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お年寄りが身近にいる環境。槙野の実家というのが想像できない美冬だ。
「ふーん。じゃあ、今度ご挨拶の時会えるの?」
「いや、亡くなってるから」
「そっか……。狼じゃ飼い慣らせないわ」
最後の一言は美冬としては心の中でつぶやいたつもりだったので、とても小さな声で槙野の耳には届いていなかったらしい。
「え? 何?」
「なんでも……」
「酔っ払ってんなお前。大将、お会計してタクシー呼んでくれ」
──酔ってないもん。
ただ、美冬はずっとコンペの為に仕事を頑張っていたことは間違いなくて、その後のリテイクの企画書の作成も頑張っていたことは間違いない。
慣れない仕事で多少疲労はあったかもしれないし、考えなければいけないことが山積みになっていたこともあったかもしれない。
祖父に槙野を会わせて気に入ってもらえたようでもあり、少し気が抜けたのも事実だ。
そんなことを考えながら、美冬はいつの間にかタクシーに乗せられていて、槙野にもたれて眠ってしまっていた。
けれど、うとうとした頭の中で、胸元に抱き寄せられた時の心地よさとか頼ってもいいんだという安心感とか、グリーン系の槙野のパフュームの香りがいい香りで、気分よく目を閉じたような覚えはあった。
意識を取り戻した時、美冬はブラウスとスーツのパンツのまま布団にくるまっていた。
「ん……」
身体を起こす。
──着替えなきゃ……。
暗い部屋に目が慣れて、それが見覚えのない部屋でベッドも美冬のベッドじゃなくて、インテリアも見たことはないものだった時、一瞬何が起きたのか分からなかった。
けど、部屋の設えからすると男性の部屋のようだし、酔ってしまった美冬を槙野が部屋で寝かせてくれたのだろうと思う。
ベッドルームを出ると、突き当たりの部屋から電気の光が漏れている。パタパタとキーボードを打つ音も聞こえているから、そこに槙野がいるのだろうと美冬は突き当たりの部屋のドアを開けた。
「槙野さん……」
「お、目ぇ覚めたか? 大丈夫か? 頭とか痛くないか?」
美冬がドアを開けた部屋はリビングダイニングだったようで、ダイニングの奥にはパソコンデスクやモニター、パソコンチェアが置いてあり、槙野はそこで作業していたようだった。
「はい……。ありがとう。運んでくれたのね。重くなかった?」
「いやー、腕がちぎれるかと」
「……!?」
作業していた様子の槙野は椅子ごとくるりと振り返り、にやにやしながら美冬を見ている。
その槙野のところに美冬は早足でかけよっていき、真っ赤な顔で肩をぺんっと叩く。
「ひどいよー。重いかもだけど腕がちぎれるとか。そんなに?」
だったら起こしてくれたらいいのにっ!
恥ずかし過ぎるよ!
「ははっ、うそうそ。全然軽かったよ」
そう言って笑った槙野が立ってキッチンに向かうので、美冬もその後をついて行く。
「水飲むだろう?」
「うん」
美冬は酔うと寝てしまうのだが、その後はあまりお酒が残ることはなく、起きればスッキリしているのが通常だ。
ほら、と冷蔵庫からペットボトルの水を渡されて、美冬はダイニングのカウンター越しに受け取る。ペットボトルのキャップを捻って水を飲んだ。
「今、何時だろ……」
落ち着いたら、美冬は急に時間が気になってきたのだ。
槙野は自分の腕時計を確認している。まだスーツのジャケットを脱いだだけで部屋着に着替えてもいなかった。
「1時過ぎだな。もう泊まっていくだろう?」
「え? あ……」
どちらにしても、近日中に槙野の家には来いと言われていたし、以前にも見ておいたらとは言われていたのだ。
不可抗力ではあるけれど、それが今日でいけないということはない。
「シャワー浴びてきたら? 着替えは……俺のしかなくて悪いけど準備しておく。下着も洗濯機に放り込んでおいたら全自動だから、明日までには乾くぞ。キッチンの隣のドアがバスルームだから」
友達が遊びにきた時のように、ひょいひょい言われて、本当に意識されてないと美冬は一瞬落ち込みそうになるが、それでいいのか……と思い直す。
「ありがとう」
ふ……と笑った槙野は美冬の頭を撫でる。
「美冬はいっぱい、ありがとうって言ってくれるんだな。そういうの、いいな」
ドキッとした。
すっごくドキッとした。
そんなことに気づいてくれる人だということにも驚いたし、その笑顔は普段が怖いだけに笑った時の顔が割と良くてドキドキするのだ。
(ギャップ萌えってやつかしら)
ずるいなあ……と思う。
仕事もできて人情があって、優しくてよく気がつく。
美冬はバスルームに向かった。
服を脱いで、槙野に言われた通り洗濯機の中に下着を入れてボタンを押す。
シャンプーやコンディショナーもドラッグストアのものではなくて、美冬がよく知っている海外ブランドのものがラインで置いてあった。
とても爽やかないい香りのものだ。おそらくは香水とセットで使っているのだろう。
ほんっとうにズルい。
槙野が怖いなんて、最初の印象だけだ。
そばにいればいるほど、その優しさとか頭をポンとする時の甘い顔とか飾らないところとか、どんどん魅力的なところばかりを見せられる。