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大きなニュースにはならなかったけれど、経済界の一部や、アパレル業界内では美冬と槙野の結婚は少し話題になったようだった。
* * *
「品があっていいネクタイですこと」
ミルヴェイユとの業務提携を希望しているエス・ケイ・アールの木崎は槙野を流し見てさらりとそう言った。
美冬はあの指輪を買いに行った日、三本ほどのネクタイを選んで槙野にプレゼントしてくれており、今日はそのうちの一本を締めてきていた。
「ありがとうございます。婚約者が選んだので」
「そうでしたわね、ミルヴェイユの椿さん。ニュースリリース拝見しましたわ。おめでとうございます」
木崎が目を細め、にこりと笑う。
目の奥が笑っていないのが非常に怖いところだ。
「木崎さんからお話をいただいた時、俺は彼女にアプローチ中でした。ご希望に添えなくて申し訳ないが」
正に命拾いとはこのことを言う。
さらりと槙野が言うと木崎から密やかに声が返ってくる。
「まだ、ご結婚はされていないのよね?」
──怖い! 怖すぎるんだが! まさか、まだ諦めていないなんてことは……。
「すぐしますけどね」
背中がぞくっとすると共にまだ池森に思い知らせていなかったと思い出した槙野だった。
槙野は素知らぬ顔で資料を取り出す。
「では、今回の件はビジネスマッチングとしてコンサルティングの形を取らせてもらうつもりでいますが、いいですか?」
「ええ、構いません」
「うちでも継続的にコンサルティングしつつサポートしていきます。ただ、このお話はまだミルヴェイユには伝えていません。双方の合意があってからお話を進めていくので、そこはご了承頂きたい」
「もちろんだわ」
この日はミルヴェイユと木崎社長との顔合わせを予定していた。
その前に従前から取引のある木崎との面談を先に入れたのだ。
プライベートな話があったのはこの時だけで、その後はビジネスの話に終始した。ケイエムは順調に利益を伸ばしていると聞いて安心した槙野だ。
確かに人物に問題はあるかもしれないが、ビジネスでは信頼できる人なのは間違いなかった。
そこへ打ち合わせをしていた会議室のドアがノックされる。
「副社長、ミルヴェイユ様がいらっしゃいました」
「通してくれ」
美冬は杉村と共に緊張した様子で会議室の中に入ってきた。
オーバル型のテーブルの正面に槙野、両側に木崎と美冬たちが座る。
「椿さんご紹介します、弊社の取引先でエス・ケイ・アールの木崎社長です」
* * *
美冬はとんでもなく緊張していた。会社の今後の業績を左右するような話だ。
会議室を入った奥に座っている木崎社長はいつ見ても迫力がある。
今日も一流と分かるブランド品のスーツに身を固め、ぴっちりと施した化粧が華やかな顔立ちに似合っていた。
女性らしい華やかな装いでありながら綺麗に手入れされたショートボブがいかにも仕事の出来る女性という雰囲気を底上げしている。
「改めて、木崎と申します」
木崎はにっこりと美冬に微笑みかける。
「ミルヴェイユの椿美冬です」
「椿さん、とても可愛い方ね」
「木崎社長もいつ見てもとても素敵です。シャネルのスーツ、お好きなんですね」
「ええ。いいものはいつも気持ちを上げてくれるもの。ふさわしい自分でいなければ、と背筋を伸ばしたくなるわ」
「分かります」
つい、美冬はこくこくと頷いてしまう。
「ミルヴェイユもそういうブランドですものね」
「そうでありたい、と思います」
ふっと木崎は目を細めて口を開く。
「けれど、ブランドが残っていなくては意味がないのよ」
美冬はぞくんとした。
一流と呼ばれていたはずのブランドであっても経営が立ちゆかなくなって消えてしまったものもないわけではない。
一流同士で業務提携や買収という形で生き残りをかけているところも沢山あるからだ。
残っていなくては意味がない。
それはその通りなのである。
「槙野さんからお話を聞いていらっしゃるかもしれないけれど、業務提携を検討しています。提携する以上はお互いにウィンウィンでなければ意味がないわ」
「おっしゃる通りです」
「ケイエムはとても順調です。若年層に強いけれど、キャリア層やセレブ層には弱い。若年層は購買欲がとても強いけれど、飽き性なんです。彼らに飽きられないようにするために数か月でデザインは一新しています」
数か月でデザインを一新するなど、ミルヴェイユでは考えられないことだった。
木崎が口にすることは美冬には驚きだし、とても新鮮だ。
「ミルヴェイユの顧客は三世代に渡ってお客様でいてくださっている方もいらっしゃいます。デザインはもちろんシーズンごとでは新しいものを出しますけれど、奇をてらったようなものは販売していません」
美冬もミルヴェイユについて話す。
「そう、真逆。だからこそ面白いと思いませんか?」
美冬はドキドキする。確かに面白いと思うからだ。
「ミルヴェイユは販路を求めている、ケイエムは新規のお客様を開拓したい。何か一緒にできればと思います」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
にっこりと笑う木崎に美冬は頭を下げた。