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「水族館楽しかったね! 昔よりもエリア増えてたし、知らない動物もいたし。タッチプールもあってびっくりしちゃった」
陽翔は向かいに座った、うきうきが冷めない百子に頷いて見せた。百子が一番楽しそうにしてたのは、スーパーの鮮魚コーナーにいる魚達がいたエリアと、ヒトデやナマコのいるタッチプールだ。そこにいるヒトデを散々ひっくり返し、ナマコを突いて遊んでいた百子を尻目に、陽翔は裏返された哀れなヒトデを元に戻してやったが、まるで固いゴムでも触っているような感触であり、骨のような固さだと思っていた陽翔は、胡乱げにヒトデを凝視していたものである。
「そうか。百子が楽しいなら良かった。ここ最近ずっと気を張ってただろ?」
百子はこの1ヶ月半を思い出し、ゆっくりと頷いた。元彼に裏切られ、家を飛び出して陽翔と同棲し、荷物を取り返し、互いの両親に挨拶に行くという怒涛の連続で、息抜きにどこかに行くことは考慮の外だったのである。
「うん……陽翔、水族館に連れてきてくれてありがとう。それと……気も遣ってくれたみたいだし」
百子は持っていたお土産の袋から、水族館のラッコのキャラクターのパッケージの包みを取り出して陽翔に向かって差し出す。
「陽翔、いつもありがとう。こういうのしか買えなかったけど……」
陽翔は目を見開いて一瞬ぼんやりとしていたが、百子に開けていいかどうかを聞いてから中身を取り出す。陽翔の手のひらサイズの布張りの箱を開けると、小さな碇のモチーフがついた、銀に輝くタイピンがその姿を現した。同時に陽翔の血潮が沸き立ち、次の瞬間彼は百子をその腕に抱きしめていた。
「……ありがとな、百子……! やべ、すっげー嬉しい……! 俺が船好きなの、覚えててくれたんだな……!」
小さな密室が揺れ、百子はぴくりと体を跳ねさせたが、揺れが収まるとおずおずと彼の背中に腕を回した。百子としてはささやかなおくりものを選んだつもりだったのだが、ここまで陽翔が喜んでくれるとは思っておらず、胸の中心に火が灯るのを感じた。その熱に浮かされるように、彼女は陽翔の唇に自身の唇を重ねた。
「……んっ!」
彼女は陽翔から離れようとしたものの、陽翔が百子の後頭部を引き寄せ、そのまま彼の舌を受け入れる。丹念に彼の舌が百子の口腔を撫で上げ、彼女は徐々に体の力を抜いていく。それを見計らった陽翔は、彼女を抱き上げ、彼女が先程まで座っていた席に座り、彼女を自分に凭れさせる。彼女と自分の心音だけが、やたらと小さな密室を支配した。
「陽翔……やめ……見られちゃ……」
「俺達が何してるかまでは見えねえよ」
下のゴンドラに人影が見受けられ、百子は急速に頭が冷えてしまう。何だか面白くない陽翔は、膝に乗せた百子の背中に人差し指を這わせながら彼女の唇を自分の唇で塞いだ。
「んんッ!」
百子はなおも抗議しようとしたが、その意志は陽翔の唇に、彼の指先に溶かされて瞬時に形を失う。しかし彼の指が首筋に、肩に、胸の下に這っていくのを見過ごす訳にはいかなかった。
「ここ、外! だめ、しないで……」
(そんな蕩けた顔して言われてもな)
陽翔はほんのりと上気し、潤んだ目をした百子を見下ろして意味深に笑ってみせる。いくら彼女が強気を見せたとて、陽翔のキスの前では風の前の塵に等しいのだ。そんな彼女も愛しいと思ってしまうほど、陽翔は情けないほどに百子に惚れている。
「別に俺はするなんて一言も言ってねえぞ? なるほどなあ……百子はしたかったのか。やらしー」
百子は二の句が継げなくなり、悔しくて陽翔の胸をどんと叩く。そんな百子に笑いかけた陽翔は、彼女の頭を撫でながら告げる。
「図星なのかよ。百子ってガチでかわいいよな。強気な所も、ちょっと揶揄っただけで赤くなるのもすげーそそる。別にいいじゃねえか。俺は百子が積極的で嬉しいけどな」
続きは家でと陽翔は彼女の耳元で囁く。
「へ、変なこと、言わないでよ……」
(陽翔はずるい。いつも余裕ぶって揶揄ってきて……それでも……それでも私はこの人が好き、なのね……)
ぴくりと体を跳ねさせた百子は、これ以上陽翔の言葉に翻弄されたくなかったので、陽翔の首の後ろに両手を回して口付けし、まっすぐに陽翔の瞳を見た。
「陽翔、あの時……私を繁華街で見つけてくれてありがとう。もし……陽翔がそこにいなかったら、私はこうして陽翔と、その……同棲したり、支え合ったり、け、結婚するとかそんな関係にならなかったと思うから……だから……陽翔には感謝してる。大好きだよ、陽翔」
唐突な百子の告白に、彼は目を見開いたまま凍結してしまった。百子はそんな彼に微笑みかけ、彼の頭を撫でてから再び彼の唇を奪う。温かく湿った感触を、彼の腕が強く百子を抱きすくめる感触を、百子はうっとりとして享受していた。
「百子……! ありがとな……! 俺も……俺も百子だけを愛してる! 大学の時からずっと……! 百子、この世の誰よりもお前が好きだ! だからずっと……俺と一緒にいてくれ! 二人で幸せになろうな!」
二人の黒玉が合い、どちらともなく深い口付けを交わし、固く手を握り合い、互いの言葉を、体温を、心音を感じながら寄り添っていた。
そして藍色と橙色が織りなすマジックアワーの空の下、日本有数の夜景がきらびやかに踊っていたが、二人はそれをすっかり見逃したのだった。