TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

禁忌ユカリ文字の光は既に消え失せていたが、レモニカは最後に見た光の向かっていた方向へ厳かなる黒に塗られた街の通りを進んでいた。その間、レモニカは多くの姿に変じたが、特に多かったのは大蛇だった。我らが神を寿ぐ聖なる神殿で邪なる大蛇が暴れている、と黒い都の敬虔なる人々は思い、口々に噂していた。それがゆえにその噂から抜け出してきたかのようにレモニカの姿は大蛇になってしまい、噂通りで想像通りの怪物を目の当たりにした献身的な人々は悲鳴をあげて逃げ惑った。


その上、再び雨が降り出した。それも例の雨乞いを行った時に勝るとも劣らないような豪雨だ。いったい何が起こっているのか、誰の何を意図した魔法の仕業なのか、魔法にも神秘にも深く通じていないレモニカには分からなかった。


しかしレモニカはクオルに追いついた。というのもクオルは工房馬車を大通りに停めて、なぜか道の真ん中で焚火をしていたらしい。すでに雨で火は消えているが、燻り、白い煙を吐き出している。

そして雨に濡れそぼちながら、その手にあるべきではない茜色の円套マントを両手に広げ、うっとりと見つめて鼻歌を歌っていた。そのクオルの表情を見れば、クオルが重要なことに勘づいたのだとレモニカにも分かる。


その美々しい円套マントが魔導書だとまで分からなかったとしても、それに匹敵するものだと感づいたのだろう。その衣を触媒に使ってこの豪雨を降らせたのだ。


そしてレモニカは思い違いに打ちのめされる。ここにはユカリもベルニージュもいない。

と同時にクオルに大蛇の姿を見とめられる。もちろんそれが本物の大蛇などではなく、レモニカであることもばれている。


「やあ、これはこれはレモニカさん。お一人です? もしかして――」

「助手にならなりませんよ」とレモニカは先回りする。

「貴女の場合は助手と言うよりは……。まあ、いいでしょう。丁度良かったです。貴女を連れて行くのは今度にしようと思っていたのですが、運命は私の背中を押してくれているようです」


レモニカの姿が鼠になる。豪雨に打ち付けられてぺしゃんこになってしまいそうだったが、レモニカは逃げる気力を失った獲物を前にした獅子のように悠々とクオルに近づく。


「その衣を返してください。それはベルニージュさんのものです」


クオルはあからさまに顔を歪ませて、一歩退く。


「つまりちっぽけな貴女がたった一人で私に立ち向かってでも、取り戻してあげたい大事なものなんですね。この衣は」


レモニカは何も返事をしないが、クオルは一人で喋る。


「エイカさんは三冊もの魔導書を所持するとんでもない人で、共にいる才能ある魔法使いが所持する衣ですか。好奇心の疼きで胸が張り裂けそうです」


その間にもレモニカは濡れた石畳を這うように近づいていたが、クオルはまるで気づいていないかのように衣を眺めている。


レモニカは一度クオルに飛び掛かって気絶させた時のことを思い出す。


クオルに飛び掛かれる距離まで来てもなおクオルはぶつぶつと呟いている。レモニカは少しの憐れみを感じつつも全身をばねにしてクオルに飛び掛かった。が、クオルに鷲掴みにされた。

握り潰す直前の力を込めて、レモニカを握りしめている。


クオルは汚らしいものを見る目でレモニカを見つめて言う。「私、本当に鼠が大嫌いなんです。今も鳥肌が立ってますよ」

「どうして?」クオルの細くて青白い指の中で鼠のレモニカは呟く。

「どうして? 人間は恐怖に立ち向かう生き物でしょう?」そう言いながらもクオルは顔を顰め、腕をできるだけ伸ばしている。レモニカは強く握りしめられ、嗚咽を漏らす。「ああ怖い。地面に叩きつけないだけでも感謝してくださいね」


いくら恐怖に立ち向かうといっても、数日前に気絶してた人間にそんな芸当ができるだろうか。レモニカにはとても信じがたいことだったが、皮肉にもレモニカ自身の呪われた体がそのことを証明している。クオルは今も確かに鼠を最も嫌っている。しかし恐怖を前に逃げるのではなく、すくむのでもなく、立ち向かってみせたのだ。


レモニカ鼠は身を捩り、その手から逃れようとするがびくともしなかった。ふとクオルの視線は自分ではなく、その後方に向けられていることに気づく。


「おや、お早いお着きで」

「レモニカを離して」息を切らして、しかし雨音にも掻き消されない力強い声ではっきりとそう言ったのはユカリだった。


レモニカはできる限り体を捻ってユカリの姿を見る。魔法少女には変身していない。


「うーん。そうですねえ。いや、迷いますね」クオルの手が少し緩むが逃げ出せるほどではない。「どっちの方が良いですかね。どちらもついて来てくれるのが一番なんですよ。ああ、そうしてもらえば良いですね。レモニカさんを握りつぶされたくなければ大人しくついて来てください、っていうのはどうです?」

「それで、私に人体実験の手伝いをさせるんですか?」ユカリは忌々し気に吐き捨てるように言う。「それともメヴュラツィエと共に私自身を?」

「エイカさんも先生のことをご存じなんですね。普通なら知るはずがないのですが。いったい誰に教わったんです?」


ユカリは首を横に振って言う。「じゃあ本当なんですね。変な人だけど悪い人とまでは思えないって、初めは思ってたんですけど」

「悪い人じゃないです、私。進歩のための尊い犠牲というやつです。それを救済機構の連中は理解できないくせに」クオルが顔を顰め、しかしすぐに微笑みを取り戻す。「いえ、理解できないのは良いんです。それを恐れることだってそうです。それが人間というものですから。ね?」クオルがレモニカに目配せをする。「しかしだからこそ人間は立ち向かわなくてはならないのです。理解できぬものに、恐ろしいものに。拒むのではなく、挑まなくてはなりません」


レモニカにはクオルが何を言いたいのかいまいち分からなかった。こうして恐ろしい鼠に立ち向かっている自分のことを言っているのだろうか。


「クオルさんはメヴュラツィエの指示に従っているだけなんでしょう?」とユカリは少しばかり憐れみを込めて尋ねる。

「だけということもありませんが」クオルは残念そうに唇の端を少し歪めて答えた。「まあ、確かに私如きでは先生の深遠なるお言葉を理解するだけでも精一杯です。それは認めますが、私だってそれなり以上に役に立ってるんですよ?」


そう言ってクオルはレモニカをつかんでいない方の手で衣を捲り上げる。露わになった青白い腹には手術痕らしき縫い傷があった。その傷を愛おしそうに見つめ、撫でる。


「その傷……」ユカリは目を見開き、言葉にしたくない言葉を紡ぐ。「クオルさん、あなた、自分の子を実験に使ったの?」

クオルは微笑みを浮かべたまま頷く。「まあ、残念ながら失敗でしたが。私にももう二度目はありません」


ユカリの怒りの眼差しにレモニカまで縮こまる。まるでユカリ自身が我が子を奪われたかのような劫火の如き怒りを迸らせている。


クオルも察して繕うように言う。「死んだわけではありませんよ。魔法使いとしては致命的な失敗作でしたが。それに自分の子ですから、愛してもいます。実験自体、上手くいけばその子のためになる実験だったのですから、ある意味ではその実験自体が親の愛というものです」

「言いたいことは全部言っておいて」とユカリは言った。


レモニカは焚書官ルキーナのことを思い出す。彼女が怒っていたのはこのことだろうか。あるいは、ルキーナ自身の……。


「逃亡生活を強いられているうえに、その最愛の我が子を私は奪われているんですよ。救済機構に」


クオルは話し続けるがユカリがその言葉を聞いているのか、レモニカには分からなかった。


「レモニカさんだって、その呪いがなければ、家族と一緒にいたかったでしょう?」


唐突に矛先を向けられて鼠のレモニカはしどろもどろに答える。


「それはもちろん、そうかもしれません。けど、悪いことばかりではない、と最近はそう思っています。少なくともこの呪いがなければユ、エイカさまやベルニージュさまには出会えませんでした」


本当に心の底からそう思っている自分に、レモニカは驚いていた。いつの間にか共に旅をするユカリとベルニージュともっと親しくなりたいと思っていた。このような気持ちはいつ以来のことか、レモニカはよく覚えていた。


「前向きですね。それは良いことです」クオルが鼠に微笑みかける。「さあ、いつまでも雨に打たれてお喋りをしていても仕方ありません。行きましょうか。エイカさん」


クオルにそう言われてもユカリは微動だにしないし、【微笑み】すらしない。レモニカは今になって気づく。ユカリは合切袋を持っていないし、魔導書も見当たらない。変身ができないのだ。


「どうされました? これは脅しですよ」そう言ってクオルはレモニカを掲げて強く握りしめる。

レモニカは苦し紛れに言う。「待ってください。クオルさん。分からないんですか?」

「何がです? 私が何を分かっていないんです?」


レモニカは時間稼ぎの策を考える。ユカリもそうしようとしていたのだろうが、元から嘘が苦手な上に己の怒りを自覚して冷静になろうとしているのだ、とレモニカはユカリの表情を見て察した。


「ええっと、それは。つまり逃げるなんて無理ということです」

「ん? ああ、救済機構からですか? 一体何の話です?」

「いいえ、違います。私が言いたいのは、そう、ベルニージュさんからです。だってそうでしょう? なぜ私たちがクオルさんに追いつけたのか、ということです」

「それは」と言って、クオルはレモニカをつかんでいない方の手にある魔導書の衣を見つめる。「この円套マントが光ったからですね。あれはやはり皆さんの仕業ですか。なるほど。この衣は欲しい。でも持って行けば常に位置がばれる、と」

「そういうことです」

「それは後で考えます」とクオルはぴしゃりと言い放つ。「さあ、エイカさん、行きますよ」


しかしユカリは何も言わず、微笑みを浮かべただけだった。


それを受けてクオルはため息をつき、口を大きく開いた。すると喉の奥から例の魔法の鞭の先端と同じような不気味な目玉が現れ、邪な視線をぶつけてユカリを石のように硬直させた。


クオルはレモニカに向けて微笑みかけて言う。「時間稼ぎです? あなたたちの有利な点を話されれば私だって怪しみますよ」


レモニカは歯噛みし、暴れようとするが、微笑みを浮かべたままのユカリと同様に硬直させられる。


「さて、面倒ですね」


硬直したユカリと馬車の距離を目測で測るクオルは気づかなかったが、その時ユカリの手に魔導書が戻ってきて、微笑みは【微笑み】へと変わった。


魔法少女に変身したユカリは硬直を掻き消し、手にした魔法の杖でレモニカを握るクオルの腕を殴りつける。レモニカが解放されると同時に、グリュエーはクオルの体を地面に押さえつけようとするが、クオルの風除けはそれを中和した。ユカリがクオルに飛び掛かり、魔導書の衣をつかもうとした瞬間、間の悪いことに眩い光が衣から放たれ、ユカリの目が眩まされる。

クオルはユカリとグリュエーの手から離れ、這う這うの体で工房馬車へと逃げ戻る。


「ああ、もう! どうしてこう私は詰めが甘いんでしょうか!」


クオルは苛立たし気に叫びながら、馬蜥蜴に牽かれて走り出した馬車に乗り込んだ。工房馬車は濡れた黒い石畳を蹴立てて走り去る。

レモニカは焚書官の姿になって、しかし体の硬直は解けず、ただ冷たい表情で馬車を見送るユカリの顔をじっと見つめていた。




コドーズはネリーグロッサの街の警吏によって捕縛されたということをレモニカたちは噂で聞いた。街と神殿を破壊した罪で裁かれることになるそうだ。


ようやく宿の一室で休める段になり、いま一番落ち込んでいたのはベルニージュだった。ずっと反省しきりで、レモニカとユカリが言葉をいくらかけても笑顔が戻らなかった。レモニカ自身は連れ去られてしまった自分こそが最も罪深いと考えていたが、ベルニージュの落ち込みっぷりのせいで自分が自分に甘い人間のように思えてしまった。


三人はそれぞれに起こったことを話し合い、今回のことを振り返った。


ベルニージュの話によると、クオルが檻へとやってきた時には魔導書の衣を持っていたはずだったのに気づけなかったらしい。隠し持っていたのだから仕方ない、レモニカもまさにクオルがコドーズ団長から魔導書の衣を買い取る時に気づけなかった、という慰めはベルニージュに届かなかった。

そして【邪視ウェディア】の元型文字を完成させたために、その光にユカリが目を眩まされ、クオルを取り逃してしまったことを特にベルニージュは悔やんでいる。運が悪かったのだから気に病むことはない、という慰めもやはり届かなかった。


一方ユカリはそれなりに気持ちを切り替えられたらしい。少なくともあの時の静かな怒りは鳴りを潜めている。


レモニカは今になって、ユカリへの親しみを表したことが照れ臭くなっていた。呪われた我が身は何も変わっていないのに、心はまるで別の人間になったようだ、とレモニカは思った。そして、そうあるべきではない、とも思った。

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

0

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚