本気で怒っているサイラスを見るのは、どれくらい振りだろう、とジェシーはその後ろを歩きながら思った。
五年前に回帰していることもあって、もはや思い出せるレベルではなかった。けれど、普段怒る姿を見慣れているにも関わらず、こんなにも怖く感じるのは、サイラスが相当頭に来ている証だった。
ヘザーが私の代わりに、あの令嬢のようになっていた可能性があったから。
それでもジェシーを非難しなかったのは、サイラスもまた命を狙われることが多いからだろう。誰かが自分の代わりに被害に遭うことにも、慣れているのかもしれなかった。
そんなサイラスに連れられて、ジェシーたち一行が向かっているのは、王城内にある宰相の執務室だった。
お茶会の事件の後処理は衛兵たちに任せ、参加していた者たちへの説明と退避は給仕たちと、集まっていた侍従と侍女たちが手伝ってくれたため、無事終えることができた。
宰相の執務室に辿り着くと、扉の前に衛兵が二人立っていた。サイラスの姿を見た途端、確認も取らないまま扉を叩いて、中にいる人物にお伺いを立てる。
「サイラス様方がお見えになられました」
「通せ」
この部屋でそう言える人物は一人しかいない。
扉が開かれ、ジェシーたちが中に入った先で見たものは、なかなかシュールな光景だった。
部屋の隅で正座している青年がいながら、机で淡々と仕事をしている中年男性。それも青年の方は、口を布で塞がれ、縄に縛られている状態である。
これで、中年男性が青年の前で椅子に座っていたら、後退りして、部屋からそっと出ていったかもしれない。
「父上、お手数お掛けします」
サイラスは慣れているのか、怒りで気にならないのか、部屋の隅を一瞥だけして、中年男性、メザーロック公爵に詫びの礼を言った。
「構わんよ。エストア侯爵の倅が何を仕出かしたのか分からんが、煩いくてな。気絶させるわけにもいかんから、塞いでいるだけだ」
一応、自分の趣味ではないことを、入室したジェシーたち令嬢に言い訳しているように聞こえた。
「さらに迷惑を承知で、ここを使わせてもらっても構いませんか?」
「ふむ。条件が二つ。一つは、令嬢方を同席させないこと。二つ目は、私の仕事の邪魔をしないことだ」
「一つ目は分かりますが、二つ目は……」
執務室を使うな、という要求にも聞こえ、サイラスは言葉を詰まらせる。しかし、これは逆に捉えることも可能だと、ジェシーは思った。
「つまり閣下も、お知りになりたい、ということですか?」
「当然ではないか。何やらコソコソやっている、とソマイア公爵から聞いているぞ、ジェシー嬢」
あら、と口元に手を当てながら、ジェシーは内心舌打ちをした。
やっぱりバレていたか。
「加えて、セレナ嬢が未だ行方不明のままでは、ゾド公爵が王妃に何を要求するか分かったものではないからな」
「心中お察し致します」
「先の件で、ソマイア公爵が胃を痛めておったぞ」
まるでその言葉は、そなたの父親に言ってやれ、とでも言われたような気がし、心に刺さった。思わず目を逸らし、胸ではなく脇腹に手を当てた。
「では、遠慮なく使わせてもらいます」
サイラスは一連のやり取りのことなどなかったかのように、ロニ以下シモンたちに目配せした。
そして、ミゼルとヘザー、コリンヌを部屋の外へ出す。さらにレイニスも、外で控えている衛兵と共に護衛として付き添わせた。
四人が出て行くのをロニたちと共に見ていると、後ろから視線を感じた。相手が誰だかは分かっていたため、助け舟を出してほしいとばかりに、その人物を呼んだ。
「閣下」
ジェシーは条件を出したメザーロック公爵に判断を仰いだ。
「……ジェシー嬢。ここは聞き入れてくれ。私もエストア侯爵の倅に聞きたいことがあるんでね」
暗に邪魔だと言われてしまっては、聞き入れるしかない。渋々ジェシーは、扉を潜った。
***
三十分ほど経った後、執務室の扉が開かれた。窓の外を見ながら、立ち話をしていたジェシーたちは、その音を聞くとすぐに視線を向けた。
出てきたのは、メザーロック公爵とシモンの二人だけだった。こちらにやってくるシモンに構うことなく、ジェシーはメザーロック公爵に近づいた。
それはシモンも承知だったようで、すれ違いざまに会釈された。
「閣下。もうよろしいんですか」
「あぁ。聞きたいことは聞けたのでね。ジェシー嬢も、中で二人から聞くといい」
「二人? フロディーからではないのですか?」
「ん? そんな者、いたかな?」
メザーロック公爵の言葉に、ジェシーは急いで中に入ろうとした。フロディーがいない、とはどういうことだろうか。
「それよりもジェシー嬢」
けれど、メザーロック公爵に声を掛けられ、足を止めるしかなかった。
「サイラスから便利な通信魔導具があると聞いたのだが、今度詳しく見せて貰ってもいいかな」
「……まだ試作段階ですので、お渡しできませんよ」
「なかなか、便利だと聞いたんだが。ソマイア公爵に頼んでおくよ」
すでにメザーロック公爵の頭の中では、貰う気満々のようだった。
あぁ、サイラスの時は上手く逸らしたのに! この三十分で何を喋ったのよ!
ソマイア公爵家にとって、メザーロック公爵家はお得意様なので、ジェシーはそれ以上何も言えなかった。できたのはただ、上機嫌なメザーロック公爵の後ろ姿を、見送ることだけだった。
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