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江戸の空が、見たこともない色に染まっていた。
燃えるような黄金の雲が渦を巻き、天界の軍勢が放つ神威が、大気をぴりぴりと震わせている。
「罪深き瑞樹よ。そして神を惑わす人の娘よ。その因果ごと、この町を押し流してくれよう!」
天からの宣告と共に、轟音が響き渡った。
雨ではない。
それは、天の川の堤を切り落としたかのような
凄まじい「濁流」だった。
神田川が逆流し、堤防を軽々と越えて江戸の町へと流れ込んでくる。
「瑞樹さん!町が、みんなが飲み込まれちゃう!」
「さよ…!……くっ、この神気、今の俺だけでは……!」
瑞樹さんが神宝の力を全開にして水の壁を作るが
上流から押し寄せる天界の奔流は、彼の制御を越えようとしていた。
瑞樹さんの肩が、激しい消耗で小刻みに震えている。
その時───
私の耳に、パチパチ、カタカタ、ギギィ……と、無数の小さな「声」が届いた。
「お小夜ちゃん、何を突っ立ってるんだい!」
「あっしたちも、黙って流されるほどヤワじゃねえよ!」
店先にあった煤けた火鉢、古い提灯、主を待つ柘植の櫛。
そして、路地裏に潜んでいた小さな八百万の神々たちが、一斉に姿を現したのだ。
「みんな……!」
「お小夜。お前の力は、ただ『聞く』だけじゃない。想いを『繋ぐ』力だ」
瑞樹さんが、苦しげな呼吸の中で私を振り返った。
「江戸のすべての八百万に、呼びかけるんだ。俺たちの居場所を、守るために!」
私は大きく息を吸い込み、心の底から叫んだ。
瞳を閉じれば、江戸中の古道具や
小さな祠に宿る神々の意識が、網の目のように広がっているのが見えた。
『みんな、お願い!瑞樹さんに力を貸して!この町を、私たちの毎日を、一緒に守って!』
────瞬間
江戸中の家々から、まばゆい光の粒が立ち昇った。
長年愛されてきた茶碗、大切に使い込まれた大工道具、道端の地蔵。
何百年と積み重なった「人の愛」を宿した八百万の想いが
一本の太い光の帯となって瑞樹さんへと流れ込んでいく。
「…これが、八百万の祈りか。なんと温かく、力強い……!」
瑞樹さんの碧色の瞳が、爆発的な輝きを放った。
彼は天に向かって神剣を突き立てる。
「我が名は瑞樹!江戸を愛し、人に寄り添う水神なり!荒ぶる流れよ、我が命に従い、静まれッ!」
瑞樹さんの咆哮と共に、押し寄せていた濁流が、まるで巨大な龍が身を翻すように動きを止めた。
光を纏った水流が、逆に天界の軍勢へと牙を剥き、黄金の雲を次々と打ち砕いていく。
「な、なんだと!?人界のガラクタ共の力が、天の軍を退けるというのか!」
驚愕する天の声を置き去りに、瑞樹さんは私を片腕で抱き寄せ
もう一方の手で巨大な「水の盾」を作り上げた。
光と水が激突し、江戸の夜空に虹色の火花が散る。
「さよ、、聞こえるか?みんなの、江戸の息吹が」
瑞樹さんの胸の鼓動が、私の背中に力強く響く。
(……さよ、お前が俺を呼び戻してくれた。この町を、お前を、絶対に失わせはしない……)
心の声が、かつてないほど鮮明に私を包み込む。
決戦の火蓋は切られた。
これは、神様ひとりの戦いじゃない。
江戸に生きるすべてと、そして私と瑞樹さんの
明日を取り戻すための戦いだった。