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暗く、冷たい海の中。

意識は朦朧としていて、何も考えることができなかった。

ゆっくりと、深く暗闇の中へ沈んでいく。

何も考えられないのに、何故か寂しくて。


霞んだ視界の中に、誰かが映った。


助けて、とそう言いたいのに声は出ない。動く事もできなかった。


視界が暗闇に覆われ、何も見えなくなった。

何もかもが深く深く沈んでいく。


酷い眠気に襲われ、なんとなく分かった。

僕はこのまま消えてしまうんだと。





窓の外を見ると、雪が降っていた。

「時間が経つのは早いなぁ。あやくんが眠ってもう1年か…」

「本当に。この人ったら、いつになったら起きるんだか」

少し広めの病室で、俺は穂波という女性と会話をしていた。

彼女に初めて会ったときは本当の本当に驚いた。なんせ、あやくんの彼女だと名乗ったからだ。

彼女がいるなんて一言も言っていなかったし、というかてっきりカイと付き合ってるのかと思っていた。

カイを問い詰めたところ、別に付き合ってた訳ではなく、単に一緒に住んでいただけだと言っていた。

ため息をつき、眠る弟の顔に視線を落とす。

カイは、弟が眠りについてから姿を消した。でも俺はカイに聞きたい事が沢山あったために探す事にした。

見つけるのにそんなに時間はかからなかった。以前映画の仕事をした時の監督が、彼の連絡先と住所を知っていたからだ。

ついでにいろんな情報も手に入れた。カイは画家であり、描いた絵はものすごい価格で取引されていること、名前は公開しておらず、作品に作者名おろか題名をつけない。彼の詳しい情報は誰も知らないんだとか。

だがカイが悪いやつではない事くらいは分かっている。 それに、あの時冷静さを欠いていた俺を助けてくれたのは紛れもなくカイだ。

今なら、あやくんがなんで彼の事が好きになったのか分かる気がする。

いやいや、何考えてるんだ俺は。

「あれ、今…」

突然、穂波が呟いた。

「どうした?」

「綾くんが…」

「え」

驚きあやくんの顔を覗き込むと、閉じらていた瞼が、うっすらと開いていた。

「あやくん!」

目を、覚ました?

期待に心臓の音が高鳴る。

あやくんは何度か瞬きをしたあと、俺と穂波の顔を交互に見た。

「あやくん、俺だよ。分かる?」

涙が出そうになるのを堪えながら、震える声でそう問いかける。

この日を、どれだけ待ったことか。

「…誰」

その、第一声に思考が止まる。

「…え。冗談、だよな?」

「悪いけど、本当に知らない」

ショックで膝から力が抜け、経たり込んでしまった。

「私は!私の事は分かる?」

「…ナミ?」

「そう、穂波だよ!ああ良かった」

「…」

2人は再開を喜び、抱き合っていた。

俺の事だけを覚えていない?でも、なんで?

まだ固まったままの俺に、2人の話し声が聞こえた。

「綾くんは1年も眠ってたんだよ」

「…そういえば、あやくんって僕のこと?」

「何言ってるの?そうに決まってるじゃない」

「…鏡、ある?」

「ここに。やっぱり記憶に問題が……ってどうしたの?」

「……」

「綾くん?ねえ、大丈夫?とりあえず、お医者さん呼ぶね… 」


記憶喪失。あやくんはそう、診断された。基本的な知識や、自分の事についても全く覚えていないらしいが唯一穂波のことだけは分かるようだった。

それからあやくんが目覚めたと聞いた両親が駆けつけ家族で話しあったが、両親の事も覚えていないようだった。

「父さん、母さん……」

慣れないようなふうに2人を呼んだあと、あやくんは俺に視線を向けた。

「俺は、あやくんの兄の玲だよ」

下を向く。まさかこんな事を言う日がくるなんて。

「…兄……兄ちゃん?」

「何か、思い出したのか?」

「…そっか。そうだったんだ……」

綾くんは独り言をつぶやき、両手で俺の顔を掴んだ。

「な、なに?」

「……兄ちゃんはこんな顔なんだ……ふふ 」

変な事を言い、笑ったかと思えば泣きそうな顔をしていた。

でも、それから弟は俺を前と同じように兄ちゃんと呼んだ。しかも、小さい頃の懐っこさを残したまま。

「あや、くん……」

俺は弟を抱きしめたまま、泣き崩れてしまった。情けない、と思う。

どうしても、小さい頃の事を思い出してしまう。あの頃の弟は甘えん坊で、いつもそうやって人懐っこい笑顔を浮かべていた。

でも、弟はもうそんな顔はしなくなった。

それは、俺が弟を突き放してしまったから。

あやくんはいつも、俺が欲しいものをもっていた。どれだけ努力しても、簡単に追いつかれてしまう。それが羨ましくて、悔しくて、憎くて。

弟を見ていると、自分の全てが否定されているような気がして。

気がつけば忙しさを理由に避けるようになり、家にも帰らなくなった。

自分の事しか、考えていなかった。いつも余裕なんかなかった。

残された弟が、どんな気持ちでいたかなんて考えれば簡単に分かることなのに。

1年が経って、ようやく落ち着いていたはずの感情が溢れ出していく。

「………本当に、よかった」

でも今は、素直に弟が戻ってきてくれた事を喜んでいたかった。

「……ごめん」

そう呟いたあやくんの声は、震えていた。



おかけになった電話番号は現在電源が…と、自動音声が鳴り電話を切る。

「おかしい、電話が繋がらない」

「誰にかけてるの?」

あやくんが首を傾げる。 意識が戻ってから、2日が経過していた。

「カイにだよ。あやくんが目を覚ました事、伝えたかったんだけどずっと繋がらないんだ」

何かあったのかとも思ったが、そもそもあいつは滅多に電話を取らない。どうせ電源が切れたまま何処かに放置しているんだろう。

「ふーん」

「まさか、カイの事も覚えていないのか?」

そう聞いてみれば、あやくんは露骨に目を逸らした。

「…会ってみないと分かんないよ」

こりゃ覚えてないな、と苦笑する。

俺が思っていた以上にあやくんは記憶を失っていた。過去の話をいろいろしたが、何一つ覚えていないようだった。

しかも、スマホを見て驚いていた。こんな小さいのに…なんて呟く姿は、スマホを初めて見る老人のようで笑ってしまった。

記憶が全くなくても、本質は同じらしい。ちょっとした仕草や言葉が、あやくんそのものだ。

記憶を無くした時点で全く別の人格、なんて事はたぶんない。

「覚えてなくてもこれからゆっくり思い出せばいい。だから、もう勝手にいなくならないでくれ」

「…兄ちゃん、僕は 」

バンッ

何かを言いかけた瞬間、勢いよくドアが開いた。

「…なんでお前、全身ずぶ濡れなんだ? 」

部屋に入ってきたのはカイだった。海にでも入ったのか、頭からつま先までびしょびしょだ。

しかも、こんな真冬にだ。

「…!」

仕方なく近くにあったタオルを手渡すが、カイはそれを持ったまま固まっていた。

あやくんがぼそりと何かを呟いたと思うと、カイはタオルを投げつけた。

それをキャッチし、首を傾げるあやくんの胸ぐらを掴み、声を荒らげ言った。

「お前、綾じゃないだろ!」

「落ち着け。あやくんは記憶がないんだよ」

あやくんを離して落ち着くように促すが、カイは首を振った。

「記憶なんかあるわけないだろ。こいつは綾じゃないからな。そうだろ?答えろよ! 」

その問に、唖然としてしまう。本当に、そんな事があるのだろうか。

あやくんは突然の事に少し驚いたようだが、頭の後ろをかいて小さく頷いた。

この仕草は小さい頃から、あやくんが少し後ろめたい事があるときによくしていたものだった。

だが頷いたとう事は肯定、目の前にいるのは弟とは全くの別人、という事になる。

じゃあ俺を兄ちゃんと呼んだのは、あんな顔をしたのは何だったんだ?

「…綾って人が、誰なのか僕には分からない 」

「…お前……綾を、どこにやったんだ」

「知らない」

「じゃあ、お前は誰なんだ」

「…分かってるくせに 」

「…っ綾を返せよ…お前なんか早く消えろ…」

淡々と答えるあやくんに対し、カイはとても辛そうな顔をしていた。

俺は状況をうまく飲み込めず、ただ唖然としていた。目の前にいるのがあやくんじゃないなら、俺はなんで気づかなかった?

「…嘘だ。あやくんはただ何も覚えてないだけで…」

信じたくなかった。そもそも別人だなんて簡単に信じられる話ではない。

「…頭冷やしてくる」

そう言い残し部屋をでる。頭の中がいろんな感情や考えでぐちゃぐちゃだった。

2人の言っていた事が本当なら、あやくんはどこにいるんだろう。

目眩がして、何故か酷く不安な気持ちに駆られた。



「…なんで、今更…」

静かな部屋に、その声が重く響く。

「……不思議だよね。僕は確かに死んだのに」

「…本当に、お前は…」

こくりと頷く。その表情は穏やかだった。

「……っ…」

「また会えて嬉しいよ、ルイ」

「…俺は、お前が憎い。殺してやりたいくらいだ」

あはは、と笑い声をあげ、綾、いや、そいつはルイと呼ばれた男を抱きしめた。

「…置いていってしまったこと、怒ってるのは分かってる。それがどれだけ理不尽で酷い事かも。でも、そうするしかなかった。ルイには、生きて欲しかったから」

「…ふざけんなよ、俺はお前と死ぬことを選んだのに。それなのに、お前は、カイは……っ、ぅ…… 」

「…ごめん……もう、置いてったりしないからさ、泣かないでよ」

なだめるように言ったその言葉の意味を、今はまだ誰も知らない。

「嘘つきの言う事なんか信じられるか」

「酷いなぁ……。というかずっと思ってたんだけどなんで全身ずぶ濡れなの?僕も濡れるし冷たいんだけど」

「…誰かさんが起きてる事に気がついたとき足を滑らせたんだ。…笑うな!」

一方は余裕があるように取り繕い、また一方は素直に再開を喜べない。

そんな2人が、確かにここにあった。

泣いて、笑って。2人にとっては全てが儚い夢のようだった。

だが、そんな事とは裏腹に、 少しずつ、何かが消えかかっていた。




君がいる明日は、もう来ないこと。

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