テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
リーアンとアンアンの回想シーン(1年前の2015年
リーアン(当時8歳。176cm)とアンアン(当時7歳。159cm)は故郷の台南市(台湾語:タイラムチー)近くの屏東県(台湾語:ピントン・コアイ)にある
『牡丹社事件故事館』を訪れていた。両親2人と一緒だった。
母親の淑蘭(シューラン) 『アタシらがなぜこの場所を初めて訪れたか教えるよ。』
父親の文雄(ウェンシォン)『僕たちのご先祖様の故郷がここ、屏東県だからだよ。屏東県は我々パイワン族が多く住んでいた。その中で僕たちは頭目家系の末裔なんだよ。台南市に引っ越した理由は都会生活に憧れていたからね』
シューラン『アタシらのひいひいおじいちゃんが山の中で旧日本軍をゲリラ戦で迎え撃った。それを讃えるためにここへ来た。その時代は
清王朝時代の台湾だったよ』
ウェンシォン『結果としては明治政府の日本の台湾併合政策につながってしまったんだよ。日本側の視点だと宮古島島民遭難事件、琉球漁民殺害事件が起きたことで、日本からも黙って見過ごせないと思い、台湾へ出兵した。正義とは難しいけど…
当時の日本の民間人が台風で遭難して、牡丹郷にいたパイワン族の集落に歓迎されたけど、当時は民間人が客人としてもてなされて食べ物などを差し出された言われているよ。でも食べ物が少なくて武器(タキットという佩刀等)を持って狩猟目的でパイワン族が山へ行こうとするのをみて怖い部族だと思って山へ逃げたと思っている。
パイワン族視点だと彼らを最初は客人としてもてなして、食べ物が少なくて山へ出かけたけど、逃げてしまった民間人を見て自分たちの慣習、文化に従わなかったことで結果殺害してしまった。こう言った誤解による衝突のせいで牡丹社事件へ繋がったよ。ただその殺害事件当時はひいひいおじいちゃんは当時の台南市の別の集落にいたから関わってはいなかった。
非常に複雑だけど重く受け止めるしかない…』
リーアン『今の台湾が親日家になったのはこの事件のさらに後の日本の統治政策ってこと?
中日甲午戦争(日清戦争の台湾での呼び名)の後の下関条約を経て、台湾を併合し、インフラ整備や教育整備の影響で日本風の建物があちこちにあるし…私たちが使う『欧吉桑(オージサン)と欧巴桑(オーバサン)』も日本語の『おじさんとおばさん』から来ている…』
アンアン『普段喋ってる言葉の中にも確かに日本語由来の言葉もあるなんて….確かに僕たちは日本が大好き…けどこのパイワン族の事件は複雑だし、正義について考えさせられるよね….』
そう言って荘一家の家族4人で牡丹社事件故事館の中に向かった。
中に入っていくと最初に二体の赤色の伝統衣装を着たパイワン族の男女の人形が置いてあった。
シューラン『この赤色の衣装は牡丹と石門地域のパイワン族の風習を表しているんだ。』
ウェンシォン『私たちのひいひいおじいちゃんは石門地域のパイワン族頭目の1人だった。牡丹社事件に関わらなかった理由の一つだから。』
リーアン『この黒くて黄色い丸いのは何?たくさんあるんだけど。実家の衣装によく似てるわね。』
ウェンシォン『鋭いね。これは太陽を表しているんだよ。私たちパイワン族は太陽の神様だということを表しているからね』
アンアン『じゃあヒャッポダ様とも関係あるの?僕たちの家にもあるんだけど』
シューラン『実はパイワン族の神話とも関係してるからね。聖なるダーウシャン(大武山)に太陽が降ってきて二つの卵を産み落としたのが始まりとされているから。』
ウェンシォン『それでヒャッポダ様が生まれ、我々パイワン族の兄弟(守護神)とされているんだ。まあ我々は頭目の末裔だが、頭目と貴族階級は太陽の末裔ともされているから衣装に太陽の絵が描かれているから』
アンアン『じゃあ絵しかないってことはパイワン族は文字を持たなかったってこと?よくパイワン語を表記するんだったらローマ字を使用してるから』
シューラン『そうだね。我々のご先祖様たちはパイワン語と伝統文化を口伝えでコミュニケーションを取っていたからね。』
ウェンシォン『ここで話を戻そう。私たちのパイワン族が着てる服装は赤色だと言ったよね。実はパイワン族の村は6つあると言われていて赤がベースなのがさっき話した牡丹と石門地域。後の5つは『東源、旭海、高士、四林』。まあどちらも石門と牡丹と同じように台湾南部に暮らしているパイワン族の集落があると言われている場所だよ。場所によって風習が異なるのはこのため。部族が集まった時に服装を見ればどこの出身だかがわかる。』
シューラン『東源と旭海台湾の恒春半島の東側に位置する集落でアミ族(阿美族。別名パンツァハ族)やプユマ族(卑南族)、さらにはクバラン族(噶瑪蘭族)などの系統で長年融合してきたパイワン族が暮らしてると言われているが、ベースは黒や紺、青で装飾には赤、黄色、緑、白。』
ウェンシォン『続いては高士についてだね。
近隣の客家(ハッカ)文化と深く交流してて、伝統的なパイワン族特有の刺繍やビーズの飾り物とは違って客家の伝統衣装(藍衫)に用いられる「客家花布(カラフルな花柄の布)」を取り入れて生活していた集落でもある。しかも南パイワンの紅宝石(ルビー)とも呼ばれているんだよね。
そうだ。また今度、高士神社に行ってみない?今年(2015年)に建てられたからさ。戦後取り壊されてしまったし、僕たちは戦後生まれだから行ったことがないんだよ。僕たちパイワン族と日本との深い絆を強く願って建てられた神社だからね。しかも手すりと石段にはパイワン族の伝統的な文様が彫刻されているから融合されてると思うよ。』
シューラン『最後に四林だね。特徴的な色は赤、黒、白だと言われていて、独自のお祭り(マラルン)を色濃く残してる。しかも比較的に南パイワンの文化のスタイルを保持している地域。例えるならオーソドックスな地域と言えばわかるかもしれないし、高士集落の寛容的文化とは対照的だと思えばいいから。』
アンアン『四林?なんで四つの林と書くの?』
シューラン『それは当時の四林はパイワン語で「シネカ」と呼ばれてて、日治時代(日本統治時代の台湾での呼び名)に台湾総統府がこの発音に漢字を当てはめて「四林格」、「四林」と表記されるようになったから。勘違いしがちなのは四林は四つの林が由来ではないってこと。』
ウェンシォン『色については赤を強調してて意味は情熱的。僕たちのひいひいおじいちゃんが住む石門の隣の牡丹と同じようなアイデンティティを持っている集落でもある。それから黒の布地に赤を映えさせ、ビーズや細かなステッチで装飾されていたからね。』
リーアン『私たちは今台南市の東区(荘一家4人は比較的都会寄りのマンションに住んでいるため)から旅行でここにきたけど….家にはひいひいおじいちゃんが持ってたクマタカの羽とひいおばあちゃんが持ってた白い百合の花があるけどなんで?ずっと気になってたから』
シューラン『それはパイワン族は他の原住民族と比べて厳格な階級制度を持っていたことが影響しているのよ。クマタカの羽がつけられるのは頭目で羽の枚数が多く、模様が施されていれば、権威が高まるとお父さんから教わったの。』
ウェンシォン『僕のおばあちゃん、君たちのひいおばあちゃんが百合の花を持ってるのは頭目の娘の頭飾りに使用が許されていた気高さの象徴でもある神聖な品物なんだよ。それでは先に進もう。』
その先には広々と旧日本軍とパイワン族の歴史の資料などを通して学んでいく一家だった。
それから1時間が過ぎた。
資料館を出た後、そして5分ほどで牡丹社事件故事館から石門古戦場に一家は車で移動するのだった。
そしてマレヴァメヴ・アス・イヴァライン(パイワン語でようこそ)とローマ字で書いてある入り口とその隣には石門古戦場と書かれている巨大な壺の上に弓矢を構えている勇敢な戦士の像が置いてあった。
そして4人は記念碑を見るために歩きながら階段になっている山を登っていくのだった。
ウェンシォン『今からこの場所について説明するね。この場所こそ牡丹社事件の激戦地でもあったところだよ。旧日本軍と説明していたが正式に言うと西郷従道率いる日本軍とパイワン族が激突した。天然の要塞のような地形でゲリラ戦を繰り広げていたが、日本軍の近代兵器の銃器や火炎放射器に遭い、全滅してしまった。』
シューラン『ひいひいおじいちゃんについてだが、実はひいひいおじいちゃんの従兄弟がこの戦場に赴いて、戦死した。従兄弟は元から牡丹地域の集落にいたからね。』
アンアン『じゃあリーアンに託したあの2本あるタキットは一体….』
ウェンシォン『ひいひいおじいちゃんが亡くなった従兄弟の遺品のタキットを背負って泣いて、彼の分まで生きると誓った証でもある。もう一つはひいひいおじいちゃん専用のタキット。
この石門での戦いは神様であるヒャッポダ様の「噛まれたら百歩も歩かないうちに命を落とせる」かのような意思を持った勢いでゲリラ戦を繰り広げたのではないかと考えている。僕たちは亡くなったひいひいおじいちゃんと戦死したその従兄弟の想いを背負って生きていこう』
アンアンとリーアンは複雑な想いを抱き、。ハンカチで涙を拭きながらもこの想いを背負う覚悟でいるのだった。
そう言って疲れはてながらも澄清海宇還我(意味は海や世界を清め平らかにし、奪われた我らが国土を取り戻す)が書かれている石碑に辿り着いたのだった。
※2020年11月からは歴史の真実をありのままに残す目的で文化遺産保護観点から修復工事が行われ、建立当初の「西郷都督遺蹟紀念碑」の文字が復元されたと言われています。
シューラン『次は大日本琉球藩民五十四名墓に行こう。車で10分ほどだからね。』
リーアン『琉球藩民?琉球って沖縄のこと?』
ウェンシォン『そうだよ。沖縄県になる前は琉球藩と呼ばれていて、尚氏が納めていたけど廃藩置県によって沖縄県と呼ばれるようになった。
そのお墓は沖縄県の宮古島の島民たちが台風で台湾へ流れてしまい、殺されてしまったそのお墓を訪れるよ。誤解によって僕たちパイワン族と日本が戦争を起こしてしまったからね。どうしても彼らを弔いたいんだ。ちょうど10年前の2005年に宮古島島民の遺族とパイワン族の遺族たちが和解した..それでも気持ちは複雑…日本は大好き。だけど戦争、事件については難しいよ。だからこそそのお墓へ行こう』
そして10分で大日本琉球藩民五十四名墓に向かって車へ移動するのだった。
4人がそのお墓にたどり着く時、アンアンはあることに気づいた。
アンアン『このお墓なんだか膨らんでるのがあるけど一体何なの?』
ウェンシォン『沖縄伝統の亀甲墓といって17世紀の琉球王国時代、当時の明王朝との交易や交流が盛んで伝わったと言われているみたいでね、この形の意味は沖縄信仰によると「母親の子宮」を暗喩してて人は生まれてから一生を終え、再び母胎(子宮)に還って安らかに眠る」という生死観や、「子孫繁栄」の願いが込められているからね』
シューラン『亡くなった宮古島島民の分も含めて生きるのよ。一緒に弔いましょう、私たち4人で』
4人は手を合わせて静かに目を閉じた。
そしてウェンシォンがアンアンにある素朴な一本の鞘付きのナイフを渡した。革の鞘に美しいカービング(彫刻)が施され、太陽や海という自然を思わせる模様だった。柄頭にはシーサー(獅子)の顔の彫刻が彫られていた。魔除けを感じる雰囲気の不思議な感覚だった。
アンアン『お父さんこれは何?』
ウェンシォン『宮古島原産のシーグだよ。君は家族の中だと日本の何もかも全部大好きでしょ?』
アンアン『そうだけど、何に使うの?』
ウェンシォン『万能武器として使ってみるといい。それから魔除け効果もあるし、この亡くなった島民の魂まで宿っているから大切に扱いなさい。僕の宮古島出身の友人からくれたものだからね。日本と台湾の和解の象徴と言う意味合いも込められてる。』
アンアンはそれを聞いてリュックサックにしまうのだった。
アンアンの心の声『リーアンには2本のタキットで、僕はシーグ。まだ使いたくないけど大切にとっておきたい』
アンアン『お父さん、ありがとう…カマ、マサル(パイワン語)』
そう言って実家の台南市東区に帰る時
車内にて 父親のウェンシォンは右の補助席で、母親のシューランは左の運転席で運転をしていた。台湾の道路では日本の道路と違って
左ハンドル右側通行のためである。
ウェンシォン『ここで首狩りがなぜ禁止されたのか話そう。首狩りはかつての言葉で出草(しゅっそう)とも呼ばれ、アミ族の一部とタオ族以外の原住民族全員がその文化を持っていたよ。もちろん我々のパイワン族のご先祖様もその文化を持っていた。成人としての証、部族の防衛など宗教的、社会的な意味合いを持っていて首には霊力が宿る強大なパワーの源だと信じられ、敵だけでなく異民族の首も対象だった。』
シューラン『けど日治時代(日本統治時代の台湾での呼び名)に台湾総統府によって『野蛮な風習』とみなされ、激しくその習慣を滅ぼそうと必死で我々パイワン族も含む多くの原住民族が激しい抵抗をしたと言われているよ』
ウェンシォン『ここで最大の事件が起きて首狩りの風習が途絶えてしまった原因だとも言われているのが「霧社事件」。いつかその現場に行って弔いたいが、日本の過酷な労働や生活圏の圧力に耐えかねたセデック族のモーナ・ルダオが武装蜂起したことで100人以上の日本人たちが殺害された事件だ。日本側は黙って見過ごせず、大規模な軍隊を派遣してこのセデック族の反乱を鎮圧した。この事件も、我々パイワン族とは関係ないと決して思ってほしくはない。
対岸の火事と捉えず自分たちも目を背けず、お互いの正義、真実を知って自分の内面と向き合ってほしい。』
リーアン『わかったわ。首狩りをしていたなんて知らなかった。そんな深い意味が込められていたなんて』
アンアン『その…さっき話した客家って何なの?』
シューラン『戦乱を避けて中国にある黄河地域に住んでいた漢民族の人々が、華南、台湾や東南アジアを含む世界規模へと南下、移住してきたと言われていて独自の勤勉な文化、余所者と扱われて苦難としての歴史を歩んでいたから「東洋のユダヤ人」とも呼ばれるようになった。台湾の人口の2割に客家人という漢民族の一支族だと言われているよ。歴史的には明王朝と清王朝時代に台湾へ移住した背景が大きいからね』
ウェンシォン『次は閩南人だね。台湾語のベースともなってる人たちでもある。中国の福建省南部にある閩南地方にルーツを持って17世紀の明王朝時代に台湾に移住した漢民族の一派ね。しかも人口の約7割が閩南人だからね』
アンアン『閩南人の方は客家人より先に台湾に来たってことなんだね。歴史的にも閩南人と客家人は清の時代には土地と水を巡って一時期争っていたことがあったけど今は共存しあってるって事なんだね』
シューラン『次は外省人について。第二次世界大戦の後、当時の政権トップだった
チャン・チョンヂァンとその関係者、及び1945年以降に台湾へ移住。その子孫も外省人という扱いなの。第二次世界大戦以前からは台湾人や客家人は本省人とも呼ばれていた。ただ対立を経て、1990年代以降は民主化と台湾本土化を経て、外省人と本省人の対立は過去のものとなっているの。現在の台湾では世代交代が進んで結婚による混血も一般化しているから区別することが少なくなってきてるから』
リーアン『そうだったなんて…あと私たちの名前は何で台湾語風なの?』
ウェンシォン『僕たちのひいおばあちゃんの中華民国台湾時代、「台湾省人民回復原有姓名弁法」という法律が施行され、当時の日本名と部族名を強制的に捨てさせられて、台湾風の名前を名乗らされた。その名残もあって今でもチャン(荘)という苗字を名乗ってるからね。
私たちはルーツであるパイワン族でありながらも、漢性も持ってる非常の複雑な歴史的背景でできてるってことなのを忘れないでほしい』
こうして一家4人は牡丹社事件故事館、石門古戦場、大日本琉球藩民五十四名墓を経て歴史の重みを背負う覚悟を持って旅を終えるのだった。
ここで回想シーンを終わります。
記者たち「ぐっ….とても凄惨で複雑な….言葉にできないです…決して忘れないように胸にしまっておきます….」と身体が震え、涙を流しながら語っていた
記者たち「では次のコーナーはルシアさんとハインさんによる音楽パフォーマンスを披露していただきます。」と進行を進めていた。
#近未来
鳳蓮荘
366
スユキ
316
#儚い
nanaha.
205
コメント
2件

大変文章制作に時間がかかってしまい申し訳ございませんでした。 次はもう少しスピードを上げられるように書いてみたいと思っています。 現地の場所を徹底的に下調べして、文章化するのにどうしても葛藤がありました。難しかったと受け止めていますが、今でもそう思っています。 私作者でさえもこの歴史的重みを受け止め、泣かずにはいられずに執筆させていただきました
おお、第56話のリーアンとアンアンの回想シーン、めっちゃ重厚だったわ…。パイワン族の歴史や牡丹社事件、日本との複雑な関係が家族のルーツとしてしっかり描かれてて、ただの説明じゃなくて「自分たちの物語」として胸に迫ってきた。特にアンアンがシーグを受け取るシーン、静かだけどすごく大切な継承の瞬間だと思った。リーアンの2本のタキットと並んで、家族の覚悟と和解の象徴がちゃんとバトンタッチされてる感じが熱いよ。