テラーノベル
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美濃。東海道を歩く薬売り。時は間もなく日が落ちる春。
暖かくなってきたとは言え、朝夕、日陰はさすがに冷え込む。
「もし」
薬売りが声をかけたのは、若葉色の着物を着た女性。黒い髪を項でひとつに束ね、背は平均である。女性は薬売りに声をかけられて振り返った。
前髪は目にかからないくらい。よく見れば、陽の当たり具合によって紫にも見える瞳。奥二重でまつ毛が長く、歳の近い娘と比べると幼い顔付きである。肌の色に対して唇の色が少し暗く感じるのは、女性の元々の顔付きだろう。薬売りの肩に当たらないくらいの身長をしている。
「なんでしょう」
女性の声は子どものように高く、鈴を転がしたようだ。
「申し訳ありませんが、家を、一晩….貸していただけませんか」
(視点が女性に変わります)ーーーー
「家を、一晩….貸していただけませんか」
足音がしていたのは気づいていた。
でも、まさかこんな派手な男性だとは思わない。
紫色のほっかぶりに、ツンと尖った耳。黄土色に近い髪は、白粉と赤、紫の紅が入った綺麗な顔を通り越して、肩まで落ちている。水色の紐で左肩で結んで、1番長い毛先は彼の鎖骨から胸の間まである。
派手なのは顔立ちだけではない。藍色の掛衿に縹色の着物。着物は水やら花やらが刺繍されている。今様色の帯布と、深緋色の帯。臙脂色の帯紐。しかも何やら黄色で葉っぱのような刺繍。そして腰からは縹色の着物に紫やら黄色やら緑やら、蝶の羽のような色使いがされ、間から見えるスラリとした足には黒の脚絆に白い包帯。黒い足袋に黄色い鼻緒の高下駄。背中には茶色くて彼の頭から腰まである大きな箱を背負っている。
この世の人ではない、と言われても頷けるくらいの浮世離れした美青年だ。
「あぁ….構いませんよ。狭くても良ければ」
「そりゃあ…ありがたい」
美青年は私と並ぶように隣に着いた。美青年が隣にいるのは緊張してしまう。
「お嬢さんは、本日は何を?」
美青年は声まで色っぽく美しい。昼よりも夜が似合うようような、しっとりとした声である。見た目通り成人男性の低い声で、好ましい。
「私は折り紙や陶器を売りに行ったんです。今はその帰りで」
「折り紙や陶器」
「陶器はこの辺りの有品です。折り紙はただの趣味ですね」
私は着物の袖から、折り紙で作った立体の多面体を取り出した。大きさは私の手の平くらいだ。
「子どもの玩具には良いでしょう。これとはまた別に、正方形もあるのですが、それを繋げると暖簾にもなります」
「これはこれは⋯器用ですな」
「暇潰しです。ぼぅっとする時、手持ち無沙汰になるので」
美青年は私の手にある多面体をじっと見つめた。香の香りがする程近く、胸がドキリと音を立てたのを見て目ぬふりをする。
「⋯。お兄さんは.こんな田舎に何の用で」
「少し。薬を売りに」
美青年は薬売りらしかった。薬以外にも売ったら金嫁ぎになる物を貴方は待っておいででしょうに⋯と、心で思ったが口を噤んだ。
坂下に私の家が見える。私は百姓に近い町民で、周りに似たよう
な家がいくつもある。言わゆる村だ。
「⋯この辺りか」
「え?はい」
薬売りさんがつぶやいたことは全てははっきり聞きとれなかったが、私の家について話した気がして頷いた。村を見る薬売りさんの目力が少し強くなった気がする。家に帰ると、土間と間の板に座った薬売りさんが
聞いてくる。
「何か、不可思議なことはありませんか?」
「不可思議?」
貴方の存在が、とは言わなかった。少し考えて思い返せば….
「屏風山の麓に、大名屋敷があるんです」
「ほう」
「子どもの頃よく言われましたね.アヤカシが出るから近付くな、と。今
大名屋敷を見ても、異物感があります。時々前を通りますが、自らおじゃましたいとは思わない雰囲気です」
「それは、お嬢さんが生まれる前からある屋敷で?」
「えぇ。ここで生まれ育ってもう21になりますが、私が生まれるより前から。ずっと」
私は囲炉裏でお茶を沸かそうと湯と薬草を入れる。
「あぁ…でも、悪い人では無さそうです。そこの住民は。この間、私が道で倒れた時手を貸してくれたんです。我々より派手な着物だったから大名屋敷の方でしょうが、お世話になりました」
「それは….一度、お伺い。せねば」
薬売りさんが立ち上がる。
「…..そうですね。私もきちんとお礼が言いたいです」
この人と一緒にお伺いすれば、まぁ…大丈夫だろう、と、ひとりではない安心感があった。
日が落ちた田舎は暗く、足元に気をつけて歩く。砂利の音と、蛙の声が聞こえる。しばらく山へ向かって歩くと、大名屋敷が見えた。黄土色の塀に紺色の屋根塀。薬売りさんの木箱の中からか、何やらカタカタと聞こえる。それも気になるが、それよりも。橙色の漆を塗った門を軽く叩いて、
「夕飯時に失礼します。近所の者です」
すると、ひょうたんの口に息を吹きかけたような低い音がして、門が開いた。少し不安になって薬売りさんを見上げると、何もない顔で庭に入ったのであとに続いた。
屋敷は灯りが煌々としているのに、人が誰一人出てこない。というか、声すらしない。少し怖くなって振り返ると、既に門が閉まっていた。
「これは….」
薬売りさんが身を屈めて何かを拾う。慌てて私も覗き込むと、土でできた丸いものの欠片である。
「陶器が…有名でしたね?」
「あ….はい….」
恐怖から屋敷には入りたくないと思うのに、薬売りさんはすたすたと進んでしまう。ひとりにはなりたくなかったので、玄関まで慌てて追いかける。
「あ、あの….。そろそろ、」
「ゆうさん」
急に名前を呼ばれて驚いた。私、伝えたかな….。
「は、はい」
「誰に何を、伝えるつもりで来たのです?」
「….この家の人に….お礼を….」
「それは、誰ですか?」
「え、」
すると、うぉぉ、と地を這うような声がした。
「女性ですか?男性….ですか?」
「えっと….え、と….」
女性だったような気がするし、男性だったような気もする。大柄でふくよかな女性だと言われたらうなずけるし、少し小柄でふくよかな男性だと言われてもうなずける。
「派手な着物….とおっしゃっていましたが…それは、どんな?」
「虎の皮のような….」
「色は?」
「茶色…?あれ?緑…?」
「思い出せませんか….?」
薬売りさんが身を屈めて、玄関で拾ったのは、動物の毛。茶色くて短い。人ではないことは一目瞭然だ。犬猫を疑ったが、庭にも畳にも気配がない。
「こちらを」
薬売りさんが玄関の壁を指差すと、そこには多量の名前が刻まれていた。人がいたのか、と少し安心したが、そんなはずはなかった。どれもこれも苗字が違う名であり、人攫いの噂もそういえば聞いたことがあった。全員の名前は知らない。50近くはあるのだから。
再び、薬売りさんの木箱からカタカタと聞こえる。
「ゆうさん。この名前たちに見覚えは?」
「全員は知りません。でも、誘拐された子どもの名前です」
「では、この屋敷について….真と理…お聞かせ願いたく候」
薬売りさんの緊迫感に圧倒され、口答えもできず、必死に思考を回した。この屋敷について、聞いたことは…
「……昔。私が生まれる前ですが、….子が途絶えたから引っ越す引っ越さない、の話を、大名屋敷から聞いた…と、噂がたっていました。でも、大名屋敷はあるし、住民はいるから噂として消えていきました。今の今まで、思い出しませんでした。….子どもの名前を見る限り、子どもが欲しかったんでしょうか」
「貴女は21でしたね」
「え、はい」
寒気がするのを必死に抑えるために、冷静になろうと質問に答える。
「小柄で飾り気がない。そして、得意なこと以外は熱しやすく冷めやすい。….まるで子どものようだ」
カタカタカタカタカタ….と何かが動く音。うぅぉおお…となにかの唸る音。
「真。子どもがいなくなった屋敷の住民は引越しを考え、この屋敷からいなくなった。理。子どもが欲しいという思いが、この屋敷に宿る。その宿った思いはモノノ怪を呼ぶ」
薬売りさんは木箱を下ろすと、中から何やら刀を取り出した。刀のあとに続いて、札はまっすぐに宙に横並びになった。
「モノノ怪の形。すなわち」
屋敷が揺れ、立っていられないと思った私は玄関に膝を着く。地震とはまた違う、この屋敷が、唸るように揺れている。うぉぉおお…!!と響く声に、薬売りさんは冷たく、
「猿虎蛇。形・真・理の三つによって、剣を 解き放つ!」
揺れがさらに酷くなり、目の前の襖を突き破るような足音。動物ではない。動物よりも大きななにか。それはさっきまで明るかった屋敷全体に影をもたらして、
「!下がれ!」
薬売りさんは私に言ったが、この立てない状況でどう下がれと….!
すると、私の袖からころりと多面体が転がった。それは不思議にも化け物の方へ行き、そして多面体にする前の平行四辺形に別れた。それに続いて私の頭上から札が飛んでいく。札は私たちの前に整列すると、襖のようになる。そして、札の向こう側で何やら爆竹のように光っては爆ぜた。その一瞬、揺れが収まったので私は慌てて薬売りさんの後ろに下がる。
しかし爆発が止むと、札の襖はたちまち赤く染まり、なにかに弾かれた。驚いて薬売りさんを見上げると、脱力したようにその場に膝をついている。
「大丈夫ですか?!」
声をかけながら化け物を見ると、化け物と私たちの間には、黄金に光る剣を持った、褐色肌の男性が立っている。白い髪に黄色い着物。こんな人が、いる、とは….と、言葉を失っていると、気づけば屋敷の揺れは収まっていた。私の多面体が転がった先を見れば、何やら焦げたあとだけが畳に残っている。
「…..これは、これは」
「あっ、大丈夫ですか?」
「えぇ。….さて。戻りましょう」
「…..え、あ、はい…..」
わけもわからずまま屋敷を後にする。
「……」
「もうすぐ、あの大名屋敷は廃れます。子どもを攫うこともなくなるでしょう…..貴女、ご家族は?」
「いません。病死しました」
「ふむ….」
薬売りさんは、顎に指をやって考えたあと、
「では、一緒に行きましょうか。貴女の作る物には良い使い道を感じます」
「は、はぁ….」
何をどうすればいいやらさっぱりだが、人に求められるのは嬉しかった。村では変わり者とされてきた私が必要として貰えている。頷くのに、これ以上理由は要らなかった。
「分かりました」
「では。行きましょう….」
「あの….貴方を、なんとお呼びすれば?」
薬売りさんは、半歩後ろにいる私をゆっくり振り返り、
「必要であれば教えましょう….その時までは…薬売り…で、結構です….」
まずは私の家に寄って必要な物を持ってくるといいと言われた。奇妙な薬売りさんと始まる旅は、私の予期せぬ形で始まった。モノノ怪…というのはよく分からないが、やはり1番奇妙なのは貴方ではないのか…?と思いながら。
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