冷たい紅の瞳が
施設全体を俯瞰するように見下ろす。
アリア。
その眼差しは感情を見せず
だが確実に怒りを孕んでいた。
「⋯⋯どこだ」
囁きと同時に、翼が音もなく震える。
花弁が、舞った。
本来、ここにある筈のない──桜の花弁
それが
コンクリートの屋上
戦車の砲塔、装甲車の履帯に
へばりついていた。
アリアの深紅の瞳がわずかに細まり
呼吸のように静かに地上へと降りていく。
その瞬間──
施設全体が
異常事態レベル5へ引き上げられた。
「施設広場に着地を確認!対象、単独!
女性型⋯⋯異常なし、威圧感強し!」
「全員、発砲は待て!
勝手な判断を下すな!」
「対応班、待機せよ!
護衛ドローン展開、周囲の侵入経路封鎖!」
緊急対処チームが駆け出し
周囲の建物からは狙撃手が配置につく。
だが誰一人
トリガーに指をかけようとはしなかった。
本能が、それを止めていた。
広場の中央、アリアの金の髪が風に靡く。
その美しさは
神話の中に登場する天使を彷彿とさせた。
だが、その翼は燃えていた。
静かに、冷たく
全てを焼き払うための炎として──
「現在、対象の発話・攻撃なし。
しかし、状況から見て敵対意志の可能性大」
司令室内では
幹部たちが次々に報告書を開き
過去の事例を引っ張り出していた。
だが
誰一人として確信を得られなかった。
アリアの視線がゆっくりと横に流れ
施設の一角──
地下への通路を見据える。
そこで彼女は、確信した。
丘の土の匂い。
装甲車の僅かなひびに入り込んだ
時也の刃の花弁。
「⋯⋯見つけた」
炎の翼がゆるりと開く。
施設全体に──
最も恐れていた〝災厄の気配〟が
満ちていった。
⸻
「狙撃手α-3、位置に到達。
目標確認⋯⋯照準完了。
距離、およそ820メートル⋯⋯
風、東南東より2ノット。
問題なし」
戦術指揮班の通信に応じながら
男は息を殺してスコープを覗き込んだ。
その先に見えるのは
施設中央広場に静かに立つ一人の女。
白く、長い金髪を風に遊ばせ
燃えるような紅の翼を背に揺らす。
動きはない。
敵対行動は、未確認。
だが、それが逆に異常だった。
(⋯⋯まるで、あれが
〝世界の中心〟であるかのように⋯⋯)
男は右目をスコープに、左目を半眼にし
呼吸を整える。
完璧な射撃姿勢。
スコープの十字線が
彼女の額にピタリと重なった。
「ターゲットロック。指示を──」
無線が小さく鳴る。
「本部より指示
目標の反応次第で威嚇射撃へ移行。
決して先制するな。
現時点では敵対行動なし」
「了解、警戒態勢継続」
男は肩越しにライフルを整え
もう一度スコープを覗く。
その時だった。
彼女が、こちらを見ていた。
「───⋯っ!」
息が詰まる。
まさか、スコープ越しに視線が合った──
そんな錯覚を
訓練された男が抱くはずがない。
だが確かに、彼女の目は
スコープの先の〝自分〟を見ていた。
「ば、馬鹿な⋯⋯!この距離で⋯⋯っ」
彼の射線は、鉄筋コンクリートの上層階。
直線距離にして800メートルを超え
遮蔽構造も完璧。
それなのに、なぜ──視線が、通る?
その時だった。
ぴちゃ……
唇の上を、何かが伝った。
冷たく、ねっとりとした感触。
男は反射的に鼻の下へ手をやった。
指先が、濡れていた。
赤い液体──血。
「な⋯⋯っ」
次の瞬間、激痛が走った。
「⋯⋯なんだ、これ⋯⋯?」
目の奥が焼かれるように痛い。
耳が、キィィンと鳴って何も聞こえない。
鼻腔に熱がこもり、嗅覚が焦げる。
視界の端が、赤黒く滲んでいく。
まるで
身体の内側から焼かれていくような感覚。
「う、あ⋯⋯ぐ、あああああああっ!!」
吐こうとした言葉が、血と共に噴き出した。
眼球が内側から焼け
鼻孔から煙が立ち上り
脳髄を直接焼かれるかのような激痛が
男を内部から破壊していく。
彼女の姿が、視界の中で変わらず
〝静か〟に存在していた。
そして──狙撃台が爆ぜた。
ドン、と鈍い爆発音と共に
ビルの一角が膨れ、黒煙と共に吹き飛ぶ。
「狙撃手α-3との通信が途絶!
α-3、応答せよ!α-3!!」
「くそっ⋯⋯ビル上階で爆発を確認!
中隊、調査班を急行させろ!」
「信号ロスト直前、異常生体値。
呼吸加速、体温上昇、脳波異常波形──
何があったんだ!?」
「⋯⋯直接の攻撃反応は無し。
外傷反応もカメラに映っていない。
熱源も、接触も確認できない。
──爆発の原因不明!」
司令室は、にわかにざわめき出す。
「状況が掴めない。
敵の攻撃範囲が不明、
否、そもそも攻撃かどうかの判断も──!」
「前線隊員に精神異常の兆候確認
複数名が嘔吐、失神。
現場映像は解析班に回せ!」
「施設の自動防衛システムに障害発生⋯⋯
電子制御系が熱膨張反応!
侵入か!?EMPではない⋯⋯っ!」
「冷静になれ!これは生物兵器か!?
それとも新型兵器⋯⋯!」
「映像解析急げ!
対象は一歩も動いていないんだぞ⋯⋯
それでどうして!」
「違う、あれは兵器じゃない。
人間でもない⋯⋯なにか、もっと⋯⋯!」
だが、その言葉に、誰も反論できなかった。
⸻
施設広場、ただ一人の女が佇む。
静かに、無言のまま。
その場にいた全ての者が
何が起きたかを理解できなかった。
だが、全員が悟った。
あの女が敵であるならば
既に〝戦闘〟では済まされない。
──〝存在〟そのものが
軍という枠に収まらない。
震えるような静寂の中で
ただアリアだけが
風に揺れる花弁の中で静かに立っていた。
コメント
1件
死の翼が、静かに降り立った。 触れた者の心を焼き、狂気をもたらす紅い瞳。 軍すら抗えぬ〝災厄〟は、ただ静かに── 世界を否応なく終焉へと導いていく。