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百子は目の前の光景に、しばしその場を動けなくなった。大小様々な光の粒が、近くのものはまばゆく輝き、遠くのものはまるで恒星のようにちらちらと瞬く。ビルの頂上にある赤い航空障害灯が妖しく点滅したり、一筋の青い光がビルを縦断していたりと、夜景は変化に富んでおり、彼女はもっと近くで見ようと近づき、部屋の電気を暗くした。
「陽翔、夜景すごいよ! こんなに綺麗だったのね……!」
「一応この辺りは夜景で有名だからな。さっきは見逃したが」
「それは……陽翔があんなこと、するからじゃないの……」
百子は観覧車の中で、陽翔とずっと抱き合っていたことを思い出して頬をほんのりと赤くさせ、陽翔の方を見まいと、夜景の後ろに佇む山々のシルエットを凝視していた。
「まあまあ。今こうして見られてるからいいだろ。俺も百子と夜景見たかったし。地元に住んでたら逆に行かなくなるしな」
陽翔は百子の肩を抱き寄せ、彼女の頬に自身の頬を寄せる。百子の体温が徐々に上昇しているのを感じ取り、彼は満足そうに目を細め、彼女を後ろから抱きしめて、窓の近くにある一人掛けの椅子に座った。百子が小さく声を上げてこちらを見たので、陽翔は彼女に口付けしようと頭を傾けようとした。
「ふふっ。陽翔が何するか分かっちゃった。陽翔、こんなに素敵なホテルを予約してくれてありがとう! ……あれ? もしかして照れてる?」
しかしその前に百子が先に陽翔の唇に啄むようなキスをしたため、彼は目をぱちくりさせた後に、暗がりでも分かるほど顔を赤くさせた。二の句が継げないほど呆けている陽翔を見るのは珍しく、百子はこれ幸いと彼の額に、頬に、唇に、首筋に唇を落としたが、彼が微動だにしないことを怪訝に思って首を傾げる。
「あれ? 陽翔? なんでそんなに体を固くしてるの? 具合悪い……?」
「……いや、何でもない。単に俺が汗臭いか心配になっただけだ。今日は汗だくになったからな」
百子は陽翔の返事の妙な間が気になったが、自身も汗をかきまくったことを思い出し、そのことは追求せずに、お風呂に入ってくると言ってパタパタと浴室に向かった。
(全く……こいつは人の気も知らないで)
陽翔は彼女の背中を見送りながら、部屋の電気を再び明るくし、ポケットの中にある物を強く握りしめていた。
百子がバスローブを着て浴室から出ると、陽翔は即座に浴室へと向かい、真っ先に冷水を浴びて頭を勢い良く振る。壁に拳をぶつけ、しばしそのままの状態で静止していた彼だが、ゆっくりと百子がお湯を張ってくれた浴槽に浸かった。じんわりと体が温まり、陽翔はゆるく長く息を吐く。
(落ち着け……落ち着け、俺)
文字通り頭を冷やした陽翔だが、破れんばかりに鳴る心臓が全く落ち着いてくれないことに辟易する。湯船に浸かると多少はリラックスできるかと思ったが、却って興奮を煽ってしまう結果になった。そのため、彼はろくに湯船に浸からず、すぐに髪と体を洗い始め、今日の百子の嬉しそうな顔を思い出していた。
(水族館で百子があんなに喜ぶとは思ってなかったな。しかも不意打ちでタイピンくれるとか、あんなこと言ってくるとか……くそっ、可愛過ぎかよ!)
シャワーの音が反響する浴室で、陽翔は彼女の笑顔と、真摯な告白の言葉を思い出して、顔や耳どころか、首まで赤くなってしまい、再び彼は拳を壁に打ち付ける。単純に照れくさいというのもあるが、何だか彼女に負けた気がするのも事実なのだ。
(百子に先を越されたのは仕方ない……もう終わったことだ。だったら……俺にも考えがある)
陽翔は烏よりも少しだけ長い入浴時間を終え、素早く体を拭いたと思えば、眼鏡を掛けてバスローブを羽織る。曇りが中途半端にいなくなった鏡に、上気したと表現するには些か赤い自身の顔が写っていた。きっとそれはシャワーのお湯だけのせいではあるまい。その熱を冷まそうと、洗面所の蛇口を捻って水を何杯か飲むが、大して効果は得られなかった。
(ここで弱気になるなんてな……俺らしくも無い)
陽翔は一度両手で自らの頬をバチンと叩く。多少だが気が引き締まったように思えたので、一度自分の虚像を睨んで浴室を出た。夜景を凝視していた百子がドアの開く音に反応して、ぱたぱたと駆け寄ってきたので、両手を広げて彼女を迎えて抱き締めた。甘い花の香りが陽翔の鼻孔を擽り、下半身に急速に血が集まってしまい、陽翔は一度彼女を自身から離す。彼女の眩しいほどの笑顔がそこにあり、つられて陽翔も微笑んだ。
「陽翔、一緒に飲も! さっき買ってきたやつ!」
そう言った百子は2つのグラスと、ワインクーラーで冷やされたボトルが乗ったテーブルを指差し、彼の手を引いて向かいの椅子に座らせる。百子がボトルに手を触れるが、陽翔はやんわりと静止した。
「俺が開けるから待ってろ。この手の奴は力がいるからな」
百子は逡巡したが、彼の言葉に甘えて陽翔の向かいに大人しく座る。彼は手慣れた手つきで注ぎ口の覆いを取り、慎重にコルク栓を動かすと弾けるような音がして百子は僅かに体を跳ねさせる。そして自分と陽翔のグラスに、桃色の液体が注がれるのを、目を輝かせながら見ていた。