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ニュースリリースが終わったり、お互いの家への挨拶が終わったので、ついに槙野のマンションに引っ越しをしてきた美冬である。
朝から美冬の自宅の荷物を槙野のマンションに入れる作業に二人は部屋の中を行ったり来たりしていた。
「祐輔! ドレッサー、寝室に置いてもいい?」
「いいぞ。ベッドも入れ替えがあるから午後に業者が来る。好きなところに置いたらいいからな。シャンプー類はストックに入れておいていいか?」
「うん。後で確認するからいいよ。ありがとう。助かる!」
「奥さん、すいませーん!」
美冬は、ん? 奥さん? と一瞬考えてしまう。
(わ、私か! それはそうだよね)
「はーいっ!」
引越しの作業員が美冬に衣類を掲げた。
「ここのクローゼットには入りきらないと思うんで、ラックを立てますけどどこにしますか?」
「じゃあ、こっちで」
美冬はクローゼットの横の空いているスペースを指差す。
「はい。では立ててかけておきます」
引越しについては確か梱包もしてくれるフルサービスで頼んだはずなのだが、意外とやることが多くてばたばたする。
ふう、と美冬は廊下で息をつく。
すると通りかかった槙野にポンと頭を撫でられた。
「張り切り過ぎて倒れんなよ」
ラフなパーカーを着ている槙野はそれを肘までまくって先ほどから引っ越しの手伝いをしてくれている。
いつもはぴっちりとまとめている髪も今日はそのまま自然におろしていて、いつもと全然違う姿にどきんとしてしまうのだ。
まくっている袖から見える腕とか手首とか、引き締まってて逞しいのは結構きゅんとする。
「どうした?」
「手伝ってくれてありがと」
「当然だろ」
* * *
──っか、可愛いっ。
美冬は身軽さを重視してか、今日はパステルカラーのパーカーと、サブリナパンツ姿でしかも髪をポニーテールに括っている。
時折屈んだ時にさらりと髪が落ちてその華奢なうなじが見えたりするのに、いい……と槙野は釘付けになりそうなところだ。
耳とか、すっきりした首筋とかキリッと見えているのは結構きゅんとする。
夕方になって引越し業者も帰り、二人はぐったりとリビングのソファに座っていた。
「ホント、ありがとう。指示の出し方とか気の遣い方がさすがだったわ」
「いや、美冬も頑張ったな。しかし、飯もなんか作る気はしねーな。かと言って出かけるのも億劫じゃないか?」
「もう無理~」
ふにゃーと力が抜けてソファにもたれている美冬だ。
その腕の間に抱えられているのは、美冬が抱きかかえるのにちょうどぴったりの大きさのクマのぬいぐるみだ。
ふわふわとした毛並みのそれはひどく抱き心地が良さそうではある。
「可愛いクマだな」
美冬の隣に座った槙野がつん、とそのクマをつつく。
美冬は槙野の肩に頭をもたれさせた。
「子供の頃におじいちゃんがくれたの。普段はソファに置いておくだけなんだけど、時折ぎゅってしたくなるのよね。今日はなんかそんな気分」
環境が変わることへの不安のせいだろうと槙野は思うが、それを口にすることはなかった。
ただ、こんな時に美冬が自分を頼ってくれるような関係性になれたらいいのに、と強く思って肩にもたれている美冬の頭をきゅっと抱き寄せたのだ。
「デリバリーでも頼むか? 何がいい? ピザ? 鮨?」
「ピザとか最近食べてない! ピザがいい!」
散々はしゃいで二人でピザを食べ、引っ越し祝いだと槙野はストックしていた、いいワインを開けた。
疲れもある、お腹もいっぱいになりいい具合にアルコールが回っていて、お風呂から出てきたときには美冬の目は半分閉じていた。
「お先……」
「水飲んどけよ?」
「うん……」
嫌な予感はしたが、槙野が風呂から上がったときにはソファでクマを抱いた美冬は舟を漕いでなんならもう沖まで出てしまっている。
槙野はさすがにため息が出た。
「まあな、そうかなとは思ったけどな」
美冬の腕からそっとクマを外し、槙野は美冬を抱き上げた。
人肌の温もりを感じたのか、美冬がきゅうっと抱きついてくる。
こんな風に甘えられたら、契約だったなんて忘れそうになる。
契約婚なんて決めた理由はきっと、美冬は会社のためだったのだろうに。
美冬は魅力的だ。
時間がくればいずれ彼女を見出す男もできただろうし、彼女も自分から好きになれる人を選べたかもしれない。
けれど、そんなこととは関係なく、もう今や槙野は美冬が欲しい。
美冬が仕事が好きで、会社が好きなことは見ていて分かっているのだ。
会社に行った時も、槙野の企画を見て美冬は目をキラキラさせていた。
槙野が片倉に一蹴された企画さえ、夢があると嬉しそうにしてくれていた。
槙野だってあの企画を通すにはハードルが高いことなど分かっていた。
それでも私は好き! と言ってくれた美冬が愛おしい。
槙野はそっと美冬の身体をベッドに降ろし、布団をかけてやった。
甘えられたら、誤解する。
自分に対して好意があるのではないかと勘違いしてしまう。
「俺に……甘えるな、美冬」
甘えられたら、もう歯止めなんて効かない。
* * *
美冬は起きていなくては! と思ったのだ。
起きていて、ちゃんと今日は最後までするのだっ! と思っていたのだ。
けど、思ったよりも身体が疲れていたし、槙野が勧めてくれたワインが美味しすぎた。