人の売買、ここにあり。
奴隷制度は、犯罪奴隷であればその売買が許可されている。
使用目的は労働のみと定めがあるし、表向きは、それは守られていた。
が、どんな世界にも裏はある。
犯罪者以外の奴隷売買。それは主に、若い女か男。少女趣味の人間もいれば、少年愛好家も居る。
それらは秘密裏に売買されるが、杜撰《ずさん》な仕事をする者がよく捕まっている。
しかしここに、奴隷商として裏社会で知らぬ者の居ない男がいた。
その男の名はベイル。
今日も買い出しに、地方の町外れを回っていた。
良質な違法奴隷を安く買い上げ、誰の目にも触れぬよう、高貴な者に高く売る。
この、誰の目にも触れぬようにというのが、この男の有能さを物語っていた。商品が多少高かろうとも、人のうわさに上らぬよう手配出来る者というのは、そうは居ないからだった。
人知れず買われた奴隷は、その後どうなるのか。
それは、常人であれば聞かぬ方が良いことだろう。聞けばそれは、呪いのように心を蝕み、いつまでも苦しむ毒となる。
もしくは悪鬼のような者は、いつか自分も買いたいと憧れるだろうか。
「はてはて、奥さん。この子を本当に売るんですね?」
悪が染みついたような顔のベイルは、クセの強そうな、小悪党顔の女に確認した。
すでに、首輪を着けて繋いだ少女の、鎖をその手に持ちながら。
「そう言っただろう? 前妻の子なんて、なんで私が育てなきゃいけないんだい? 一緒に山に入った時に、魔物に襲われたとでも言えば誤魔化せるさね。だから早く! 買って連れてっておくれよ。誰かに見られたらお終いなんだよ」
町から離れた山の麓の、もう少し奥に入った所でその取引は行われていた。
魔物も確かに出るし、良い薬草が手に入るのも確かな、言い訳が通りそうな場所。
けれど、普通は足を踏み入れることのない、危険な山麓。
彼らが平気でそこを取引場所にしたのは、屈強な奴隷戦士が護衛に居るからだ。そうでなくては、いずれ彼らも魔物の餌になる。
「そうでしたか。ふむ……まぁ、こんなところでしょうな」
ベイルは見下したような目で、女の手のひらにポトリと硬貨を落とした。
「ぎ、銀貨一枚だけ? ふざけんじゃないよ! もっと高く売れるだろ? もう少し色をつけておくれよ。この子、見た目は良いだろう?」
小悪党顔の女は、その顔をさらに歪ませて噛みつくように言った。
睨みつけて強く言えば、大抵の相手は大人しくなると経験しているのだ。
だから今も、同じように強く出たのだった。
しかし、今回ばかりは相手が悪い。
裏社会でも名うての、しかも貴族を相手取って優位に事を進められる男だ。
「はぁ……。護衛を付けなきゃいけない場所を選んだのは、あんただよ奥さん。その分引いてある。それからねぇ、こんなガキ、見た目が良かろうが買い手が付くのはもっと育ってからだ。つまり育成費が掛かるんだよ奥さん。胸が大きくなるって保証でもありゃ、別だがね。それとも何ですかぃ……こういうガキをなぶり殺しにするのが趣味なやつに、売れってんですかぃ? そんときゃ私も、どうなったかをあんたに伝えに来るよ。胸糞悪い結果を、私だけが知ってるってのは割に合わないからね」
本当なら、銅貨数枚でも買い取れる。
ベイルはそう思いながらも、あまり徹底的にやるのはよくないと、本能的に悟っている男だった。
だから本当に、彼なりに少しは色をつけてやっているのだ。
が、二流なら金貨数枚を渡しているだろう。
「……そ、それは勘弁しとくれよ。そ、それに、あんたみたいな人間にウロウロされたんじゃ、私が疑われちまう」
「じゃ、それで納得いただけたと?」
「……あぁ。納得した。うん、うん。十分もらったよ」
女のその言葉を聞き、ベイルは満面の笑みを浮かべた。
商談成立の瞬間は、どんなクズ相手にもスマイルを見せる。
お互いにクズであろうと、有利に事を進めたのは自分なのだという、自負を込めて。
「なら、安全なところまでお送りいたしましょう。後のことは、ご自分で誤魔化すんですよねぇ」
「ああ。大丈夫だ。ありがとうよ」
「では、そこまでご一緒に」
麓へと出る前に、本当にオオカミの魔物が数匹出たが、奴隷戦士が難なく倒した。
そうでなくては連れている意味が無いのだが、それが裏切ることはないのかと、女は最後に尋ねた。
安く買いたたかれたのを理解している女は、帰りに魔物に殺されてしまえと思っていたからだ。しかし、奴隷戦士があまりに強かったので、むしろそいつに殺されないのかと考えた。
「そんなに強いのなら、あんたを裏切って逃げれば済むんじゃないのかって、ね」
実際、それが可能ならすでに、主であるベイルを殺し、女も犯した上に殺してしまうということを理解しない、馬鹿な質問だった。
「私がこの仕事を天職にしているのはね、強力な催眠魔法が使えるからさ。ただ、反応を見ればすぐに掛けたことがバレるからね。一般人には使えない。が……奴隷なら許可されている。こいつは私を神のように崇めているし、守ることが生きがいになっているんだ。でなきゃ今頃、あんたを嬲っているところだろうよ、奥さん」
「ひっ……」
馬鹿が商売相手なのは嬉しいが、意味なく馬鹿を相手にするのは嫌いだ。
そう思いながら、ベイルはまた、買い手を探しに町を巡る。
新しい少女を買い付けてから、二つ目の町を巡っていた時だった。
表立って見せるわけにはいかないので、常に馬車に入れている。
声を立てるとなと怒鳴り、動けば鞭を打つぞと脅してある。
大抵のガキは、それで事が済む。
だからベイルはいつも通りに怒鳴り、鞭を空打ちして鋭い音を聞かせた。
「はぁい。おとなしく、しています」
えらく聞き分けのいいガキだと思いつつ、胸糞の悪くない買い手がなかなか居なかったので、少し育てるしかないかと覚悟を決めた。
可愛らしい顔つきをしているから、一つ目の町ですぐに売れるだろうと思っていたベイルだが、誤算だった。
「随分と聞き訳がいいじゃないか。褒美に今日から、メシを少しいいものに変えてやる。だがな、私の言うことをきかなければ、すぐに不味いメシにしてやるからな」
「はぁい」
……随分と調子の狂うやつだと、ベイルは内心そう思っていた。
どんなに怒鳴ろうと、はたまた脅しても、ビビる素振りが無いのだ。
そして返事はいつも、気の抜ける「はぁい」が返ってくる。
「あいつめ。義理親とはいえ、売られたってのを分かっていないのか?」
一人ごちながら、いつもの仕入れ先に行った。
けれど今日は、いつものとは違って柔らかい白パンと、チーズも少し良いものを仕入れた。
「おや、ベイル。今日から奴隷にも優しくすんのかい? こりゃ雪でもなく、槍が降るぜ」
「ちっ。余計なことを言うなら、今度から買い付け先を変えるぞ」
食品店の店主は、ベイルと気さくな仲らしい。
軽口に対して文句を言われても、ひとつも懲りた様子がない。
「ハハッ、人がいる時にゃ言わねぇよ。だが、どんな上物を仕入れてもかてーパンと不味いチーズしか買わなかったのによぉ」
「……ふん。今回はハズレを引いた。新しい商品め、熟成させなきゃ売れそうにないんだ」
「へぇぇ。ベイルのアテが外れることもあるんだなぁ」
いつもなら、二週間分も買えば余るとぶつくさ言う男が、今日は違った。
「おい。もう少し値引きしろ。多めに買う」
そう言って、ひと月分の量を指で示したのだ。
「おやおや、ほんとに大ハズレを買い付けちまったらしいな。しょうがねぇ! もってきな!」
そのベイルのふてくされた顔が、なんとも新鮮で面白く、店主の男は本当に格安で売ってやった。珍しいものを見た記念だと、笑いながら。
寝泊まりは、町の中でも宿は取らずに、奴隷戦士を見張りに立てて馬車で夜を過ごす。
それがベイルの流儀だった。
というのも、宿選びを失敗すると、金を持っていそうだからと寝込みを襲われることがあるからだ。
それに、商品はフードローブで隠してはいるものの、勘のいい店主は目ざとく、違法奴隷商人を見つけたと律儀に通報する者も居る。
そういう他者の失敗も見聞きしてきた中で、自分の馬車で商品と一緒に眠るのが一番だと、そういう結論に至った。
「おい。今夜のメシだ。食ったら寝ろ」
町外れに馬車を止め、そこがその日の宿となる。
放るように与えた白パンとチーズを、取り落としながらもその商品は感嘆の声を小さくあげた。
「わぁぁ。白くてやわわかぁい。たべてもいいの?」
「お前のだと言ったのが分からないか」
「わぁぃ。ありがとう、ございます」
首輪と鎖で繋がれているのに、なぜそんなに朗らかでいられるのか。
頭のネジが数本、外れているに違いないとベイルは思った。
「あのぅ……これ、オーナーさんも……」
何を思ったのか、その商品は白パンを半分ちぎり、不器用に大きく分けてしまった方のパンを、ベイルに差し出している。
「ちっ。それは全部お前のだ。お前が全部食べろ」
いちいち言わせるな。
そうやって頭にきたのが少しと、こいつはなんて健気なんだろうと、その無邪気な振舞いに戸惑う自分に気が付く。
しかもあろうことか商品は、白パンをまだ差し出したまま「これ、やわわかくて、おいしいの。オーナーさんも、たべて」などと言う始末。
「……いいんだ。私は外で食べてきたから。気にせずお前が全部食べなさい」
「でもぉ……」
「私はもう、本当におなかいっぱいなんだ」
そこまで言うとようやく、商品は一人でもぐもぐと食べだした。
「おいしい。おいしい。オーナーさんも、つぎはたべてね。おいしいの」
「あ、あぁ……。そうだな、明日は一緒に食べてやる」
一瞬優しく返事をしかけて、しかし精一杯に偉そうにしたのは、他者がいればバレていただろう。
しかしすでに、優しく諭したことをベイルは忘れているらしかった。
それから月日が流れ……ベイルは、奴隷商を引退した。
全く売れる気配のない商品は、結局、値切ってやった分を超過して債務になっていた。
そしてどんなにきつく当たっても、どれほど冷たくあしらってやっても、それは健気なままだった。
それがベイルには、こたえていたのだ。
恐怖に怯えさせ、その後の自分の顛末がいかに悲惨で恐ろしいものか、奴隷たちに教えてやっているつもりだったというのに。
健気なままの商品を、性質の悪い主人に買われることが、どうにも恐ろしくなってしまった。
恐怖を覚えさせられたのは、いつの間にかベイルになっていたのだ。
知らぬ間に情を覚えてしまった。
知らぬ間に洗脳魔法を受けたのかと、自らに解除魔法を掛けたこともあった。
しかし、魔法など何も掛けられていない。
つまりは……自分が単純に、商品に肩入れしてしまったらしいという、最悪の結論に至った。
それでも、売ってしまえばそこで仕舞いだ。情もくそもあるものか。
そう思って売ろうと必死になったが、良い主人にしか売りたくないと自分で自分に枷をして、外せなくなっていた。
心にはまり込んだ枷は、もう外れてはくれなかった。
「ちくしょう。私が、こんな……こんな初歩的なミスをするだと?」
その悪態が、最後のあがきだったらしい。
ある日に商品の首輪を外し、名前を付け、そして良い服を着せるようになった。
まるで自分の娘か孫に、無条件で買い与えるように。
町中ではそれの手を引いて歩き、奴隷戦士には対応可能な範囲で距離を取らせた。
人目につくようにして、それを気に入る心優しい男に売ろうと、そう考えたのかもしれない。
「お前のせいで仕事を引退したよ。ミルフィー」
「いんたいって、なぁに?」
「はぁ……。なんでもない。お前にとびきりの主人を見つけるまで、旅をするんだ。いいね?」
「わぁい。オーナーさんと、たびをするの、うれしい!」
「まったく……お前はどうしていつもそうなんだ」
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