テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
『もときー!だがしやさん、いこーぜ!』
……あぁ、そうだ。
あれは確か、幼稚園の年長さん(りんご組)の時のこと。
帰りの支度をしている時、元貴にそう声を掛けたっけ。
「……なんで?」
園の制服の黒いベレー帽をかぶりながら、いつも通りそっけなく、元貴が言う。
幼稚園の制服姿の元貴は可愛くて、俺は出会ったばかりの頃、女の子だと思ってたくらい。
それで最初、確か年少さん(もも組)の時、女の子と間違えて話しかけちゃって、その時、元貴にすげーキレられて。
そのせいもあって、元貴から俺への第一印象は最悪だったらしい。
でも俺は元貴と仲良くなりたかったから、たくさん話しかけたり、遊びに誘ったりしてたけど、元貴はいつも、そっけなかった。
「なんでって、あしたえんそくじゃん!おやつ買わないと、だろ?」
「そうだっけ……」
「そうだよ!あの公園のちかくにさ、だがしやさんあるじゃん。いちど家にかえってから、いっしょにあそこ、いこう!」
「きょうは、ピアノのおけいこがあるから」
「えー。じゃあそのあと」
「そのあとはバイオリンだから」
「えー……」
「……なんで、だがしやさんなの?コンビニとかじゃなくて」
「だってたくさん買えるじゃん?お母さんが、おこづかい300円までだよって言ってたし。それに……」
俺は元貴の耳元に口を寄せて、小さな声で、
「おれ、すげーこと思いついちゃったんだけど。ヤッターめん、てあるじゃん。当たりがついてるおかし」
「しらない」
「あるんだよ!それをさ、300円分買ったらさ、おれ『おかねもち』になれるんじゃね!?」
「……。え?」
「だから!ヤッターめんには100円の当たりがあるから。おれ、けいさんしたんだけど、300円でヤッターめん、20こも買えるんだよ。それぜんぶ100円の当たりがついてたとしたら、おれ、『おかねもち』になれるんじゃないか……って!」
「……」
「すげーだろ!?」
「…………………………あ、ウン。スゴイネ……。」
「しかもだぞ、このさくせんのすごいとこは、その当たったおかねでまたヤッターめんを買えば、また当たりが出て、それでヤッターめんを買ってまた当たりで……むげんにヤッターめんが買えるっていう……!」
「……ワア。ナルホド。スゴイナァ。」
「おれって、てんさいだな!やべーな!」
「ウン。ウン。ソウダネ。」
心なしか、元貴の受け答えが感情を失った機械のように棒読みだった……ような気もしたけど、とにかく俺はその時、自分が思い付いた「無限ヤッターめん大作戦」に得意になっていたのだ。
「あ、でもあれだぞ。このさくせんは、みんなにはナイショな?」
「?」
「もときはとくべつだから、おしえてやる!」
「…………『とくべつ』…………?」
「やめろって、ひろとー」
その時。
同じりんご組の男友達が、そう言いながら俺の腕を引っ張ってきた。
「もときは、『おおがねもちのおぼっちゃん』なんだから。だがしやさんなんて行かねーって。おれたちといっしょに行こうぜ」
「え。なんで『おおがねもちのおぼっちゃん』だと、だがしやさんには行かないの?」
不思議に思って訊いたら、その友達もちょっと首を傾げて、
「……それは、わかんないけど。とにかくもときは、おれたちとは、ちがうんだから」
「そうだよー」
いつの間にか元貴の周りに集まっていた女の子達も、
「もときくんは、ひろとくんとはちがうんだから」
「こうきゅうなおかしをたべてるの」
「……そうなの?」
ただお金持ちの家の子だというだけで、なんで元貴が俺達とは「違う」のか、その時の俺には、よく分からなかった。
幼稚園でも小学校でもそうだったけど、元貴は、決して嫌われていた訳ではない。
ただ、自分から積極的に友達を作ろうとするタイプでは無かったし、いつもどこか大人びた、ひんやりした雰囲気があって、周囲から距離を置かれていたのは事実だった。
元貴本人も、別にそれで構わないと。
そう、思っていた気がする。
あと、女の子からはやたら人気があって、男たちからひがまれていた、っていうのもあると思う。
「……べつに」
しばらく黙っていた元貴が、小さな声で言った。
「いっしょに行ってやっても、いいけど?……だがしやさん」
「えっ……」
ぱぁぁぁっと、俺は一気に嬉しくなって、
「ほんとか!?」
「わかいが、そこまでいうなら。しかたないから、おけいこもやすむ。べつに行きたいとかじゃなくて。しかたなく」
「やったやったー!じゃあ、あそこの公園のまえでまってるから!」
「……うん」
えー、いいなぁ、ひろとくんずるい、という女の子たちの声が聞こえたから、なら男子も女子も行きたい奴はみんなで一緒に行けばいいじゃん、と思った俺は、
「あ、じゃあさ、行きたいひとはいっしょに」
「やだ」
俺の言葉を遮るように、元貴が言った。
「わかいとふたりで、いい。……ごめんね。きょうはわかいとやくそくしたから」
女の子たちに向かって、元貴がただ優しく笑い掛ける。
それだけで、女の子たちは、もうそれ以上、何も言えない空気になった。
こうして、その日。
元貴と一緒に、近所の駄菓子屋に行ったこと。
初めて駄菓子屋に来たという元貴が、言葉にはしなかったけど、目を輝かせていて、ワクワクして楽しそうだったこと。
俺はそれが、とても嬉しかったこと。
お店にあったヤッターめんを、元貴が「全部」買い占めたこと。
あふれんばかりに買い込んだ駄菓子を、元貴のお屋敷みたいな家で一緒に食べたこと。
その時元貴が、駄菓子って結構おいしいんだな、と呟いていたこと。
大量のヤッターめんを開けて、出た当たりの金額をぜんぶ足してみても、「お金持ち」にはなれそうもなくて、「さくせんしっぱい!」とふたりで腹を抱えて笑い合ったこと。
どれも全部。
……ぜんぶ。
大事な思い出だったのに。
どうして。
どうして、忘れてしまっていたんだろう………………
「………………お。起きたか?」
目を開いたら、心配そうに覗き込んでくる、タカシさんの顔がぼんやりと見えた。
「……」
「大丈夫か?」
「……ヤッターめん……」
「ヤッターめん?」
怪訝な顔をしたタカシさんに、ハッと目が覚めて、慌てて首を振る。
「あ……すみません。なんでもないです。昔の夢を見てたみたいで」
「ふーん。気分はどうだ?ほら、水」
「大丈夫……です。ありがとうございます」
ゆっくりと起き上がる。
えーと、ここは……。
そうか。VIPルームの、ソファ。だ。
並んでいた料理や酒も下げられ、テーブルの上は綺麗に片付けられている。
誰かが掛けてくれていた毛布。
何時間くらい眠ってしまったのだろう。
元貴の姿は……、ない。
タカシさんが手渡してくれたペットボトルの水を飲みながら、今夜の出来事を思い返してみても、それこそ全部が夢だったような気がする。
あれは、本当に俺の知っている元貴、なのだろうか。
もちろん、頭では分かってる。
でも、感情が否定してる。
記憶の中の元貴は、女の子のように線が細くて、俺より背も低くて、大人しくて物静かで……
あんなふうに。
(……あんなふうに、抱き締められるなんて)
思ってもみなかった。
挨拶の「ハグ」とはどこか、違う。
もっと、熱っぽくて。
あの頃の元貴からは想像も出来ないほど、強い力。
体温と、大人びた甘い香水。
まだその香りが残っている気さえするような。
(……やっぱり、夢じゃない……)
「帰れそうか?もう、店を閉める時間だけど」
「はい。すみません、ご迷惑お掛けしちゃって」
「いや……あ、そうだ。これ預かってる」
タカシさんが、言いながら小さな封筒を差し出してきた。
「なんですか?」
受け取って、中を見た手が止まる。
「大森さんが、お前にって。ママに渡して行ったらしい」
「これ……」
封筒の中身は、……お金だった。
お年玉のように、重ねて綺麗に折り畳まれた一万円札が、10枚ほどだろうか。
「どういう……意味ですか?これは」
「あぁ、チップだろ?普通は1、2万くらいだけど……ま、あれだ。こういう時は、あんまり深く考えずに、有り難く受け取っといた方がいいぞ」
「でも、こんな大金……」
「タクシー代も込みなんじゃないか?終電ないから、もう」
「えっ!?もう、そんな時間なんですか?」
「そうだよ。だから、お前が終電逃すような時間まで起きないんじゃないかって心配して、置いていってくれたんだろ、きっと」
「……」
「……複雑、か?」
なんとも言えない表情をしている俺に気付いたタカシさんが、苦笑する。
「友達、だったらしいな。あの大森さんと。ママから聞いた」
「……ガキの頃の話です」
「まぁ、ダチから金を恵んでもらうってのが、あんまりいい気分じゃないのは、分からんでもない。でも、この店じゃ相手は超が付くVIP客で、お前は新人の黒服だ。割り切った方がいい」
「……」
くしゃ、と手の中の封筒を握り締めた。
さくせんしっぱい!と笑い合ったあの日。
ふたりで駄菓子をお腹いっぱいになるまで食べながら、ただ楽しくて、楽しくて仕方なかった、あの日が。
あの日々が。
なんて遠くなってしまったのだろう。
戻れない。
二人とも、もう、あの日のままの子供ではないのだと。
手のひらの中の「現実」が、俺にそう、教えてくれる。
翌日。
「……それは、どういうことですか」
戸惑って訊いた俺に、大学の事務室の窓口の女の人も、困ったような顔をして、
「あの……ですから、先程から何度も申し上げているように、学費のお支払いは済んでおります」
「済んでるっていうのは……」
「若井滉斗さんですよね?」
「はい」
「本日、後期分のご入金が確認出来ています」
「出来てるっていうのは……」
「……だから、」
いつも優しい事務員さんも、さすがにちょっと怒り始めてる感じだったから、俺は慌てて謝って、
「すみません!でも、その……本当に?俺の学費が今日、支払われたんですか?」
「そうです」
「……誰から?」
「誰って……」
今度は事務員さんが不思議そうに、
「名義はワカイヒロト様、つまりご本人様からのお振り込みになってますけど……?ご家族の方がお支払いになったのでは?何かトラブルでもありましたか?」
「いや……」
「でしたら、次の方がお待ちなので……」
やんわりと退室を促され、俺は何がなんだかよく分からないまま事務室を出る。
(……どういうことだ……?)
昨日。
家に帰ってから、まだ起きていた母と話した。
父の入院が長引きそうなこと。
本来は、もっと大きな病院で診てもらった方が良さそうなこと。
父とゆっくり話す時間が出来たら、会社を畳もうと決心したこと。
母はぽつぽつとそんなことを話していた。
俺の学校のことは、心配しなくていい、なんとかするからと笑っていたけど、なんとかする術が無さそうなことくらいは、俺にも分かっていた。
もう9月。そろそろ後期の支払いがある。
例えば、どこかから借りる、延ばしてもらう等の方法もあるかもしれない。
でも、返せるあてが無いものを借りても仕方ない。
治療費、会社の整理費用もこれから掛かる。
支払いを延ばしてもらって、いつか払えるようになるとも思えない。
反対されるだろうから、母には言わなかったけど。
「退学します」と大学に伝えようと、決めた。
決めて来たのだ。……なのに。
まさに今日、支払いがあった、という。
母が?と思ったけど、今日は朝から父の病院に行っている筈で、そんな時間があったとも思えないし……
キツネかタヌキにでも騙されてる気分だ。
ぼんやり廊下を歩いていたら、急に自分のスマホが鳴り出して、慌てて電話に出る。
「はい、はい!あ、母さん?…………えっ?なに?落ち着いて、ゆっくり話して!……親父が?……転院……?」
『今朝、病院に行ったらね、先生がね、大きな病院に移れることになったって!すごく良い先生に診てもらえるから、お父さん、もう安心だって。午前中にいくつか検査して、安定してるからって早速転院になったの。それがすごいの、ホテルみたいな個室の部屋でね、しかも入院費も治療費も今後は払わなくていいって……なんか、症例の参考にする?とかで……だから支払いは要らないって……良かったね滉斗……今から病院来られる?……中央区の……』
電話口の母の弾んだ声。
あんなに嬉しそうな母の声を聞いたのは久しぶりだ……と思い返しながら、転院したという病院に大急ぎで向かう。
喜ぶべきこと。
の、筈だ。
なのに。
胸騒ぎがする。
(……こんな)
こんなことが、本当に起こり得るのだろうか?
症例の参考にする?
だから入院費は要らない?
父の病状は、そんなに特殊だったのか。
怖い。
シンプルに、怖い、と思った。
さっきの学費といい、何が起きてる?
現実感が無い。
何か目に見えない、大きな手に。
追いかけられているような。
運命を操られているような。
辿り着いた病院は、確かに大きく、綺麗で、政治家や有名人がよく入院している有名な、施設だった。
病室に入る。
清潔な個室。
窓からは景色が良く見えて、父の顔色も良くて。
ベッドの横に座る母もにこにこしていて。
俺はやっぱりなんだかこれが、現実じゃないように思えて仕方なくて。
でも今は、嬉しそうに話している二人の邪魔をしないよう、そっと病室を出る。
広々とした、景色の良い病院の中庭。
置かれているベンチの一つにドサッと座ったら、一気に疲れが押し寄せてきた。
色んなことが起こり過ぎてて、めまいがする。
大体、昨日だって。
元貴に再会したのだって、俺にとっては凄い出来事で。
人生初のシャンパンを飲んで。
酔い潰れて。お客様の前でグーグー寝るという失態をおかしたりして。
帰ってから父親の状況を母から聞かされて。
自分なりに色々、一晩中考えて、それなりに楽しかった大学をやめる決意までして。
なのにそれから、また、色々あって……
「……何がどうなってんだよ……」
深いため息をひとつ吐き出して。
ベンチの背もたれにぐったり背中を預けて見上げれば、よく晴れた9月の、青い空。
眩しくて思わず目を閉じた、瞬間。
ふっと、おぼえのある香水のにおいが鼻をかすめた。
「……ここにいたんだ」
微かに笑っている声が、上から降ってくる。
……そんな予感は、していた。
どこかで。
そんな気がしてた。
俺を追いかけてくる、
いたずらに運命を操る、
大きな手。
それは「彼」なのではないかと。
でも、まさか。
昨日再会したばかりなのに。
そう思って、必死に打ち消していた名前。
「お父さんの病室の方かと思って。……探したよ」
何もかも知っているような声。
全てを見透かしているような人。
そう……っと目を開けたら。
両手をポケットに突っ込んで、ベンチに座る俺の前に立っている元貴が。
楽しげに笑みを浮かべながら、俺を覗き込んでいた。