雨が、降っていた。
細く、静かで、やけに冷たい雨だった。
森の木々は黒く濡れ、地面には無数の水たまりができている。
ノアは、その真ん中に立ち尽くしていた。
――さっきの戦闘の跡。
倒れた男の身体は、すでに消えかけている。
黒い霧の魔法を使っていた、“あの幹部”。
でも。
「……違う」
ノアの喉から、かすれた声が漏れた。
「……違う……違う違う違う……」
拳が、震えている。
心臓の奥が、焼けるみたいに痛い。
あの魔法は、確かに似ていた。
カイを殺した“黒い何か”と。
でも――
決定的に、違った。
レイヴンは、少し離れた場所でそれを見ていた。
ノアが、剣を落とす。
そのまま、膝から崩れた。
「……また……違った……」
声が、ほとんど音になっていない。
「……私……何人……殺せばいいの……」
その瞬間だった。
森の奥から、別の気配。
ぞわ、と空気が歪む。
「……ノア、下がれ」
レイヴンが、剣を構える。
だが、ノアは動かなかった。
いや――
動けなかった。
現れたのは、フードを深くかぶった女。
顔は半分、仮面で隠れている。
「……あら。
もう一人、いたのね」
その声を聞いた瞬間、
ノアの中で、何かが“弾けた”。
「……その声……」
女の指先に、黒い魔力が集まる。
それは――
完全に同じだった。
カイが死んだ夜に見た、あの魔法。
「……お前……」
ノアの目が、血走る。
「……お前が……殺したんだろ……」
女は、楽しそうに笑った。
「へえ。
あんた、まだ生きてたんだ」
その瞬間。
――世界が、歪んだ。
ノアの異能力が、暴走する。
地面が砕け、木々が宙に浮く。
雨粒すら、止まる。
「……殺す……」
ノアは、一歩踏み出した。
「今度こそ……殺す……!」
「ノア!!」
レイヴンが、全力で駆け出す。
女は、舌打ちした。
「……ちっ、厄介なのが残ってたか」
ノアが、女の喉元に手を伸ばす。
――あと、数センチ。
そのとき。
誰かの腕が、ノアを後ろから抱きしめた。
「……やめろ」
低く、震えた声。
レイヴンだった。
「……それ以上やったら……
お前、戻ってこれなくなる……!」
「放して……!!」
ノアが暴れる。
「こいつが……!
こいつが……カイを……!!」
「違う!!」
レイヴンが、ノアを強く抱きしめ直す。
「……よく見ろ……!」
ノアの視界が、揺れる。
女は、血を吐きながら立っていた。
だが――
魔力の色が、微妙に違う。
「……え……?」
ノアの力が、一瞬だけ緩む。
女は、その隙に距離を取った。
「……くっ……」
女は、不敵に笑う。
「残念。
私は“作った側”よ」
ノアの呼吸が止まる。
「……作った……?」
「その魔法。
“オリジナル”は、別にいる」
女は、黒い結晶の欠片を投げ捨てた。
「それ、あんたの大事な人を殺した魔法の“残骸”」
ノアの目が、それを見る。
間違いない。
カイの血の匂いが、残っている。
「……じゃあ……」
女は、薄く笑った。
「真犯人は、もっと奥。
“黄昏の徒”の中枢よ」
そう言い残して、
女は闇に溶けるように消えた。
雨音だけが、残った。
⸻
ノアの身体から、力が抜けた。
「……っ……」
そのまま、前に倒れそうになる。
レイヴンが、ぎゅっと抱きしめたまま、支える。
「……ノア……」
ノアの呼吸は、ぐちゃぐちゃだった。
「……私……殺しそうになった……」
レイヴンの服を、掴む。
「……無実かもしれない人……」
「……それでも」
レイヴンは、静かに言った。
「お前は、止まった」
ノアは、首を振る。
「……違う……
止められた……」
レイヴンは、少し間を置いて。
そして――
そっと、ノアの額に自分の額を当てた。
「……それでいいんだ」
ノアの目から、ぼろぼろ涙が落ちる。
「……私……怪物になりたくない……」
「……ならない」
レイヴンの声は、低くて優しかった。
「お前がそう望む限り、俺が止める」
ノアは、初めて。
誰かの胸に、すがりついた。
「……ずっと……一人だったのに……」
レイヴンは、何も言わずに抱きしめ続ける。
⸻
夜。
焚き火の前。
ノアは、一人で座っていた。
手の中には、
あの黒い結晶の欠片。
「……ねえ、カイ」
小さく、呟く。
「……私……復讐しても……いいのかな……」
答えは、ない。
でも――
背後から、毛布がかけられた。
レイヴンだった。
「……冷える」
「……ありがとう」
少し、沈黙。
「……さっきのこと……」
ノアが言いかけて、やめる。
レイヴンは、静かに言った。
「……怖かった」
「……」
「でも」
ノアを見る。
「……それでも、離したくなかった」
ノアの胸が、きゅっと締まる。
「……私……
誰かを好きになる資格……あるのかな……」
レイヴンは、少しだけ笑った。
「……それ、俺に聞く?」
ノアも、ほんの少し笑った。
でも、その目はまだ濡れている。






