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夕暮れ時。 町の南西部に看板を掲げる小さな宿のラウンジは、疎(まば)らに集った宿泊客によって、程合いの活気をみせていた。
設備としては極々ありふれたもので、20畳ほどの空間にソファーがいくつか設置され、気の利いた装飾品が邪魔にならない程度 配置されている。
天井から鳥かごのように吊り下げられた照明が、折に触れてパチパチと音を立てていた。
ひとまず居心地については上々で、狭いながらも休憩場所としての面目をしっかりと保っているようだった。
「しっかし泊まるとこ少ないね? この町」
「ん。ほら、べつに観光地ってわけじゃないし」
適当に見繕った席にやれやれと体を埋(うず)めた葛葉は、心地の良い疲労感に任せてみっともなく弛緩した。
クッションがなかば草臥(くたび)れているが、かえって包み込まれるような安心感がある。
こちらは最前まで夜店を巡って買い込んだ品々を、両手いっぱいに抱えたリースが、ソファーの縁(へり)にちょこんと腰かけていた。
「完全に大砲だぜコイツぁ……」
その隣では、童の姿を顕した小烏丸が、小さな手に捧げ持ったフランクフルトを頼もしげに見つめていた。
素人がベニヤを組み合わせて拵えたような受付を見ると、店主が暇そうにテレビを眺めては、しきりに外の様子を気にしている。
通りの各所に配された提灯には、日没前から明かりがぼんやりと灯り、楽しげに繰り出す人々の模様を淡く照らしていた。
前夜祭はこれからが本番のようだった。
「なんやら、飲みくらべみたいなこともやってるみたいよ?」
「ほぉ、それがどうしたよ?」
「や? 興味あるかと思って」
近場の席に知らせたところ、これを鰾膠(にべ)もなくあしらった虎石は、ふと己の手元に気を留めて場都(ばつ)が悪そうに顔をしかめた。
先ほど格安で求めた一升瓶が、まるで賞状を納めた筒のような案配で携えられている。
「それ美味(うま)いん?」
「オメーは飲めんのかよ?」
「ん、飲めないこともないよ?」
目に留まったウォーターサーバーから紙コップを失敬し、いつぞや観賞したヤクザ映画を参考に、恭(うやうや)しい態度で酌を要求する。
釣られてその通りに計らおうとした虎石だが、途端に気つけを得たように酒瓶を引っ込めた。
改めてこれをぞんざいに突き出し、“んっ”とだけ短く言う。 飲みたかったら手前(てめえ)で注げという事らしい。
しょうことなしに手酌で盃を満たした葛葉は、まずは毒見をするような調子でペロリとやった。
「地酒ってのは、大体こんな感じ?」
「そりゃモノによるだろ。そんなもん」
はじめは口当たりの良さが目立ち、次第に上品な角が際立って、やがて舌の先に得も言われぬ辛さを感じた。
「ふーん? ココアのほうが好きかな、私は」
「返せてめえ!」
その模様をそばで熱心に見つめていたリースが、ニッコリと顔を綻(ほころ)ばせた。
フランクフルトを早々に平らげた童のもとへ、りんご飴を差し出しながら嬉しそうに言う。
「トラもずいぶん丸くなったよねー」
付き合いはまだまだ浅いが、あの最悪な出会い方を思えば、今はこうした何気ない一幕が貴重であり、いたく喜ばしい。
「オメーに俺の何が分かんだよ?」
「分かるよー。 最初みたいにギザギザしてないもん」
「あ?」
人をみる目、他人の性質をよく見抜く眼は、ひとつの才能だ。
ところが、それも生きてく内に曇ったり歪んだり、真っ当な状態で維持するのがじつに難しい。
なら、眼鏡のように手直しはできないのかと言うと、これを磨く方法がひとつだけある。
「……オメー、今までなに見てきた?」
「ん? クズとトラが仲良くなってくところ?」
「バカ野郎、そういうんじゃねえ」
この世の中に、イカれてない奴なんて一人もいない。
そんな修羅場に身を置きながら……。 いや、そういう世間を渡ってきたからこそだ。
コイツの眼は、もはや慧眼なんてレベルじゃなく。 今日を安全に切り抜けることに特化した 草食動物のような印象すら感じさせるものだった。
「元々、そういう性質(たち)だったんじゃない? 虎石(とらい)っさんは」
「あ?」
コップの中身をひと息に煽った葛葉は、微睡(まどろ)むような視線を窓の外へゆったりと至らせた。
通りを歩む家族連れ。 睦まじく並んで歩くカップルに、当てもの屋の景品を友達同士で自慢し合う子どもたち。
いずれも楽しげで、眺めていると活力が湧いてくるような。 心の底に蟠(わだかま)るなにかを、一時ほど忘れさせてくれるような、そんな気がした。
「気性は荒いけど、自分から突っ込んでいくような真似はあんまりしないっていうかさ? いるじゃん、そういう人」
「Gentle and powerful!」
「いや……、力は強いけど気も荒いんよ。 つまりタチ悪いんよ、こういう人」
「てめえ……」
黙って聞いてりゃ吐(ぬ)かしやがって。
俄(にわ)かに頬が引きつったが、ここでキレるのも大人げない。 ふてくされて酒瓶を呷ろうとするも、中身はすでに底をつきかけていた。
「ありがとね?」
「あ?」
そこに真摯な声が降って湧いたもので、虎石は思わず唖然として隣を見た。
平生の毒気をひた隠しに整えた面差しが、こちらをやんわりと見つめていた。
「いや、虎石っさんもリースもさ。 なんか、退屈しないで済んでるよ。 いま」
「なにそれ水くさいよー」
いつもなら即座に顔を背けるところだが、なぜだか一向にそんな気が起きない。
認めたくはないが、美しいものを長く見ていたいと思うのは男の性(さが)か。
いや、そんな生っ白(ちろ)いもんはとっくの昔に切り捨てたはずだ。
「酔ってんのかオメー」
「んー? 酔うわけないよ?」
やっとの思いで視線を逸らした虎石は、机上に積まれた品々の中からたこ焼きのパックを摘まみ出し、2~3個まとめて口に放り込んだ。
あまり舌の根を自由にさせておくと、余計なことを口走ってしまいそうだったのだ。
「ぉん……っ!?」
しかし、これが思いのほか熱々で、柄(がら)にもなく身をよじらせた彼は、リースの哄笑を大いに誘った。
と、そこに見知らぬ人物が声をかけてきた。
身なりの整った壮年の男性で、何とも親しみやすい笑顔を浮かべている。
「あ……っと、なにか?」
「やぁやぁこんばんは。 お寛(くつろ)ぎのところすみませんね」
ただ距離感が妙に近く、ひょっとして知り合いだったかなと思わせる程度には友好的で、じつに懇篤(こんとく)な印象を及ぼすものだった。