テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
その人は、VIPルームのコの字型の大きなソファの真ん中に、ゆったりと足を組んで座っていた。
ほとんど優雅と呼べるほど、ゆったりと。
テーブルに所狭しと並べられた料理。
フルーツ。沢山のグラス。
氷が入った銀のワインクーラー、その中に突っ込んであるシャンパン。
そのどれにも、手を付けられた様子はない。
扉を閉めると、驚くほど静かだった。
外の音が全然聞こえない。
部屋の中で、低く流れているクラシック音楽だけ耳に届く。
「そんな所に突っ立ってないで」
笑みを含んだ声で、その人が言った。
「もっと近くに、おいで」
「……は、はい……」
身体がガチガチに固くなっているのを自分でも感じながら、ギクシャクとその人に近付いていく。
他の黒服がそうしているように、その人の前の床に片膝をついて座ろうとしたら、ポンポン、と自分の隣を叩いて「こっち」と言った。
「え、あの……」
「いいから。隣」
優しいけど、有無を言わさぬ口調で言われて、仕方なく隣に腰をおろす。
「……な、何か……私にご用……、っ!」
言い終わるより先に、顎をつかまれた。
至近距離にその人の顔が近付いてきて。
自分の怯えた顔が彼のサングラスに映っている。
(……こ、こ、怖いっ……!!)
「あ、あの……!?」
「……………………。やっぱり。そうだ」
独り言のように言いながら、その人がサングラスをゆっくりと外した。
「若井。若井、だ。……若井滉斗。だよね?」
「え……」
遠い昔から知っているように、俺の名を呼ぶ。
見つめてくる眼差し、優しげなまつ毛にふち取られた色のふかい瞳から、目が離せない。
「分からない?俺が」
「……」
「俺はすぐ分かった。さっき、外で見かけた時。すぐ」
その人が眉を寄せる。
ゆらりと、切なげに視線が一瞬、揺れる。
「……分からない、の?本当に?」
催眠術師のように囁く声に、遠い遠い記憶が、波のように静かに打ち寄せてくるのを感じた。
この声。
この目。
心までじっと見透かしてくるような……
「………………も、とき………………?」
まさかと思いながら、名を呼ぶ。
もう二度と呼ぶことは無いと思ってた、その名を。
その人は一瞬、目を見開いたあと。
「……そう、だよ」
言いながら、本当に本当に、嬉しそうに笑った。
はにかむように。
照れくさそうに。
「『もとき』だよ。やっと思い出してくれたの?」
「だって……本当に?本当に元貴!?」
「だから、そうだって!」
あはは、と楽しそうに声を上げた元貴が、俺をぎゅーっとハグしてくる。
「久しぶり若井!会いたかった……!」
「お、おぅ……!」
……幼い頃。
他の子供達とはどこか、違う。
大人びた眼差しの友人がいた。
その友人とは、幼稚園で知り合った。
小学校も一緒だった。
その子は、どこに行くにも、運転手付きの大きな黒い車で送迎されていた。
絵に描いたような「おかねもち」だった。
ちびまる子ちゃんに出てくる「はなわくん」みたいだなーって、俺は呑気に思ってた。
本当は、私立の小学校に行く予定だったけど、俺と同じ学校に行きたいと言って、公立の小学校に進んだと。
後で本人から聞いた。
けれど小学3年生に上がったばかりの頃、その子は病気で入院してしまって。
しかもタイミング悪く、その頃俺は親父の仕事の都合で、急遽遠くに引っ越しをしなければならなくなった。
入院中だったその子に、ちゃんと別れの挨拶も出来ぬまま。
離ればなれになってしまった。
いつも、どこか一歩引いた場所から、物事を眺めているような子だった。
それでいて、時々ふと淋しそうな顔をしていた。
あの物静かで、聡明な眼差しが、 急に居なくなった自分のことを、探してはいないだろうかと。
気になって、引っ越してからしばらくは思い出してばかりいたけど、いつしか新しい学校で、新しい友人が出来る頃には、段々と考えることも少なくなって。
もう二度と、会えることはないだろうと。
そう思っていつしか、遠くなっていったのに……
「まさか、こんな場所で会えるなんて」
「うん……」
「……若井が居なくなってから、随分探したんだけど」
小さな声でそう呟いてから、まぁいいや、と元貴が微笑んで、
「一緒に乾杯してくれる?今日は俺の誕生日なんだ」
「もちろん……ん?俺でいいの?キャストとママが盛大にお祝いする予定だったって」
元貴のために気合いを入れて、きらきら着飾っていたキャストさんたちの姿を思い出しながらそう言うと、
「いいの。若井がいい」
言いながら、ワインクーラーからシャンパンを取り出した元貴がふたつのグラスに注いでくれる。
「え?いや、俺は仕事中だから……お茶か何かで」
「お茶?」
ぶっと元貴が吹き出して、
「すすめられたら、客のお酒に付き合うのも、黒服の仕事の一つだよ」
「あ、そうなんだ……?」
「無理して沢山飲む必要はないけど。多分若井は、ビールか、甘いカクテルくらいしか飲めないでしょ」
「……そ、そんなことないぞ」
なんでバレてるんだ……と怖くなりながら首を振る。
そう、子供の頃からこういう人だった。 大森元貴は。
俺と同い年……だから今日で21歳の筈だけど、人生何周目?っていうくらい、何もかも見透かしているような目をしていた。
「じゃ、乾杯」
「乾杯。お誕生日おめでとう」
「ありがとう!」
嬉しそうに笑った元貴がグラスの中身を飲み干すのを見て、俺も同じようにしてみる。
「あ、美味しい……」
「なら良かった。ほら」
言いながら再度元貴がグラスに注いでくれたシャンパンは、甘くて、冷たくて、飲みやすくて。
なんだ、こんなもんなんだ、ジュースみたいじゃん、ってまた一気に飲み干して。
そうしたら元貴が注いでくれるから、また飲み干して。
そうしたらまた……
「……大丈夫?あんまり飲みすぎないでね」
「おぅ、だいじょう……ぶ……」
ん?
なんか、今、視界がグラッとしたような。
……気のせい?
「ねぇ、若井……」
呼んでくる元貴の声も、どこか遠い場所から響いてくるような。
水の中で聞いているような。
こんなに一気に酔いが回っちゃうのか。
これちょっと、まずいかも……とぼんやりした頭で、思う。
「若井。どうしてこんな場所で働いてるの?」
「え……なに……?」
「らしくない気がして。学校はどうしてるの?『おおきくなったらがっこうのせんせいになりたい』って、子供の頃言ってたけど」
「……よ、よくおぼえてるな……」
そんな、幼稚園だか小学校だかで作文に書いた「しょうらいのゆめ」。
自分だって忘れかけてた。
「憶えてる。若井のことならなんでも」
「……大学、は、昼間ちゃんと……行ってる……でも……やめるかも……」
どうしよう。
ひどく、ひどく眠い。
でも気持ち悪いとかじゃなくて、日だまりでうとうとしちゃうような眠気で、段々と、意識がさらわれていくのが分かる。
「なんで?」
「……」
「……。もしかして、お金?」
「……も、ときには、かんけい、ない……」
……あ、もうだめだ。
ふわーっと、意識を手放しかけた、瞬間。
腕をつかまれて、抱き寄せられる。
背は俺のほうが少し高いはず、なのに。
元貴の方が華奢に見えるのに。
思いのほか、強い力で抱き締められて、……動けない。
体温が心地よくて、思わず目を閉じる。
元貴の黒いシャツからは、香水のにおいがした。
わかい……と名を呼びながら、元貴が俺の髪に唇を押し当てた、ような気がした。
……それが俺の、その夜の、最後の記憶、だった。
いつしか若井の寝息が聞こえてきて、もうどれくらい時間が経っただろうか。
俺の肩にもたれて、気持ち良さそうに眠っているその寝顔を見つめる。
……今でもまだ、信じられない。
ずっと探していた人が。
でももう、きっと会えないのだろうと。
どこかで諦めていた人が。
自分の腕の中で眠っているなんて。
ずっと想像してきた。
離れた場所で、俺の知らない所で、俺と同じ年齢を重ねている筈の彼の姿を。
どんな友人と、どんな風に過ごしているんだろう。
今年中学校に上がった筈だけど、どんな姿かな。
背は俺より高いのかな。
勉強は?
女の子にモテているかな。
楽しんでいるのだろうか。
俺がいなくても、彼自身の人生を。
俺はずっと、……退屈で仕方なかった。
彼が居なくなった日から。
毎日が味気無くて、つまらなくて。
まるで世界が色をなくしてしまったようで。
(……でも、やっと、取り戻せた……)
もう一度、存在を確かめるためにぎゅっ…と抱き締めてから、起こさないよう、そっとソファに寝かせる。
VIPルームに備えられた、ホールのスタッフに繋がる電話に手を伸ばす。
「……もしもし。ママを……あやかママ、呼んでくれる?……うん。……あ、それから、何か毛布みたいな掛けられるものあるかな。……うん、ありがとう、じゃあそれも……」
「倒れた?お父さんが……?」
「そうらしいの」
ソファで寝ている若井に毛布を掛けたあやかが、小さく頷く。
品のいい和服に身を包んで、長い黒髪をまとめているあやかとは、昔からの知り合い。
一年ほど前、店を出すと聞かされて、お祝いがてらこの店に顔を出してから、女性と酒を飲むためというよりは、あやかと話しに時々ここに遊びに来ている。
VIPルームに入ってきたママのあやかは、ぐーぐー寝ている若井に最初は驚いていたが、実は俺と若井が昔からの友人で、無理矢理俺が飲ませちゃったから若井を怒らないでやって、と説明して分かってもらえた。
この店で一番高いシャンパンをほぼ若井くん一人で飲んじゃったってことね、とあやかは呆れながらも笑っていた。
そのあやかに、どうして若井がこの店で働いているのか。
そもそも、この店は黒服に学生のバイトを雇うようなランクの店でもない筈だから。
そう尋ねてみたら……。
「……でも、倒れた……って、病気か何かで?」
「うーん。なんでもね、お父様小さな会社を経営していたらしいんだけど、ここ数年は業績が芳しくなくて、だいぶ無理をされてたんですって。それで体を壊したらしくて」
「……」
「でも経営が苦しいとか、そういうことは、若井くんは知らされてなかったって。だから今回のことでようやく、そういう状況だったって分かったらしいの」
「……そう……」
「借金もあるし、お父様の会社も倒産寸前だし、家もじきに手放さなきゃならないとか。それで何も知らなかった自分が歯がゆくて、自分にも何か出来ることは無いかって考えた結果、自分が見た求人広告の中で一番時給が高かったバイトに応募したって。それが」
「この店だった、ってわけ?」
「そういうこと」
白い頬に手を当てたあやかが、ため息をつく。
「私もね、面接の時にそんな話を聞かされて、なんだか気の毒になっちゃって。うちがどういう店かもよく分かってない様子だったし、夜の街で働くようなタイプの子にも見えなかったから、最初はもちろん断ろうと思ったんだけど……。若井くん、ピュアって言えば聞こえはいいんだけど、ちょっと、まぁ……、おバカ、っていうのかしら?」
「……うん。分かるよ」
面接の短い時間でそれを見抜いたあやかはさすがだ…と感心しつつ、俺は深く頷く。
「騙されやすそうっていうか、騙されたことにすら気付かなそうっていうか、そんな危うさがある気がして。だから悪い大人に騙されてもかわいそうかなって思って、試しにしばらくウチで働いて社会勉強してみたら?って言ったのよ。まぁ、それで続くかは本人次第だしね」
「……なるほど、ね……」
そんなことがあったのか……。
大学もやめるかも、と半分寝言のように呟いていた若井の言葉を思い出す。
元貴には関係ない、と続けたことも。
(……関係ない、か)
そうはさせないよ。声に出さずに呟く。
もしまた若井に会えたら、今度は一生、逃がさない。
どこにも逃がしてなんかやらない。
そう決めて生きて来たんだから。
「……履歴書、貸して」
「なに?」
「若井の。面接したなら履歴書、あるでしょ。住所とか学校とか、書いてあるよね?」
「……何を企んでるの?」
あやかが、思いっきり怪訝な顔をしている。
「大丈夫。あやかに迷惑は掛けないから」
「ほんとかなぁ……。ダメよ?こんなイイ子に関わって、悪いことしちゃ」
「人聞きが悪いな。俺はそんな悪人?」
「だってなんだか、楽しいイタズラを思いついたって顔してるんだもの」
まぁいいけど、と肩をすくめたあやかが、履歴書を取りに行くため部屋を出ていく。
静かになった部屋に、若井のすこやかな寝息が聞こえる。
「……また、ね」
頬を撫でてから、子供のようにあらわになっているおでこにそっと、口付けた。
「おやすみ……」
またすぐ、会えるから。
……今はゆっくり、休んでいて。ね。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!